第70話 セルベール

「セルベール。我が同胞を手に掛けた罪、今日こそあがなってもらおうか」


「ふふ……吾輩は創造主殿より預かるこの地に入った余所者を始末したまでのこと。貴殿とてそれは承知ではないのかね?」


 つまりこのセルベールは「ドゥームダンジョンに入ってくる奴は味方だろうと殺す」という、とんでもない危険人物ということでよろしいか?

 デストラップすぎるだろお前。


 ホワイトライダーの表情は見えないが、なんとなく苦々しい雰囲気は察せられた。

 だいたい事情は飲み込めたわ。俺もう帰ってもいい?

 好きなだけ同士討ちしててくれ。


「私だけならば分からぬが……そこのオロチもいる以上、貴公の暴虐も今日までと知れ」


 やめて俺を巻き込まないで。

 まだ手を貸すなんて言ってないだろうが。


「ほう……オロチ。なるほど、貴殿の名はオロチ殿というのか」


 こっちに興味を移すんじゃねえよ!


「おい、ホワ――」

「白騎士殿。何度も言うようだがこのドゥームダンジョンの護りは我らドゥームフィーンドの仕事。ならばこの人間の始末も吾輩が任されてしかるべきではないのかね?」


「…………」


 なに急に黙ってんだよホワイト。まさか……。


「なるほど貴公の言い分にも一理ある。ならば今日のところは私が引き下がろう」


 こ、コイツ……!

 俺とセルベールをぶつけて自分は先に帰るつもりかよ!

 なんて卑怯な奴なんだ……俺もさっき同じ手で行こうと思ったけども!


 言うやホワイトライダーはきびすを返して立ち去ろうとする。

 ちょ、待――


 追おうとした瞬間、セルベールから膨大な殺気を叩き付けられた。

 背後を見せたらられる。

 俺はセルベールの攻撃に備えるために、そこから一歩も動けなくなってしまった。




 ホワイトライダーの気配が完全に消え去るまで僅かな時間しか経っていない。

 しかし俺には自身に強いられた集中によって、途方もなく長い時間のように思えた。


 ス……とセルベールから殺気が消え失せる。


「あ……?」


 なんだ? フェイントか?


「もう白騎士殿は去ったようだな。演技はこれくらいでよかろう」

「演技だと?」


「あの男、オロチ殿になにか交渉を持ちかけたのであろう。おおかた自分の手を汚さずに、ドゥームフィーンドを始末させようとした。そんなところであろうよ」


 まあ……だいたい合ってるな。


「吾輩としては、そのような企みに乗るのはいささか面白くない。であれば今ここで貴殿と殺し合うこともなかろう」


「そこは一応同意しとくぜ……。つーかお前らなんでそんな仲悪いんだ?」


「ヒュドラ生物とて一枚岩ではないし、ドゥームフィーンドという狭い範囲で見ても然り。後者は吾輩にとって、少し嘆かわしいことではあるのだがね」


 悪そうな笑みを浮かべるセルベールの目が、一瞬細められる。

 その辺もう少し詳しく聞いてみたいが、いつこの危ない奴の気が変わるか知れたものではない。なるべく早めに撤収しよう。


「じゃ、俺はこの辺で――」

「興味は無いのかね?」


 …………?


「吾輩は知っている。ヒュドラ生物のことも、人類のこともだ。流石に超越者の心の内までは分からぬがね。貴殿がどのような道を行くのかは知らないが、吾輩の知識が役に立たぬということはあるまいよ」


 なんだと……?


 こいつ……こいつは本当に狂ったモンスターなのか?

 たとえ敵同士のことでも味方殺しなんてろくなもんじゃない。そう思っていたが、なにか理由や信念があるのだとしたら……いやまさか。


「人類のことも、と言ったか?」


「然り。我が能力は魂の記憶を読むことだ。なればドゥームフィーンドたちが持つ、かつて人だった頃の記憶も我が知識の一部とすることが可能」


「お前……まさか、人間としての記憶を持って――」


 それは、ハイドラと同じ――


「違う。それは違うのだよオロチ殿。吾輩は人間の記憶もヒュドラ生物の記憶も読めるが、それは吾輩自身の記憶ではない。吾輩は人間ではない。ヒュドラ生物であるつもりすらない。吾輩は《滅亡の悪魔ドゥームフィーンド》セルベールという、ただひとつの個体なのだ」


「……俺にそんなことを教えて、どうしようってんだ?」


「吾輩も貴殿と交渉しようというのだよ。我が望みは、『地上の超越者にドゥームフィーンドの存在を見逃してもらう』ことだ」


 それが俺に協力する条件ってわけか。

 悪魔フィーンドとかいうだけあって、まさに悪魔の取引としか思えん。


「超越者なんざひとりしか知らないし、俺の頼みを聞いてくれるとは限らない。それにドゥームフィーンドは人を襲う。地上に出ても見逃せ、なんて言えないな」


「迷宮の上にいる《死の超越者》だけで結構。また本能で人を襲うドゥームフィーンドは自我のない脆弱な個体。どうせヒュドラ毒の外には出られぬし、そもそも人間の軍隊には勝てぬよ。野生の獣と大差ないのだ。問題はあるまい?」


 う? ううん……? なんか筋は通ってるな?

 こいつと口論するのは危険な気もする。モニクに相談するか。

 ん? ちょっと待て? 今の言い方だと――


「お前……。ヒュドラ毒の外に出られるのか?」


「左様。我が力は既に百頭竜の域に近付きつつある。よって生きるためにヒュドラの呪縛を必要とはしないのだよ。吾輩にとっては、外の世界よりも《死の超越者》の気まぐれで消されることのほうが問題なのだ」


 気まぐれって……。

 まあ確かにモニクは、ヒュドラ生物皆殺しってわけではないからな。

 手を下すのは必要なときだけだ。

 こいつらからすれば、消される基準が分からないから警戒するしかないってことか。


 こんな奴を野に放っていいものかどうか俺には分からない。

 でも力だけでいうなら。世界には超越者やその眷属、それに異能者たちが元より存在していたのだ。

 そしてヒュドラのようにやり過ぎた奴は、他の超越者に粛清される。


「一応聞くだけ聞いといてやる。情報の礼だ」

「それは有り難い」


 セルベールはいかにも裏がありそうな悪人の如き笑顔で答える。

 この顔を見てると全然信用できねえ~。


「もうひとつ教えてくれ。他のヒュドラ生物でも、鍛えればヒュドラ毒の呪縛を克服できるのか?」


「人語を解するだけの知能と闘争本能を抑える理性。それだけの素質があれば、いずれ百頭竜に至ることも不可能ではない」


 心を見透かすような笑みだ。

 まさに俺の望むような答えを突き付けられた。

 こいつ……どこまで知ってやがる?




 そして俺は地上に引き返した。

 結局今日は探索が進まなかった。むしろ昨日より浅い場所で終わってしまった。


 地元の駅まで戻り、北口を越えてハイドラを探す。

 見つけたいときには見つからないものだ……。


 今度スマホでも持たせておくべきか。最近は電話も通じるようになった。

 本人の死後も銀行の引き落としが続いていて、今でも使える端末とか結構落ちてそうだからな。

 それをいうなら生前のあいつ自身のスマホが生きている可能性もあるか。


 適当にふらついて、街の清掃と復興作業をする。

 考えることが多くて、メシを食っていてもどこか上の空だった。




 名前……名前なあ。

 名前ってのは魔法に重大な影響を及ぼしている。

 蛇に由来する名を持つヒュドラ生物が強大な力を宿すように。

 ハイドラなんて名前を付けちまったのが、吉と出るか凶と出るか。


 それにあの男の名前……セルベール。

 フランスっぽい名前だが、綴りはCERB`REってとこか。

 ならばその別名はケルベロスだ。

 ゲームキャラの名前として、元は深い意味なんて無かったのだろう。


 ギリシャ神話に登場する地獄の番犬ケルベロスは、三つの頭を持つ犬の怪物だ。

 この怪物には昔、ケルベルス座という星座が存在した。

 現代ではもう使われていないその星座では、この怪物は今と異なる姿で描かれていたという。


 ――それは、三つの頭を持つ蛇の怪物だったのだ。

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