第三章 泡沫の街のセレネ

第63話 一場春夢

「先輩、もう交代の時間ですよ」


 感情のこもってない声でそう告げられる。

 女の声だった。


「ん? ああ……。もうそんな時間だったか」


 ぼんやりと答えて声のした方向を見る。

 コンビニ制服を着た、ショートヘアの無表情な女の子が俺を見ていた。


 レジカウンターから外を見ると妙に明るい。

 時刻は昼前とかそんな感じだろうか。

 こんな時間に交代するようなシフト、俺入ってたっけ……?


 気づけばカウンター内に三人も居る。

 レジはふたつなんだから、こんなに人はいらないな。


「お疲れ様、オロチくん」


 もうひとりの店員、年配の男にねぎらわれた。

 この人はいつも丁寧だ。

 名前は確か――


 年上の男性が小木おぎさん。

 俺より少し年下であろう、背の小さな女の子が最上もがみさん、だったかな?


 穏やかで笑みを絶やさない小木さんと、無表情な最上さんが対照的だ。

 もっとも、コンビニの店員に愛想なんてさほど求められはしない。

 個人の感想です。

 どちらのほうがよりこの仕事に向いているのかは……なかなか難しい問題だな。


 小木さんは元銀行員だ。

 リストラされて仕方なくやっているバイトが、自分に向いていると言われても嬉しくはなかろう。

 俺も就職が決まらなくて仕方なくバイトしているので、あまり他人事ではない。

 こんな理由で親近感を抱いていると言ったら、流石の小木さんも表情が曇るに違いない。


 最上さんは……なんだろうな? 学生? フリーター?

 女の子に身の上話とか聞きづらいし何者なのか全然知らない。


「じゃあ、お先に」

「はい先輩。ここは私に任せてください」


 なんだその挨拶。

 無表情無愛想だが、もしかしたら面白い人なのかもしれんな最上さん。

 ……バイト、俺のほうが先輩だっけ?

 違ったような気がするんだが。


 着替えるためにバックヤードに入ろうとドアに手をかける。

 シフト表が目に入った。


 日付は『五月一日』。

 昼番の名前は『小木』、『最上』。


 そうか。ゴールデンウィークか。

 普段の平日昼番は主婦の人たちがメイン層だ。

 たまの休みには家族と過ごすのだろう。

 だから昼番にはちょっと珍しい組み合わせの二人なんだな。




 カウンターに振り返ると二人の姿は消え、代わりに中身の無い服が落ちている。


 戻って制服を拾い上げると、名札には確かに二人の名が記されて――




 これは夢だ。かつての悪夢。今となっては一場春夢いちじょうのしゅんむ


 そして目が覚めた。

 上に見えるのは、そば屋の天井……ではない。

 ここはショッピングモールの宿直室だ。今の俺のアジトとでもいうべき場所。


 五月の頃には何回か繰り返し見た悪夢。

 その悪夢もその後アオダイショウの夢に上書きされた。

 今だにどちらの夢もたまに見るが、恐怖心は薄れている。

 それよりもむしろ――


 バイト先の人たちとは特に交流はなかった。

 だが小木さんはいい人だったし、最上さんはちょっと面白いねーちゃんだった。


 ……仇を討つには充分すぎる理由だな。




 食堂へ行くと適当な席に座る。

 屋上への窓は開け放たれ、気持ちの良い風が吹いていた。


 季節はすっかり夏だが、当然ながらセミの鳴き声ひとつ聞こえない。

 セミ型のヒュドラ生物でも居れば話は別だが、どうも虫は創造主の好みじゃないのかあまり見かけない。

 居たとしても、戦闘用ではないのかその辺をふらふら飛んでいるだけだ。


 食堂メニューのアイスコーヒーを召喚して少し飲む。

 そのままぼーっとしているとモニクが顔を出した。


「おはようアヤセ。エーコは天照アマテラスに呼び出されて朝早く出掛けていったよ」


「あー、そりゃあ呼び出されるよな。勝手にこっちに来たら。大丈夫なのかねー」


「彼女は国内トップクラスの異能者だし親族であるあめの一族の影響力も強い。実質天照アマテラスよりも立場が上だから心配は不要だろう」


 秘密組織を牛耳る財閥のお嬢様みたいなポジションだな。

 本人はせいぜい学級委員長みたいな素朴なキャラなんだが。


「こっちにもアマテラスの支部があったんだな」


「それもあるが、どうやらつるぎの街から人員がとんできたらしい。キミが封鎖地域をひとつ消し去ってしまったから、今頃向こうは大騒ぎだろうね」


 なんだか楽しそうにモニクは語る。


 外の世界の人間か……。

 俺のことはそっとしておいてほしいのだが、隠し事をしたためにエーコの立場が悪くなることは望まない。

 それにダンマスの力を過小評価して、異能者ひとりでも倒せるなどと思われたら、他の地域で要らぬ犠牲者が出るかもしれない。


 それなら俺のことは適当に情報公開してもいいと、エーコにお任せにしてある。

 どうせ俺は封鎖地域から出る気はないからな。

 個人情報をバラされたところでどうということはない。


「アヤセ。エーコに地下迷宮の案内をするのはまだ先になるだろう。今日は羽を伸ばしてきたらどうだ?」

「そうか? そうかもな……」


 昨日は引っ越しというか、俺が使ってる宿直室の近くの部屋をエーコが使うことになった。

 必要なものはショッピングモールで揃うし、《収納》もあるから持ち運びも問題ない。

 というより、必要なものは元からほとんど収納に入れてあったらしい。


 でもアマテラスに呼び出されたということは、結局は封鎖地域外からの通いになるかもしれないな。


 アマテラスにしてみても、ラスダン攻略自体を止める理由はあまりない。むしろ推進派も多いそうだ。

 しかしエーコが四六時中封鎖地域に居ることには、あまりいい顔はしないそうで。


 それは分かる。

 俺が連中の立場だったら、ダンジョン攻略以外の時間は封鎖地域の外に帰ってきてもらわんと気が気じゃないだろう。

 ヒュドラ毒の中で寝るとか健康に悪そうだしな。


 それにいい加減エーコも休ませたほうがいい。

 そうなると、ダンジョン探索もしばらくは俺ひとりかな。

 案内がてら軽く潜るくらいはいいが、それ以外はのんびり過ごしてもらおう。


「じゃ、駅前にでも行ってくるわ」

「ああ、行ってらっしゃい」


 モニクに挨拶してバックヤードを出るとスマホを確認した。

 エーコからメッセが届いている。


『アヤセくんおはようッス。剣の街対策班から人が来てるんスけど、今日は帰れないかもしれないッス…早くダンジョンに行ってみたいのに』


 ダンジョン中毒かよ。

 頼もしいんだが、《剣の迷宮》のスカスカぶりを思い出すとちょっと怖い。

 ヒュドラ生物根絶やし状態だったじゃねーか。


 エーコさん働きすぎなのでは……。

 ブラック組織に所属しているとブラック魔女になっていくのか。

 無理にでも休ませよう。


『今日は街の清掃と復興作業するから俺も留守にします。ダンジョンには行かないので外でゆっくりしていてください』


 これでよし、と。

 せっかく遠くから来たのだから観光でもすればいいんじゃないかな。

 ああ、でも東の境界線の向こうなのか。

 あの辺はベッドタウンで観光するような場所なんかないよな……。


 もし定期的に内外を往復するなら、断然東側にするべきだ。

 これは俺から提案しておいたことなんだが、エーコなりアマテラスなりにもすんなり受け入れられたのかもしれない。


 ここから西のエリアは《終わりの迷宮》の真上に当たり、ヒュドラ生物と遭遇する可能性も高い。

 剣の街で見たような巨大化生物が現れないとも限らない。

 エーコはそうそうやられたりはしないだろうが、通勤の度にいらん消耗は避けたほうがいいという考えだな。


 境界線である東の川には道路や線路など複数の橋が架かかっているので封鎖地域への出入り自体は簡単だ。

 警備中の警察や自衛隊には、アマテラスの人間が通ることは了承済みらしい。

 とはいえ例のステルスローブを使うので、彼らにもまず発見されることはないだろう。

 厳戒態勢中ならともかく、世界大災害から二ヶ月も経過した今は、バリケード前の詰所に多少の人員が居る程度だ。




 駅前へとやってきた。

 少し悩んだ後、北口へと移動する。


 さて、街の清掃と復興作業に向かうとしよう。

 しばらくそば屋のメニューばかりだったからな……なんか方向性の違うところに。

 時間はあるから、普通の居酒屋とかもいいかもな。

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