第134話 兆し

「トウテツの作った数々の《六合器りくごうき》を真に使いこなせるのは、カダだけであったといわれています。カダはその力で、当時の反乱を次々に鎮圧しました」


 展示室にアメノ叢雲ムラクモノツルギを調べに来たついでに、コセンから歴史の話を聞く。


「ふうん……? やっぱ俺にはただの骨董品にしか見えないな。でもそんだけ凄い兵器だったなら、他のネメア人もこれを使おうと努力したんじゃないの?」


 そういう動きも無くは無かったらしい。

 コセンの一族は六合器を使うことをシュウダに固く禁じられ、時の皇帝もそれを支持したため、神殿は手厚く護られたという。


「あとは、平和な時代が長く続いたおかげもあるでしょう」

「そんなヤバい兵器を帝都ではなく神殿に置くとか、シュウダは随分信用されてたんだな」


 帝都にも六合器はあるらしく、ここにあるのは一部だそうだ。

 だが帝都にある物も、その力を引き出すことは誰にも出来なかった。

 そういう事情が重なったのも理由なんだろうな。


「三英雄のうちトウテツとカダは獄中死で生涯を終えましたが、シュウダはその後も乱世の平定に尽力しましたからね」


「そのふたりが投獄された原因って、資料によってバラバラなんだよな……」


「当時の歴史書は明らかに改竄されてます。帝国側にも色々問題があったのでしょう。そうでなければ反乱が頻発したりはしません」


 なるほどなあ。


 天叢雲剣は俺程度の力では、水晶のような透明の巨岩に阻まれて全く鑑定できない。

 そこが怪しくもあり、実はこれはヤバいブツなのではという予感もある。

 いよいよとなったらハイドラに岩を壊してもらって確保するという手はあるが、今は封印されたままにしておくのが無難だろう。


 シュウダがこれを渡したかった相手。『始まりの民』の誰か。

 普通に考えればその相手はヒュドラだと思う。

 向こうの世界からこの地にやってくるであろう者。ネメア人から見て、ヒュドラ以外に候補がいたとは考えづらい。


 この世界ではヒュドラは『肉体を失い世界と一体化した神』みたいな見方が主流だが、『始まりの地』に帰った、という説もある。

 いつか戻ってくる創造神に武器を献上したい、というなら自然な流れではないか。


 ただ、創造神を『始まりの民』と呼んでいるのはなんか違和感があるんだよな。

 創造神に渡すつもりならそう伝えるだろうと、コセンにも指摘された。


 それに、ヒュドラ――つまりカオスはもうこの世界に来ているはずだ。

 なのにこの剣はまだ放置されてここにある。


 まあ仮にこの剣がヤバい兵器だったとしても、こうも何の気配も無いのではな。

 単純にスルーされたという可能性もあるか。




 休憩がてら神殿の外の空気を吸いに来た。

 その時俺のそばに浮かぶウィスプが瞬き、音声通話が入ってくる。


『アヤセ、いいか』

「モニクか。どうした」


 ほんの僅か、声に緊迫感が感じられた。

 モニクにしては珍しい。


『出来れば急ぎで、神殿南の海岸までひとりで来て欲しい。距離にしてそこから五キロほどだ』

「分かった。すぐ出る」


 走れば十五分とかかるまい。

 すぐに神殿を後にした。


 半島の森林地帯を抜けると海が見えてくる。

 晴天の下、日の光を反射して輝く穏やかな海原と控えめな波の音。

 平和そのものの光景だった。


 モニクは海岸の砂浜で俺を待っていた。


「急がせてしまって済まない」

「問題ない。『世界の果て』について何か分かったのか?」


 例のウィスプが、モニクのそばで翠色の独特な光を放っている。


「まずは映像を見て欲しい」


 途端に、足元の景色が変化した。

 砂浜に立っていたはずなのに、地面が消える。

 その数メートル下には水のうねりが見えた。

 これは……海だ。


 思わぬ変化に少しよろめいてしまった。

 だが、これは現実の光景ではない。

 モニクはウィスプの記憶の映像を、三百六十度の立体映像として周囲に投影することが出来る。

 ……持ち主の俺よりも遥かに高度な使い方だ。


 つまり、今見えているのは海上を飛行して移動したウィスプの記憶なのだ。

 だから海面は下のほうに見えるし、晴れた空の下、四方全てに青い海が広がって――


 ――広がって、いなかった。


 厳密には、北と西の方角には青い水平線が見える。

 陸は見えない。

 海岸から最低でも五キロ以上は離れた場所に居るのだろう。

 いや、その距離は俺たちの世界と条件が同一ならの話か。

 まあそれはいい。


 そして、逆方向の南東。


 南東の空は薄暗い。

 たまに光が明滅しているようだが、ぼんやりとしてよく分からない。

 そしてある一定のラインで、海が途切れている。

 いや……途切れているのではなく、色が変わっているのか?


「あれが――『世界の果て』?」


「この光景は、今立っている場所から南に百キロ近く移動した海の上だ。これからもう少し境界線に近付くので、『外側』をよく見てくれ」


 足の下に見える海は高速で北に流れていく。

 ウィスプは南に向けて飛行している最中で、その映像を再生しているのだ。


 ぼんやりとしていた『外側』は、次第にその姿を鮮明に現してきた。


 その映像は、敢えて表現するなら嵐であった。

 空を埋め尽くすかのようなドス黒い雲海は暴風によってうねり、無数の稲妻が荒れ狂う。

 雷光によって照らし出されるのは同様に猛り狂う真紅の海。

 いや、嵐と呼ぶなど生温い、天変地異のような――


 ――空も、海も、地獄のような光景だった。


 ここは確かに、ヒュドラが創った迷宮の一種であるかもしれない。

 だが、夢幻階層のような異空間迷宮とは全く違う。

 ウィスプの記憶ごしに伝わる境界線の外の気配は、幻影などとは思えなかった。

 あの光景は……実在する世界だ。


「あの外の世界の光景……。気流の乱れた大気。赤黒く染め上げられた海の原因は微小な生物の死骸か、あるいは海底の土砂か。もしこの海の先に陸地があったとしても、生物が居たとしても、まともな状態ではないだろう」


 そう語るモニクも俺と同意見のようだ。

 あれがネメア帝国の外界に存在する現実の光景なら、陸地もあると考えるのが自然だろう。


「ボクはこのような光景は初めて見る」


 無論俺も初めて見る。だが――


「だが、これが何の兆しなのか。ボクには分かる。分かってしまう」


 ……俺も、その現象の名を思い出した。


 ――遠く離れた場所で地震が起こると地鳴りが聞こえてくるように。

 ――それは優れた異能の力を持つ者ならば確実に感じ取ることが出来るだろう。


 アネモネはそう言っていた。


 それは、不可避の滅びの現象。

 星を丸ごと死滅させるという大災厄。

 何故だ。何故こんな場所で発生する。

 俺は、無意識にその名をつぶやいていた。


「これは――――《終末化現象》だ」




 ――ショッピングモール一号店。オペレーションセンター。


 俺とモニクは、急ぎ元の世界に舞い戻っていた。

 終末化現象について相談するなら、アネモネをおいて他にいまい。


『仮に、ネメア帝国周囲の境界線が円形ないし球形であったとしようか』


 オペレーションセンターの一番偉い人の席に座りながら……いや、立ちながらか?

 ともかく宇宙イソギンチャクにして《星の超越者》――アネモネは、無数の触手をうねうねと動かしながら俺とモニクに語りかけていた。


『そうなると、直径千キロの結界で帝国は辛うじて護られているということになるね』


「海を含めて直径千キロね。メートル法を知ってる奴ならキリがいいからそうしようってなるのも分かる。だけどな――」


「帝国が建国されたのは四百年前。だからメートル法なんて存在しなかったと、アヤセは言いたいんだね?」


 そう、その通り。

 だけどもう、モニクやアネモネの反応から俺も薄々気付き始めた。


 ――四百年前に創られた異空間迷宮、『新世界ネメア』。


 その前提が、のだということに。


「新世界は、異空間迷宮なんかじゃなかったんだな……?」


「技法的には異空間迷宮とあまり変わりはない。違うのは地面も海も本物で、そこを土台として外界から隔絶された迷宮ということだ。《空間神》カオスの独特の技術だね。名付けるならば、《封鎖世界》といったところだろう」


 ――《封鎖世界》。

 封鎖地域のスゲーでっかい版だな……などと頭の悪い解釈が脳裏をよぎる。


「じゃあ、あの外の世界はなんなんだ」


 まさか地球のどっかにあんな場所があるわけじゃないだろう。

 そうだとしたら、地球上で《終末化現象》が発生していることになる。

 それならばアネモネや他の超越者たちが気付かないわけがない。


 新世界は実はもっとバカでかい異空間で、その中に《封鎖世界》のネメア帝国があったりするんだろうか?

 マトリョーシカかよややこしい。


『新世界ネメアとは、今僕たちが住んでいる地球と同じ宇宙の何処かに存在する、別の惑星だ。惑星ネメアとでも呼ぶべきものだろう』


 …………は?


「直径千キロもある広大な迷宮世界とはボクたちの勘違いだった。あれは……直径わずか千キロの結界内だけが、辛うじて維持されているだけの死の星だ」

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