第133話 悪神オロチ

「そこまで。遊びで死者を出すのは容認できない」


 角の生えた大男が、倒れかけた獣人の冒険者に振り下ろそうとした曲刀シミター

 その刃先を、差し出したバールの釘抜きで受け止める。


「遊び……だと?」


 大男の額に青筋が浮かぶ。

 こいつは魔王城の噂を聞いてやって来た、魔人種の冒険者らしい。

 割と珍しい種族で、俺には角の生えた獣人種と区別が付かない。


 いつもならこの手の連中の相手はコボルドたちがするのだが、今回は魔王城にたむろする常連の冒険者とケンカになったようだ。


「悪い意味じゃないぜ。遊びだからいいんじゃないか」

「剣を抜いた以上、殺されても文句は言わせん!」


 魔人は曲刀を持つ手に力を込めるが、俺の持つバールは微動だにしない。

 でもこいつ、なかなか強いな。ラウルと互角くらいか?


 バールからスッと力を抜いて引く。

 魔人が前方にバランスを崩した瞬間、頭部の巨大な角めがけてバールを振り抜いた。

 金属音と共に巨体が空中で一回転し、地面に叩き落とされる。


「ぐっ、ハァッ!」


 お、脳震盪を狙ったのに意識あるのか。タフだな。

 頭のほうに歩み寄ると、釘抜きを下に向けてバールを構える。


「んで? 剣を抜いたから殺されても文句は無いんだったな?」

「い、いや待――」


 轟音と共に、バールはその半分を地面にめり込ませた。

 魔人の角と頭の間くらいの場所だ。


「つまんねーことで人を殺すな。それを守れるなら、ここに居てもいい」


 後ろの冒険者たちから歓声が上がった。

 好き勝手な感想が色々聞こえてくる。


「すげえな、魔人種をあんなあっさり!」

「誰だよあれ。魔王様の側近かなんかか?」

「えっ? あの人がオロチ? 実在したの?」

「側近の人らが、ここの黒幕はオロチ様だって言ってただろ」

「てっきり魔王様が悪神オロチ信仰って意味だと思ってた……」

「魔王の黒幕? もしかして本物の悪神なのか?」

「馬鹿言うな。創世神話の神々は今では肉体を持たない存在のはずだろ」

「創世神ヒュドラは敵だから潰すって公言してるらしいぞ」

「帝都から討伐隊が来て、戦争が起こるとかも聞いたな」


 尾ひれが付きまくっとる。

 帝国と戦争なんかしねーよ。

 ただ、そう思ってもらったほうが、彼らの安全のためにはいいのかもしれない。

 ハイドラに忠誠とか言ってはいるが、まさか帝国と戦争しようなんて奴は居まい。


 ヒュドラと戦争するから危険だなどと忠告しても、彼らの常識から鑑みれば与太話にしか聞こえないだろう。

 始まりの迷宮を擁する神殿の人間と、一般のネメア人では考え方が違う。


 喧騒から離れ、建物内に入ると声をかけられた。


「オロチ殿の戦いを見れるとは珍しい。見事なものだ」

「ブレードやエーコに比べれば、素人みたいなもんだけどな」


 ラウルは俺の返事に苦笑を返す。

 そういや、さっきの野次で少し気になる話題があったので聞いてみるか。


「あんまり噂が広がると、本当に討伐隊が来たりしない?」

「絶対無いとは言い切れないが、所詮ここは辺境だからな」


 確かに地図上では、この地域は帝都から最も離れている。

 この世界の交通事情では、人も噂もそう簡単には行き来できない。

 皇帝ネメアってのは、少なくとも初代はヒュドラの部下のはずだ。

 向こうの世界とつながる《始まりの迷宮》からは、敢えて離れた場所に帝都を構えたのかもしれない。


「あと、オロチ信仰ってなんだ?」

「悪神オロチは創世神ヒュドラの敵対者ではあるが……。復讐者、戦士に加護を与えし者、宿命に抗う者、という意味があってな。民衆にはそれなりに人気のある神なのだ。ああいった、ごろつき連中には特に」


 最後の部分は嬉しくない情報だな……。

 連中は神々が肉体を持たないとも言っていた。

 それはつまり、今の時代で神を直接見ることはなく、実質存在しないものとして扱われていることを意味している。




 食堂に行くと、モニクに会った。


「アヤセ、お帰り。今日はこっちなのかい?」

「いや、ちょっと様子見にきただけ。そっちはどう?」

「船はやっぱり難しいみたいだから、ボクが借りているウィスプを飛ばしてみようと思う。通信用に予備をもう一体貸してくれないか」


 了承してウィスプを一体召喚するとモニクに渡す。


 瓦礫の街の事件で誕生した、かつてのモニクが強化を施したウィスプ。

 あの個体であれば、単体でも相当な距離を移動することが出来るだろう。

 あまり離れると通信できなくなるが、後から記憶を再生することで情報を得ることが可能だ。

 今ではモニクもその能力を使いこなしている。


「これで『世界の果て』を調査できるよ」


 この新世界の端であると思われる『世界の果て』。

 船でそれを見たという記録も存在するが、沖に出るのは帝都の保有する大型船でも命がけという話だ。

 大きい港が無い南東部辺境では、船での調査は難しいのだろう。


 新世界の陸地がネメア帝国のみとは限らないので、海をどのくらい進めば『世界の果て』なのか、この異空間迷宮全体がどれくらいの広さなのか、それぞれ把握しておきたいところである。


 世界地図からの情報では、神殿のある半島が帝国の最南端ということなので、そこから南に向けてウィスプを飛ばしてみようということらしい。

 そのため、モニクと一緒に神殿に戻ることにした。


 魔王城も人が増えたので、出入りするだけでも多少の注目を浴びる。


「おっ、オロチ様と冥王様だ。珍しいな」

「あの小さい女の子も魔王城の幹部なのか?」

「冥王って、創世神話のあの冥王じゃないよな」

「創世神の前の代のヒュドラを滅ぼしたっていう?」

「まさか。そんなわけない……だろ……」


 彼らの噂話はたまに現実と奇妙な類似を見せることがあり、不思議な気分にさせられた。


「エキドナの前にヒュドラなんていたの?」

「さあ? ボクは知らないな」




 神殿に戻り、俺とモニクはそれぞれの仕事に取り掛かった。


 俺の調査はもっぱらシュウダに関する情報である。

 今日聞いた話から、創世神話にも少し興味が出てきたがそれは後だ。

 シュウダが登場するのはネメア帝国史中期の歴史書や物語の本であり、書物のジャンルからして違う。


 新生ヒュドラ九つ首に名を連ねる三人のネメア人。

 シュウダ、トウテツ、カダは同時代の人間だ。

 剣術、鍛冶、道術――まあつまり魔法か。その各分野でそれぞれ優れた人物であったらしい。


 彼らが活躍した時代には『世界の果て』に大きな変化が起こり、この世の終わりを主張する声が多くなったとか。

 だが、帝国はその後二百年間続いており、世界の果てもただそうしたものとして受け入れられた。


 世界の果て――異空間迷宮の境界線。

 この時代、そこで何かあったんだろうか?


 他の九つ首については次のような情報がある。


 ネメアという名は歴代皇帝の姓でもあるから、どの時代にも存在する。どれが九つ首なのかは分からない。

 ただ、九つ首のネメアは百頭竜でもあるらしいので、種族的にネメア人であろう歴代皇帝は無関係かもしれない。

 初代皇帝は創世神ヒュドラの血が濃かったとあるので、初代が百頭竜ネメア本人なのではないだろうか。


 次に百頭竜メドゥーサ。

 メドゥーサの名前は創世神話に出てくるらしいが、そちらはまだ調べていない。

 創世神ヒュドラに仇なす邪悪な悪魔を滅ぼした者とかなんとか。

 カオス、クロノス、ケクロプスの名前も同様に、創世神話に出てくるとコセンから聞いている。


 そして九つ首の残り一体、《竜王》ヴリトラ。

 こいつだけは全く情報が無い。

 二つ名からすると百頭竜の親玉っぽいが、四百年前は存在しなかったのかもしれない。




 書庫では俺以外にも、神殿の関係者が書物を物色している。

 神殿にはコセンたち人間種の研究者、警備を担う狼の獣人種だけでなく、様々な種族が勤めていた。


 魔王城に来る商人や冒険者たちもそうだ。様々な外見の者たちがいる。

 魔人種のような跳ねっ返りもたまにいるが、彼らは同じ人類、ネメアの民として上手く共同生活を営んでいる。


 こんな世界があるなら、俺たちの世界でひっそりと生きる、眷属たちも誰はばかることなく暮らせるだろう。

 今のコボルドたちのように。


 ……それなんだろうな。セレネがここに拠点を作った理由は。

 俺もセレネも当初はこの世界のことなんて何も知らなかったが、ドゥームフィーンドの未来のために、試せることはなんでも試したかったのだろう。


 この世界、エキドナの目的とは何か関係あったのだろうか。

 エキドナ亡き今、生き残った眷属の一部――例えばカオスやクロノスがこの世界から出て来る気はもうない、というのであればその気持ちは分からなくもない。


 分からないのは新生ヒュドラの存在だ。


 新生ヒュドラ――というよりそれを造った黒幕……そんな奴が実在すればの話だが。

 そいつの目的は『全てを滅ぼす』こと。

 それは、この世界のネメア人たちをも滅ぼすことなのだろうか。


 誰が、なんのために。

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