第83話 東の果て

 転移先にあったのは川だった。


 幅広い川に土手、車道や鉄道の橋が見える。

 ここは……封鎖地域の東の境界線だ。

 ただし地上ではなく夢幻階層の、ではあるが。


 俺が望む場所。

 夢幻階層の中では黄金騎士の現在地から最も離れた場所。

 つまり最も安全な場所だ。

 どうせなら地上に出てくれれば良かったのだが、逸る気持ちに阻害されてしまったか。

 それとも元々、俺が転移魔法を使っても長距離は跳べないのか。


 ブレードの姿はどこにもなかった。

 あいつはあいつの望む場所へ跳べたのだろうか。

 石壁の中、とかではないことを祈る。

 俺も石の中とか空中とかに跳ばなかっただけ、幸運に感謝するべきだろう。


 川向うを見やる。

 ここは現実の街ではないので、橋の向こうの外界など存在しない。

 白いもやで向こう岸を見ることは出来ない。

 霧の中に蜃気楼のような街並みが浮かんでは消えている。

 しかしその形は揺らめき変化していて、見るからに幻覚のようだ。


 ブレードが言っていたように、向こう岸には何もないのかもしれない。


 川の水は多分見た目だけだ。

 上空でヒュドラ毒が消えたりしているわけではないのだろう。

 真上まで行けば分かるだろうが、あの橋を試しに渡ってみる度胸はない。

 二度と帰ってこれなくなりかねない。




 公国騎士の団長、黄金騎士のエリクトニオス……。

 流石はドゥームダンジョン亡国ルートの裏ボスの役割を担うだけはある。

 完敗だった。

 一時的には俺とブレードとの二対一だったというのに。


 ランダム空間転移という、一歩間違えれば為す術もなく死ぬだけのアホみたいな魔法に頼るしかなかった。

 結果としては助かったが、戦って活路を開くのと確率的にどちらがマシだったのかは非常に微妙なところである。


 そういえば……居るのかどうかは知らないが公国ルートの最後の敵、つまり亡国側の裏ボスにはまだお目にかかっていない。

 あんな黄金騎士レベルの敵が、もう一体いるとか考えたくもないが。


 もしその役割を担う者が存在したなら、そいつがドゥームフィーンドの親玉ということになるのだろうか?

 ブレードにもっと詳しく聞いておくべきだったか。

 今回ドゥームフィーンドとは無駄な戦闘をなるべく避けるつもりだったので、そいつについての質問を疎かにしてしまった。


 今の状況で戦闘を極力避けるのは当然として……。

 果たして公国騎士の奴らの目を掻い潜って地上に戻れるかどうか。

 西の駅の改札口を塞がれてしまったら脱出は容易ではない。


「ぐっ……」


 身体の痛みは引かない。

 しかし多少は慣れてしまったのか、歩けないこともないだろう。


 急いで出発……いや、急ぐべきなのか?


 俺の現在地は夢幻階層の東の端だ。

 黄金騎士は今西の端に居る。

 そして上階への階段がある西の駅は、ほとんど西の端寄りだ……。


 どう考えてもあいつらが駅を抑えるほうが早い。

 しかし、あいつらは俺の現在位置を知らない。

 俺が夢幻階層に居るのかどうかすらも分からないはずだ。

 総大将と四騎士が、来るかどうかも分からない敵を駅前で待ち続けるなんて馬鹿な真似をするとは思えない。


 なら、しばらく夢幻階層に潜伏するという手もアリかもしれないな。




 いずれにせよ、可能な限り西の駅には近付いておきたい。

 少しずつでも回復させながら進もう。

 どの道を通っていくかだが――


 ふと空に違和感。

 見上げると、ヤバいものが視界に入る。


 ワイバーン……!


 西の空からこちらへ向かってくる。

 今のコンディションではとてもあんなのとは戦えない。

 それにあんなデカいトカゲが暴れたら非常に目立つ。

 俺の居場所を知らせるようなものだ。

 二重の意味で交戦を避けなければならない。


 土手を降りると、手近な民家へと駆け込む。

 中に入ったら民間人の住人――もといクソよわヒュドラ生物と目が合った。


 めちゃくちゃビックリした!

 ちょっとお邪魔します!


 住人は少しこちらを見たがそれだけだ。

 やる気のないゾンビみたいだな。

 無視して二階に上がり、窓からワイバーンの位置を確認する。

 こっち来んなこっち来んな……。


 下手クソな気配遮断の魔法を駆使して息を潜める。

 ワイバーンは境界線の川は越えずに、旋回して再び西に向かった。


 とりあえず凌いだか。

 ほっと一安心したところで、嫌なことに気付いてしまった。

 あのワイバーン、妙にゆっくり飛んでいるが……。

 それでも飛行生物からすれば、封鎖地域なんてたいした広さではない。

 きっちり外周を回ったところで一周一時間もかかるまい。


 つまりこの夢幻階層では、ほぼ常時あのトカゲを警戒しなければならないのだ。

 先の黄金騎士戦で、アレに見つからなかったのは奇跡に近い。

 ただでさえボロ負けだったのに、あんなのに乱入されていたら命は無かった。


 とりあえず一階に下りる。

 また住人と目が合った。


「あ、お邪魔しました……」


 言ってる場合じゃないが、なんとなく……。

 害はないからな、この人たち。




 外に出ると、まず高架線を目指した。

 この辺りの駅で途中下車したことはほとんどない。

 地理に明るいわけではない。


 なら道路沿いか線路沿いに進むのが無難だが、障害物のない道路の真ん中とかを歩くのは論外である。

 線路沿いのほうが、高架橋の下に潜れるのでワイバーン対策としては無難だろう。見つからなければいいだけなのだ。


 少し北上してすぐに高架線を発見した。

 線路の下は駐車場やスーパーになっており、ある程度は空から身を隠して進むことが出来る。

 よく分からん建物は避けて進むしかないが、ワイバーンが近くに居なければそれでも問題ない。


 すぐに最初の駅に到着した。封鎖地域内で最も東の駅だ。

 俺の地元駅まではあと三駅。

 上階への階段がある西の駅までは四駅である。

 急げば一時間程度で着く距離だ。


 駅構内を進む。

 街の住人はちらほらと見かけるが、申し訳程度の人数だ。

 このドゥームフィーンドのプロトタイプとでもいうべき存在の人数は、元々の街の人口からすればほんの一部に過ぎないのだろう。


 もっとも、彼らが生前の人間をかたどっているのか、それとも全く関係ない姿なのか、それは俺には分からない。


「ん?」


 思わず声が出た。

 明らかにおかしいのが居た。

 あれは絶対に生前の姿ではないはずだ。


 だって、そいつは犬の頭をしていたのだから……。


 コボルドじゃねーか!

 なんでこんなとこに???

 いや。ワイバーンとか飛んでるくらいだし、この街にドゥームフィーンドが居るのは別に不思議でもなんでもないはずではあるんだが。


 この最終階層に、最弱のモンスターが居るのはやはりおかしいのでは?


 でも最弱というなら街の住人のほうが弱い。

 俺みたいな侵入者から見れば危険過ぎるこの街も、ヒュドラ生物にとっては安全な場所なのだろうか?

 雑魚モンスにとっては、迷宮の内ゲバもあんま関係ないのかもしれない。

 ドゥームフィーンドの幹部が全滅したら、次はお前らの番だと思うけどな……。


 そういえば地上の雀型ヒュドラ生物、あいつらが飛んでた場所にアオダイショウが現れたこともあった。

 偵察役……斥候とかそういう可能性もあるか。やっぱ消しとくべきか?

 観察する視線に僅かに殺気を込める。


 するとコボルドはこちらに気付き、素早く物陰に引っ込んだ。


 あまり全力で追いかける気もないが、その場所に近付く。

 いつの間にかコボルドは道路まで逃げており、遠くからこちらの様子を伺っている。その気になればすぐ追い付くが。

 逃げるときは徹底的に逃げないと死ぬことになるぞ?

 敵ながら少し心配になる。


 身長は一メートルと少し。コボルドの中でも小柄なほうだろう。

 特徴的なのはその服だ。

 なんとなく、ゲームの神官を思わせるような服装。

 今まで遭遇していなかったが、派生モンスターってやつだな。

 実装されていたのか。


 あのコボルドが他のモンスターの『目』を担う斥候役である可能性もなくはないが、それを言うなら街ゆく人々も疑ってかからねばならない。


 キリがない。

 それに俺は、戦意の無い相手を狩る気にはなれない。

 必要なのであれば別だが、あれが斥候だというのは憶測の域を出ない。


 コボルドは無視して、次の駅へと進むことにした。

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