第64話 迷いヒュドラ

 北口の路地をうろうろして、いい感じの居酒屋を見つけた。

 どこがどういい感じかというと、メニューに節操がなさそうな辺り。ここなら色々ありそう。

 知らない名前なのもいい。チェーン店なのかもしれないが、小規模展開だとたまに面白い店があるからだ。


 そんなわけで、地域の清掃と復興作業に入った。

 もうまともな食材はほぼ残っていないので、ゴミとして消失させ情報化する。

 魔力のロスが大きいが、魔力だけは無尽蔵にあるので気にしない。続いて店舗の記憶を読む。


 体力は相変わらず消耗した。感覚としては、店舗全体をひとりで大掃除したんじゃないかというくらいの疲労がいっぺんに来る感じだ。

 俺の体力も結構上がってはいるが楽ではない。


 先日はバジリスクの力を使って大規模魔法を行使した。

 しかしあんなことを自前でやろうとしたら、一瞬で体力が尽きて死んでしまう。

 いや。その場合は無意識にストッパーがかかるので、『スペック不足で使えない魔法』ということになるのだろう。


 普通に出来ることを魔法でやろうとすれば、余計に体力を消耗するという原則は変わらない。

 しかし場合によっては、魔法ならではの結果をもたらすことも出来る。

 例えばこの店舗。二ヶ月も放置された生ゴミを臭いまで全て消すとなると、労力だけでなくそれなりの時間も必要になる。だが相応な体力スペックが要求されるものの、魔法なら一瞬だ。


 もし人並みの体力しか残ってなかったとしても、キッチンシンク程度なら一瞬で清掃することも可能かもなー。などと考えつつ、引き戸の入り口をガラガラと開ける。


 暖簾は出ていたし、鍵もかかっていなかった。

 世界大災害が起きたのは昼前なので、居酒屋は開いてないんじゃないかという懸念もあったが。このお店ではランチメニューも扱っていたらしい。


 カウンターとテーブル席か。

 一応入り口が見えたほうがいいだろうとテーブル席に座る。

 ギシリと椅子に寄り掛かって壁を見上げる。一面に貼られたお品書きの数に圧倒された。

 いいね。眺めてるだけでも楽しい。休日の昼だなあ。


 で、召喚したのは生ビールと……冷奴だ。

 魔力剣の試し切りで連日食ってたけど、自分で作ったやつじゃなくて店のが食べたくなったのだ。

 そば屋と方向性が違うところに来たはずなのに、結局同じものを食うって……。


 とりあえず生ビールをひと口。そして箸で切った柔らかな豆腐もひと口。

 醤油の塩気と旨味、そしてネギとショウガの刺激。本体のシンプルで淡泊な味わいが妙に引き立つ。


 自分で作ったやつより美味い。

 おかしいな? 材料は同じはずなんだが。

 見た目の良さも大事なんだなやっぱ。こう、テンション的な意味で。




 そのとき、開けっ放しの出入り口の前に人影が立った。




 実を言うと、それが近付いてきたのは見える前に気付いていた。

 今までは鑑定索敵に引っ掛からなかったそいつを、俺は五十メートルの距離で補足することが出来ていた。

 俺の能力は確実に成長している。命の《継承》という具体的手段を伴わなくとも、能力を使い込むごとに研ぎ澄まされていっている実感がある。


 出入り口の前で一度止まったそいつに声をかけた。


「よお、ハイドラ。久しぶりだな」


 先に声をかけられたことを意外に思ったのか、そいつはやや間を置いてから暖簾をくぐって姿を現す。


「こんなとこで何してんだ……? スネーク」

「休日を満喫してるんだよ」

「それで明るいうちから酒か……」


 こちらに歩いてきたハイドラは特に断りもなく向かい側の席に座る。

 はて、俺とこいつはそんなにフレンドリーな関係だったろうか。

 むしろ本来は敵同士のはずなんだが。

 なんかこいつのこういう警戒心の無さは憎めなくもあるがな。


 ところでこいつは、俺のことをヒュドラ生物だと思っていたはず。

 だが俺が酒を飲んで飯を食ってることに対して疑問を抱いているようには見えない。

 ……ふーん?

 水は苦手でも酒なら問題ないってことか?

 他にも食事はどうしているのかとか、気になることはある。


 そろそろか……こいつと情報交換するタイミングは。

 その結果敵対したとしても、今の俺なら対処できるだろう。

 願わくば平和的に行きたいところだが。


「お前もなんか飲む?」

「あ? というか冷えたビールとか一体どこから……あるんならあたしもそれを」


 ハイドラは水滴がびっしりと付いたジョッキを見ながら疑問を口にする。

 そうだよな。そう考えるのが普通だ。

 この街の電気は止まってるし、まともな食料はあまり残されていない。


 まあお前も不思議だろうが、俺も不思議に思うことはある。

 お前……ビール飲めんの?

 ビールってほとんど水だと思うんだけどなあ……。


 だがこれはヒュドラ生物の生態について知るチャンスだ。

 人体実験みたいでアレだが、飲んでもらおうじゃないか。

 そして俺はハイドラの前にジョッキ入りの生ビールを召喚した。


「うおっ!? なんだいきなり! 何したんだ!? て、手品か?」


 ハイドラは突然出現したジョッキに慌てふためいて椅子をガタンと鳴らして後ずさる。


 あ……そっち?


「何って。魔法だけど?」

「ま、魔法だァ?」


「いやなんでお前が驚くんだよ。ダンジョンに居るソーサラーとかクレリックだって普通に魔法使ってんじゃん」


「ドゥームダンジョンに生ビールを出す魔法はねえよ……」


 意外と細かいヤツだな。いつもの強キャラ感はどうした。若干噛ませっぽい口調ではあるが。

 ハイドラは半目になりながらも恐る恐るジョッキを手に取り、ビールをひとくち飲んだ。


「うわっ……冷てえ。美味いな……」


 そのまま残りをゴクゴクと飲む。

 いい飲みっぷりだ。

 やっぱり平気なのか……。


「ちょっと聞きたいんだけどさ。お前って普通の水は飲めんの?」


「あ? 飲んでも死にゃしないけど、息苦しくなるのでゴメンだな。あと本能が拒否してるっつーか」


 ふーむ?


 ヒュドラ毒の弱点が水というのは魔法的な制約なんだっけか。

 なら、成分どうこうの問題ではないんだろうな。

 ヒュドラ毒を消せる条件はほぼ真水であること、あとは恐らく海水。

 酒は平気なんだろう。多分ソフドリも。


 水割りをどこまで薄めたらこいつにダメージが通るんだろうな?

 いやそんな酷い実験はしないが。


「メシは普段どうしてんだ?」

「別に食わなくても平気だし。多分周囲にヒュドラ毒があれば不要……って、なんでお前そんなこと聞くんだ? 自分じゃ分からねえのかよ」


「分からない。何度も言ってんだろ。俺は人間だって」

「…………」


 流石に少しは信じたか?

 それはそうと、やはりヒュドラ生物に通常の食事は不要なのか。

 ヒュドラ毒さえあれば生きていける。その代わりそれがなければ生きていけない……。


「お前が人間だってんなら、なんでこの街で生きていられる」

「知りたきゃ説明するさ。だけどその前に大事な話がある」


「……?」

「ニュースにはなってないみたいだが、先日とある封鎖地域からヒュドラ毒が消えた」


 ハイドラの表情が訝しげに少し動く。本当なら驚くべき情報だろうが、証拠は何もないからな。

 あと、俺がやったことは今は話す必要はないだろう。それこそ信じてもらえるわけもなし。


「信じる信じないは勝手だが。俺が言いたいのは、この街もそうなる可能性があるし、人間である俺はそれに協力するつもりだ。もしそうなったら――」


 一拍置いてからハイドラに問う。


「お前はどうする? どうしたいのか教えて欲しい。その内容によっては……俺も協力する」


 ハイドラから一瞬緊張感が伝わってきて、その後弛緩したような気配があった。


「協力……? なんだ、あたしはてっきり『返答次第では始末する』とか言い出すのかと」


 あ? 今の会話だとそういう流れになるか。

 会話の齟齬そごで戦闘が始まるところだった危ない。


「お前は生前の記憶と人格を持っているんだろ? だから俺としては争いたくはない。言うほど簡単じゃないことなのは分かっている」


 この街からヒュドラ毒が消えれば、ヒュドラ生物は全滅する。

 ハイドラからしてみれば、己の命を守るために人類と敵対するという選択肢はあって然るべきなのだ。


「何も抵抗するか大人しく死ぬか選べっていうわけじゃない。ヒュドラ毒に耐えられる人間もいれば、通常の空気の中で生きられるヒュドラ生物もいる」


「あたしもそうなれるって言うのか?」

「それは俺には分からない。でもお前がその気にならなければ何も始まらない」


 しばしの沈黙が流れる。


「分からねえよ、そんなこと急に言われたって。何を信じればいいのか、何をすべきなのかも……」


 んー、まあそうだよなー。いきなり言われてもそうなるよな。

 こいつ、これだけの力がありながら何の命令も目標設定も受けてないのか。

 ヒュドラ生物たちは皆なんらかの意味や目的があって創造されたはずだ。

 縄張りの支配や防衛とか。他種族を喰い殺せー、とかそんなの。


 でもハイドラは……創造主から放置され、自分の生きる意味を見失っている。

 これではただの迷いヒュドラだ。


「今日明日に結論出せって話じゃないからな。少し真面目に考えてみてくれ」

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