第120話 オロチとヒュドラ

『貴様も……わしを裏切るのか』


「…………」


 テュポーンの質問には答えず、カオスは新たな空間転移の魔法を構築する。

 今まで不可視の存在だった転移門は、今度ははっきりと視認できる形でそこに現れる。


 それは、空中に開けられた円形の穴だった。

 穴は広がり、下の部分は床にめり込んで見えなくなる。


 今はまだ昼間だ。

 しかし、転移門のその向こうに見えるのは夜空だった。


 その門の中に向かって風が吹く。

 その風はテュポーンだけを捉え、門に招き入れるようにその勢いを強めていった。


『な、なんの真似だ……これは』


 テュポーンも風の魔力を纏い応戦するが、発生した風もすぐに門へと吸い込まれてしまう。


 その様子を見たカオスは、初めて口をひらいた。


「もう少し苦戦すると思ったのだがな。これで充分のようだ」


 テュポーンはついに身体を支えきれなくなり、その足はずるずると床を滑る。


『カ、カオス……貴様ァ!!』


 怒りの声と共に、強烈な風の渦を発生させてテュポーンが宙に浮く。

 その行動が命取りだった。

 空中に浮かんだテュポーンは、そのまま滑るように門に吸い込まれた。


『あ……』


 床も地面も無い夜空。

 その中を、テュポーンは遥か遠くへと飛んでいく。

 何かを叫んでいたようにも見えたが、もう声も聞こえなかった。


 そして転移門はその円の形を縮めていき、見えなくなった。




 カオス……!

 こいつはつい最近までは超越者ヒュドラの一部だったが、今はただの眷属のはずだ。 


 それが《嵐の超越者》を……こうもあっさりと!


 要因は色々とあるのかもしれない。

 テュポーンはアネモネとの戦いで傷を負い、本調子ではなかった。

 クロノスの時間魔法で誤魔化されてはいたが、元々寿命に近かった。

 だが、その程度の材料で超越者を倒せるものなのか!?


「宇宙への空間転移なんて、今の状態でどうやって実行したんだい? カオス」


「『迷宮の力』を少し使わせてもらった」


「その力は……いや、テュポーンが相手では仕方がないか。僕が使う分は、ちゃんと残ってるんだろうね?」


「問題ない。全体からすれば微々たる量だ」


 俺の疑問は、クロノスの質問によって解明した。

 カオスの言う『迷宮の力』とは先程クロノスも言っていたように、エキドナの命令で封鎖地域に集められた魔力のことだろう。

 数多の命の犠牲と引き換えに集められた力。

 全て使えば、《終末化現象》を引き起こす危険性すらあるという。


 多くの魔力があれば単純に強くなれるわけではない。

 だがカオスにはその力を操るすべがあり、超越者と互角とまでは行かずとも、それなりに有効な攻撃手段として確立させることが出来たのか。


 あっさりと勝ったように見えたが、こいつらとテュポーンの戦いはかなりギリギリの勝負だったのかもしれない。


「さて――」


 カオスは俺のほうへ視線を向けた。

 ついに来るか。

 もしかしたら小者に興味は無いタイプで、そのまま立ち去るかもしれないと一瞬考えたが甘かったようだ。


 歩いて距離を詰めてくる。

 こいつは百頭竜の中でも最強クラスなのだろうが、超越者でないのならテュポーンよりはまだ勝ち目がある。

 迷宮の力とやらを使われる前に、一瞬でカタを付ける必要があるだろう。

 出来るのか? 俺に。

 魔力剣の最大射程はどれくらいだ。

 まだだ、まだ遠い。もう少し……。




。私の自己紹介の必要はあるか?」


 カオスは俺の間合いの外で立ち止まっていた。


 名前を……。

 いや、クロノスですら俺の名前を知っていた。

 終わりの迷宮の主であるこいつは、俺の存在をとうに掴んでいたのだ。


 自己紹介だと? そんなものは――


「不要だ、




「そうか。私とお前の間には挨拶も不要だろう。だが伝えておこう。邪魔者は全て片付いた。《毒の超越者》も、《死の超越者》も。そして今、《嵐の超越者》も地上から去った。だから、我々もこの地上から去ることにする」


「……は?」


 何を言っているのか分かりかねる。

 クロノスが後ろから駆けてきた。

 俺の間合いに入るつもりなのかと警戒するが、カオスの後方で止まる。


「え? オロチとは戦わないの? 今ここで殺しても同じじゃない?」


 …………!


 クロノスは非情さも冷酷さも見せず、さも当たり前のように、いつもの調子で言ってのける。

 こいつにとって俺を殺すことなど、それくらい軽いことなのだ。


「いや、オロチやパラディンにも迷宮の果てを見て貰いたい。決着はその後でいい」


 そう言ってカオスは、倒れているハイドラにも視線を向けた。


「ああ、なるほどね。僕は別にどっちでもいいけど、カオスがそうしたいなら」


 カオスとクロノスの後方で、再び転移門が展開される。


「そんなわけでオロチ、僕たちはもう行くわ。お前にとっても悪い話じゃないだろ? 今の戦力じゃお前らに勝ち目は無いからね。せいぜい万全の準備をしてから挑んできな。ただし――」


 ニヤリと笑い、クロノスはこう付け加えた。


「ちんたらしてたら、僕たちも更に強くなっちゃうぜ?」


 円形の向こうに景色が見える。

 今度は夜空ではない。


 石造りの屋内。所々に大きな柱が立っているのが見える。


 あれは……《終わりの迷宮》の神殿階層か!


「我が迷宮の果てで待つ」


 それは、カオス――ヒュドラから俺への宣戦布告だった。


 その言葉を最後に、カオスとクロノスは神殿階層へと進み――

 転移門はその姿を消した。


 俺の足は震えていた。


「後ろから斬り付けてやるべきだったか……。クソッ」


 悪態が声に出た。




 ――空間魔法。


 俺が使う収納などもその一種だが、奴の魔法は規模が違う。

 空間転移、異空間迷宮、そして対超越者結界。

 どれを取っても、ヒュドラ一味の強さを支えた魔法ばかりなのは疑いようもない。

 いや、超越者ヒュドラを造り出したエキドナこそが真の天才なのかも分からないが……。

 カオスならばいずれエキドナの領域など凌駕してしまう、そんな予感すらある。


 床で寝ているハイドラを見た。

 倒れたときに比べ、疲労の色は見られない。

 ならばもう休息は充分か。


 水魔法で水球を召喚すると、それをそのままハイドラの顔面に投下した。


「ぶほぉっッ!!??」

「起きろ、ハイドラ」


 女子的に問題のある叫び声は聞かなかったことにして声をかける。


「げほっ! ゲホッ!」

「大丈夫か?」


 むせている原因は俺なのだが、それはそれとして若干心配になった。

 なるほどこれがマッチポンプか。

 こんなデカい女を抱えて家まで戻るとかしんどいからな。

 後でなんか文句言われそうだし。


 上体を起こしたハイドラは辺りを見回す。


「おい、あいつは? ヒュドラはどうなった」

「テュポーンならお星さまになった」

「はぁ?」


 正直よく分かんねーんだよな。

 今のカオスとクロノスでは、やっぱり超越者は手に余るようだったし。

 あれ、生きてんのか死んだのかどっちなんだ?




 ――その時、突然大きな音が響き渡った。


 それは今俺たちが居るビルの下、地の底から響き渡るような音だ。

 ハイドラと顔を見合わせる。

 この音は何か。

 例えるならば、生物由来の音に似ている。だが――

 だが、規模が余りにも大き過ぎる。


 その音はまるで……『咆哮』だった。

 心当たりはある。

 音が聞こえた方角、ビルの端へと駆ける。起き上がったハイドラが続いた。


 眼下にはうごめく瓦礫の山――《百頭竜》イルヤンカが頭部と思しき部位をこちらに向け、唸り声のようなものを上げている。


「あいつ……こっちに気付いたのか。派手に騒いだからな。どうする? スネーク」

「ヒュドラに比べればあんなのは雑魚だ。今やれるか?」


 ハイドラは両の手を握り締め、絞り出すように言う。


「ああ、やれる。スネーク……。この街を解放するために、お前の力を貸してくれ」

「力でも知恵でもなんでも貸してやる。だからお前も俺に協力しろ」

「もちろんだ……」

「イルヤンカを始末したら次はヒュドラだ。俺たちがヒュドラを倒す」

「…………! 当然だ!」


 それだけじゃない。

 二度とこんなことが起きないよう、超越者にも眷属にも睨みを利かせる必要がある。

 それは恐らくお前の仕事だ。


 超越の力に対するくさび、《冥王》に頼り切って生きることはもう出来ない。

 だから、お前が――――

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