第153話 終の剣

 ヴリトラ亡き後、クロノスは正気に戻っていたのだろうか。

 ……いや、考えても仕方ない。

 俺にとってはどちらでも同じことだ。

 終蛇に吸い込まれる光の粒子を眺めながら、最後の一体が現れるのを待つ。


 ここは、かつて俺が住んでいたボロアパートの屋根の上だ。

 空は元の世界と遜色ない。

 街の風景は、屋根という屋根から木々が突き出ていて終末感が酷いが……。


 ――魔力の流れに異常を感じた。


 咄嗟に屋根から跳び降りる。

 直後、不可視の圧力によってアパートの屋根が粉砕される。

 轟音と共に俺の居た場所から一階まで砕かれ、真ん中を巨大なハンマーで叩かれたかのように建物は二分されてしまった。


 そんな……。何度建て直しても、俺の部屋は壊される運命なのか……。


 いや、よく考えたら夢幻階層のアパートは健在だった。

 中身の無いハリボテだけど。

 気を取り直して……いや、ちょっと取り直せてないけど……ともかくウィスプで通信を飛ばす。


「カオスを捕捉した。当初の作戦通り手出し無用。ここから先、全員不用意に力や魔法を使わないよう注意してくれ」


 コツコツと、足音を立てて近付いてくる。

 気配を消そうともしてねえ。

 そんなことは必要ないと言わんばかりの、強者の思考。


「身体能力が特別に高いわけでもないのに、今の魔法を躱すか。危険察知能力のようなものか? お前の強さの理由が少し分かった気がする」


 そ……。


 そうだったの?

 俺も自分の能力の割に、良く今まで生き残れたなと思ってたけど、ここに来てその理由が……。

 たまに鑑定とは別に、なんかヤバい気配とかに気付くことはあったけど……。


 そして、そいつは曲がり角から姿を現した。

 神話の世界から抜け出てきたような……まるで神の如き男。

 色白の肌に白い髪、白い豪奢な衣装。

 一瞬ギリシャ彫刻かと見紛うような色彩。

 手に持つ得物はクロノスと同じデザインの剣。

 こちらは体格に合わせて長めの大きさだ。


 カオス――いや、こいつは。


「よう、


「コズミック・ディザスターを封じる役割のお前自らが動くとはな、。不用心ではないか?」


「俺から終蛇を奪って折ったところでヴリトラは復活しない。そんな単純な構造じゃねーよ」


「ヴリトラなど不要。私さえいればいい」


 ……ハッタリではない。

 何本首を落としても蘇る不死身の怪物。

 創造主がひとり生き残るだけでいいのだ。

 それこそがヒュドラという超越者の強みであり、こいつにはそれだけの実力が備わっている。


 だけど、今のこいつはどっちなんだ?

 コズミック・ディザスターとして、全てを滅ぼすつもりなのか?

 それともヒュドラとして、種を護るつもりなのか?


 問うつもりは無い。

 俺の行動はどうせ変わらないからだ。


「お前を葬るには、私自らこの剣で斬る必要があるようだ」


 そう言いつつも、剣はだらりと下げたまま。

 構えなんて必要ないってか。


「私が憎いのだろう? せいぜい悔いの無いよう戦うのだな」

「人間そんな怒りなんて持続できんわ。今の俺がお前と戦うのは、お前と決着を付けないと――」


 ホルダーから片手斧《マムシ》を取り出して構える。


「地球でもネメアでもなく、俺自身が未来を切り開けない、そう思うからだな」


 そうだ。決着なら既に――

 モニクがエキドナを滅ぼしたときに。

 エーコがヴリトラを滅ぼしたときに。

 もう、付いているのだ。


 これはただの、俺のケジメだ。


「らしくない……。宿命に抗う怒りの復讐者というのが、お前に与えた役割だというのに」


 オロチ信仰の奴らが言うアレなー。

 その辺の話は、こいつや初代皇帝の仕込みなんだったか。

 こいつらのセンスにも、アマテラス的な何かを感じる……。


「成長しなけりゃやってけないのさ、人は」

「進化しなければ生き残れないのだ、種は」


 ダブスタは人間らしさ。

 昔の目標なんぞ知るか。


 ――そして、カオスの姿が消えた。


 即座に振り返って、剣をマムシで受け止める。


 瞬間移動――

 超越の力を封じられた異能レベルでこれとか、空間魔法強すぎじゃね?

 時間魔法と似たような名前の魔法なのに、使い勝手に差がありすぎてクロノスが気の毒になるわ……。


 ただ、俺を含めて他の奴が瞬間移動を使えても、戦闘になんて組み込めないと思うんだよな。

 いきなり周囲の状況が変化したら、攻撃どころか身体のバランスを上手く取れるのかも怪しい。

 そういった空間把握能力も含めてこいつの力なのだ。


 じっとしていたら死ぬ。

 即座にその場所を離れ、街の中を駆ける。

 背後でカオスの姿が消える気配がした。

 さきほど俺が振り返った向きと逆方向、やや斜め背後から攻撃される。

 それも再び斧で止める。


 反撃など狙わずに、ブロック塀の上へと跳び乗った。

 屋根の上に移り、更に駆ける。

 カオスは更に消える。

 進行方向を塞ぐように現れたカオスの一撃を止める。


 三回連続で、カオスの攻撃を止めてみせた。

 奴の表情が、初めて少し変化した。


 何をされたら一番嫌か。

 それを考えながら、相手の立場になって転移場所を予測する。

 予測を外したら普通は終わりなのだが、俺の視界はひとつではない。

 周囲に浮かんだウィスプが全方位をカバーする。

 俺には同時に多数の視点を把握する力は無いが、はっきりと見る必要は無いのだ。

 全体をぼんやりと見て、変化が起きた場所に反応すればいい。


「《魔力剣》――」


 カオスの表情の変化、それは。

 次も転移するか否か、一瞬悩んだのだ。

 その瞬間を待っていた!


「――マムシ!」


 真紅の暴風が吹き荒れ、滅亡の迷宮ドゥームダンジョンに巣食うあらゆる生命いのちを刈り取る毒蛇が牙を剥く。


 赤い毒牙が標的を捉える寸前に、またもカオスの姿が消えた。


 転移を選んだか。

 だが甘い!

 俺の周囲を旋回する真紅の刃は伸び続け、刃渡り三メートルとなった魔力剣が転移直後のカオスに襲いかかる。

 即座に反撃できる場所に移動すると思ったぜ。

 回避に専念すべきだったな!


 魔力の刃は遂に標的を捉え、その身体を袈裟斬りに通過する。


 直撃でも素通りでもない、初めての手応え。

 魔力剣を魔術防御でいなされた?

 だが、奴の肉体を引き裂いた感覚はある。

 少なくともノーダメージではない。


 ――悪寒が走った。


 先程アパートを粉砕した打撃系の魔法。

 その小型版を斬り裂かれながらも放ってきやがった。

 気付いてもこの状態ではもう躱せない。

 斧では受け止め切れず、魔力塊の断片を喰らってしまった。


「ぐおォッッッ!!」


 さしたる耐久力も無い俺には痛烈過ぎる一撃。

 建物の屋根の上から吹き飛ばされ、地面を転がった。

 決定的な攻撃を叩き込んだと思ったのに、一瞬でイーブンに戻されてしまった。

 いや、五分ではないかもしれない……。

 カオスは肉体的ダメージでどれくらい戦力が下がるのか分からない。

 俺は明らかにかなりまずい。


 武器を片手斧《アギト》に持ち換える。

 こいつならあの魔法を防げるが、マムシですら仕留めきれないカオスに、どれだけのダメージを与えられるか。


「ここまで……追い込まれるとは予想していなかったぞ」


 そう言うカオスの表情は若干歪んでいる。

 効いているのか。

 超越の力が使えないこの街では、俺と奴の耐久力にさしたる差は存在しないのかもしれない。


 再度、小型の打撃魔法の気配。

 二度と喰らうか!

 アギトで打ち消し、そのままカオスへと斬り付ける。


 音が、軽かった。

 利き手に力が入らない。

 剣で受け止められるどころか逆に押し込まれ、そのまま後方へと吹き飛ばされる。

 道路にあった細い標識へとぶつかった。

 その標識のポールをつかみ、なんとか立ち上がる。


 アギトは地面にはたき落とされていた。

 収納の射程距離外だ。回収は絶望的。

 カオスは、ゆっくりと近付いてくる。

 慎重な動きだ。

 先程のマムシによる反撃が余程こたえたのか、不用意に転移で近付くことはしない。


 ここはドラッグストア前――


 俺は、つかんだポールを倒すように引きずり、そのを後ろに構えた。


「そのようなもので、私に傷を付けられるとでも思っているのか?」


 カオスは防御の構えすら見せずに近付いてくる。

 魔力剣ですら、致命傷にはならないような奴だ。

 無理だろうな。

 でも――


「やってみなくちゃ、分からねえだろ……」


 身体を捻り、溜めを作って金属製のポールを引く。

 かつて、マムシの持ち主である無印ブレードが俺に対して最後に使った技。

 脇構えからの胴斬り。


 対するカオスは動き出したバス停の間合いに平然と入り、俺を砕かんと魔力を練る。


 ここだ――――




「――――《対超越者結界Ⅲ》」




 瞬間、世界から魔力が消え失せた。


 超越の力を封じる更にその先。

 異能の力をも封じ、結界内の全ての生物の力を通常レベルにまで引き下げる。

 対超越者結界Ⅲは、超越者の性質を利用した魔法ではない。

 俺自身の超越の力と引き換えに、極めて短時間だけ発動する迷宮魔法。

 これが本当の最後の切り札だ。


 カオスの顔に、今度こそ驚愕の表情が浮かぶ。

 今まで空間魔法という便利な力に頼っていたせいで、判断が遅れたな。

 それだけじゃない。

 継承により強化された身体で溜めたこの攻撃、常人並の身体で躱せはしまい。

 そしてこんなもんの直撃を喰らったら、通常の人体はどうなるのか、お前に想像はできるか?


 自分の筋肉の繊維がブチブチ切れる音がする。

 明日は筋肉痛だな……。

 やっぱこんなもん、人間が振り回すもんじゃないわ。


 すくい上げるように回り込み浮かび上がるバス停の土台部分は、カオスの側面からその胴体に叩き付けられる。


「が……はッ!?」


 標柱を支えるコンクリの土台は、腕をへし折り内側の肋骨を粉砕する。

 そのままドラッグストアへ向けて吹き飛ばした。

 駐車場を越え、ガラスを突き破り、店内の棚に激突して、偽りの商品を撒き散らす。


「あ……」


 バス停を振り抜いた視界の端で、ゼファーが墜落するのが見えた。

 そうなんのか……。翼だけじゃ飛べないのね。

 正直お前のことは計算に入れてなかったわ。

 まさか結界の外から転移召喚されるとか思わんかったし。

 すぐ解除されるだろうから許せ。


 最初にウィスプで全員に力や魔法を使わないよう警告した理由。

 例えばハイドラが全力疾走中とかに、いきなり常人化するとコケただけでひき肉になっちゃうからだな。


 この魔法は対象を選ばない。

 だからヴリトラや他の九つ首がどうしても倒せない場合は、そこで使う可能性もあっただろう。

 だが、俺の仲間たちはヒュドラよりも強かった。

 力の上限が同じという条件下――この終末街の迷宮で。

 全ての九つ首に打ち勝った。

 それがこの結果だ。


 ホルダーから終蛇を引き抜く。


 こいつでとどめを刺せば、全て終わる。

 偽物の商品まみれになったカオスに向けて歩く。

 店内に入ろうと、割れたガラスを越えようとしたとき――


 対超越者結界Ⅲの効果が切れた。


 そして、カオスの姿が掻き消えた。


 俺は即座に振り返る。

 転移先は、十メートル後方……!

 店舗前の駐車場。

 逃げるにも反撃にも中途半端な距離。

 さしものカオスも限界なのだ。

 だから、最低限の転移をおこなった。

 次の一手に、つなげるために。

 俺の魔力剣の長さが、最大でも三メートルくらいだと見切ってのことだろう。

 奴はこの土壇場でも冷静で、勝ちの目を捨ててはいない。


 だが――


 残念ながら、そこは俺のだ。




「雷光歩」




 カオスが転移したよりも更に先、二十メートル先へと一瞬で駆け抜ける。


「《魔力剣》――――ムラクモ」


 終蛇から直接伸ばされた魔力の刃はすれ違いざまにカオスの心臓を引き裂き、溢れ出る魂を喰らい尽くさんとその力を展開する。


 そのとき奴がどんな顔をしていたのか、俺には分からない。

 終蛇の剣身に光の粒子が吸い込まれ――


 振り返ったときにはカオスはもう、この宇宙から消失していた。

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