第119話 宿敵邂逅

 背後から俺を抱え込むハイドラは、俺の耳許にそっと囁く。


「知らなかった……」

「?」

「銃って凄く強いんだな」

「んなわけねーだろ!!!」


 あんな威力の交番の拳銃があってたまるか!

 あったらヒュドラハンター引退して後は警察に任せるわ!


「ただのボケだよ……」

「俺のもただのツッコミだよ……」


 お前のはボケなのか本気なのか分かりづらいけどな!


「おら、いつまで寄り掛かってんだスネーク。シャキッとしろ」


 今の攻撃のあまりの威力に、後ろに倒れかけていたのをハイドラに支えられていた。

 背中を押されて助け起こされる。

 なにこのイケメン女。


「ありがとう、助かった…………ハイドラ?」


 振り返ったら、何故かハイドラが居なかった。

 手品か?


 ……いや違った。

 俺が振り返ったのと逆側の死角に転んだらしい。

 ドサリという音がした。

 慌ててそちらを向くと、ハイドラはうつ伏せに倒れていた。


 大丈夫か? 今顔面から行ったよな?

 転んで頭を打ったくらいで死ぬようなタマでもないだろうが。


「おい……どうした?」


 慌ててしゃがみ込むとハイドラをひっくり返す。

 背中にも正面にも外傷は無い。呼吸もある。

 鑑定しても怪我などの異常はみられない。

 気絶しただけか? 何故?


 まさか、本気で攻撃した反動でこうなったのか?


 強すぎる力は反動を呼ぶ。

 ……つったって、一発ぶっ放したら倒れるとかコスト悪すぎでは?

 こいつ、絶対にソロでは戦闘させたらダメなやつだ。

 護衛必須とかある意味、王様らしくはあるな……。


 ハイドラが手に持っていた拳銃は床に落ちていた。

 うわ……なんだこれ。

 原形を留めているのはグリップまでで、弾倉から先は融解してしまっている。


 この銃そのものは、先程の攻撃の威力とはほぼ関係ないはずだ。

 以前エーコに、魔術師は杖を持つことで精神集中の助けにするという話を聞いたことがある。

 ハイドラにとって、拳銃は魔術士の杖のような役割を果たしたのか。

 しかし、これではもう使えまい。

 情報収納に入れて、形だけでも修復しておくか?

 でも、本当に銃があったからあの威力だったのだろうか。


 怒り――


 ハイドラは怒っていた。

 そういう感情はあるのだと思っていた。

 こいつの故郷を滅ぼした百頭竜イルヤンカに対しては。

 だが、それだけではなかった。

 超越者ヒュドラが滅んだ今となっても、ヒュドラへの怒りは消えていなかった。

 テュポーンという敵性超越者が、ハイドラの眠れる素質を呼び起こしたのか。


 向かいのビルから、再び爆音が響く。


 瓦礫が渦のように巻き上がった。

 やはり、そう甘くはないか。

 気絶したハイドラを抱えて走ったところで、逃げ切れるものではない。


 ボロボロになったローブ姿の全身から流血し、テュポーンは宙に立つ。


 …………?

 何か違和感がある。

 ローブは分かるけど、なんであいつは全身を怪我しているんだ?

 ハイドラの攻撃は一点集中の銃撃だった。

 超越者が瓦礫に飲み込まれたくらいで怪我をするとも思えない。

 傷が一箇所なら分かるが、どう見ても満身創痍だ。


 ……確かこいつは「力を削られ過ぎた」、「回復まで今しばらくかかる」。

 以前そう言ってなかったか?

 ハイドラの攻撃が効いたのはそのせいだったのか?


 空中を歩くようにこちらへ近付いてくる。

 そして、テュポーンは再びこちらのビルへと降り立った。

 感情は鑑定できないが、表情からは凄まじい怒気を感じる。


 もしかすると、ダメージを負った今のこいつなら俺でもやれるのか?

 考えるだけ無駄だ。選択肢などもう無い。


「やめときなオロチ。お前じゃ無理だよ」


 この高めの声は。


 テュポーンの後方、崩れたビル壁の上にいつの間にか腰掛けている。

 白い長髪と中性的な外見の少年。

 クロとかいう異能者だ。いや、多分こいつは――


「クロノス……今まで何をしていた」

「あ、その名前はまだ伏せてたのに。バラすの早いってテュポーン様」


 最悪だ。

 この期に及んで敵が増えるとは。

 だが、そんなことよりも。


「《百頭竜》……クロノス」

「そう。僕はヒュドラ《九つ首》がひとつ――百頭竜クロノスだ。その様子だと、お前にはもうバレてたのかな?」


 これで……八体目。

 じらしてくれるじゃないか。

 俺はどうも引きが悪いようだ。

 目当ての奴を、最後の最後まで拝めないとは。


「それにしても酷い有様だね、テュポーン様。まさかそこに転がってる女に、そこまでやられたわけじゃないよね?」


「違う。だがなんだあの眷属は。創造主の頂点たるわしを攻撃するなど」


「あれはドゥームフィーンドといって、ヒュドラを狩るヒュドラ生物。そんなことより、その傷はどうしたのさ」


「そんなことだと! そんな眷属がいるなどとは聞いていない! 一体――」


 クロノスはその剣幕も無視し、ひたひたとテュポーンに歩み寄る。

 その顔はあくまで軽薄で、緊張感など微塵も感じられない。

 ニヤニヤしながら、こう言った。


「イソギンチャク野郎にボコボコにされたんだろ? さっさと迷宮に逃げ込みゃ良かったのに。それとも、《カオスの迷宮》には入れなかったのかな?」


「貴様、何故そ」


 言い終わる前に、テュポーンはその首の半分以上を斬り裂かれ、頭部があり得ない角度に回転する。

 同時に、その身体の周囲に不可視の魔力が渦巻いた。


「おおっとォ!」


 クロノスは初めて焦ったような声を発し跳び退いた。


 なんだ? 俺は今何を見せられている?


「やっぱり僕程度の力じゃ、一撃で倒すとかは難しいね」


 テュポーンはちぎれかけた己の頭部を両手で支えて元の位置に戻し、口からゴボゴボと血を噴き出す。

 凄まじい速度で首を修復しているのが見て取れた。


『欲を……かいたか……? 貴様が裏切ろうとはな』


 上手く発声できないのか、念話になっていた。

 いや、元から念話だったのかもしれない。

 俺が気付いていなかっただけで。


「心にやましいところがあるヤツは、他者もそうだと決めつけて疑い深くなるんだな。欲をかいたのはあんただろ。裏切り? 僕は何も裏切っちゃいないさ」


 軽い調子でクロノスは返す。


『貴様らの親ともいえる、《ヒュドラ・オリジン》たる儂を攻撃して、裏切りではないだと!』


「今は《嵐の超越者》なんでしょ? なにが親だか。ヒュドラを利用することしか考えない、今はもうヒュドラの血族ですらない。そんな奴に、僕が与するとでも?」


 その言葉に、ヒュドラ・オリジンとヒュドラ生物の関係性が込められていた。


 かつて夢幻階層で会った小木おぎさんは、「ヒュドラ生物とは個々の命を軽く見て、それよりも種の存続を重視する生物」だと分析していた。


 それは恐らくヒュドラ・オリジンに都合が良いように、植え付けられた性質。

 だからヒュドラではなく別の超越者になってしまったテュポーンは、ヒュドラ生物たちが命をかけて守るべき対象ではなくなってしまったのか。


 クロノスが言ったイソギンチャク野郎とはアネモネのことか?

 テュポーンはこの街で超越者ヒュドラが消えて嵐の超越者になった後、すぐに終わりの街に向かったのか。

 それはなんのためか。

 ……《終わりの迷宮》の奥底には何かがある。

 だが、ヒュドラではない超越者になったテュポーンはそこに入れなくなった?

 何故なら、迷宮には《対超越者結界》が張られているのだから。


 そして。記憶の中でエキドナが、この街の迷宮を《イルヤンカの迷宮》と呼んでいたように、迷宮の名前は『主の名前』を付けるのが正式名称なのだと思われる。


 クロノスは《終わりの迷宮》のことをこう呼んだ。


 ――《カオスの迷宮》、と。




「ヒュドラ・オリジンはもう不要だ。あんたで最後の一体。そろそろくたばれ」


『…………! っ調子に乗るな、若造がぁッ!!!』


 今にもクロノスに襲いかからんとしたテュポーンは、しかし、急にたたらを踏む。


 身体が、少し縮んでいる?


 それだけではない。

 若々しかった顔は急激に年齢を刻み、中年から老齢のそれへと変化していく。

 擦り切れた豪奢なローブが不釣り合いな、老魔法使いがそこでよろめいていた。


『こ、これは……貴様……よくも』


「そんな人のせいみたいに言われてもね。僕はあんたにかけていた魔法を解除しただけだよ。それがあんたの本来の姿だ」


 時間魔法……!

 こいつがアンチエイジングなんて言っていたのは、冗談とかではなかったのか。

 ヒュドラ・オリジンの大半は寿命で死んだというのがモニクの推測だった。

 クロノスが自らを裏方と言っていたのは、オリジンの寿命を伸ばす仕事のためか?


 なら、ヒュドラの――いや、エキドナの目的は。


「我ながらくだらない魔法だよ。確かに『迷宮の力』を使えばもう少しマシな術になるんだろうけどね。エキドナの奴、そんなくだらねーことのために人類を半分も殺しちまうんだから恐れ入る」


 ……………………!!


『貴様とて! それに加担したではないか!!』


「ヒュドラ生物を創造主の命には逆らえない存在にしておいてよく言う。だけどそれにも抜け道があるというか、僕たちには僕たちの考えがあったのさ」


 エキドナの動機も聞き捨てならなかったが、それよりもその後のクロノスの発言のほうが気になる。

 僕だと? そう言ったな?


 その疑問はテュポーンも同様であったようで――


『……まさか』


 空間が歪むような気配がした。


 いや、間違えるはずもない。

 俺はこの魔力の流れを知っている。


 これは……《空間転移》の魔法だ。


 そしてその場に、もうひとつの人影が姿を現した。


 そいつは、まるで神話の世界から出てきたような男だった。

 古代ギリシャの彫刻のような体躯。

 形だけではない。

 肌は色白で、髪も衣装も白い。

 だから、より石像などの美術品か何かのように錯覚してしまう。


 豪奢な衣装はエキドナやテュポーンと同様に、『現代人に合わせた姿で人類の中に潜伏する』という思想が欠片も無い格好だ。

 そんなことは必要ないと言わんばかりの、強者の思考。


『カオス……き、貴様も……』


 こいつが。


 ヒュドラ《九つ首》の九体目。


 ――《百頭竜》カオス!


 同じだ。

 ハイドラが激昂していたとき、俺は比較的冷静だった。

 だが、本当は俺もハイドラと同じなんだ。

 あいつが先にキレちまったので冷静にならざるを得なかったということもあるが、それだけじゃない。


 世界各地に現れた《九つ首》。九体でひとつの超越者。

 そうじゃないんだ。

 あるいは《ヒュドラ・オリジン》エキドナこそがヒュドラの首魁。

 それも違う。


 俺は世界を救うなんてガラではない。

 遠い異国の地で起きたことなんか知らない。

 人間だって弱くはない。

 それは、その地に住む人々が解決すればいい。


 俺にとって『ヒュドラ』とは――


 俺の『怒り』の対象とは――


 あの日、俺の住む街を滅ぼした奴のことだ。

 最上もがみさんを、小木おぎさんを、店長を、コンビニの皆を殺した奴のことだ。

 それを直接実行した奴のことだ。

 あの《終わりの迷宮》の主こそが。


 つまり――




 こいつこそが、『ヒュドラ』だ。

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