第58話 全部乗せ

「じゃ、そろそろ狩るか……」

「ど、どうやって? 私の《つるぎ》だと難しいかもよ?」


 魔力剣は攻撃力一辺倒の魔法だからな。

 生身で接近する必要がある以上、相討ちになる危険性も高い。


「エーコはビルから降りる必要はない。消失魔法を使われても、リソースを防御に回すぶん隙は作れるはず」

「なるほど。上空から魔法を使えばいいんだね」


「そ。下でも色々試してみるよ。駄目そうなら適当に切り上げるから、そんときはすぐ逃げる方向でよろしく」

「分かった」


 軽く打ち合わせすると、俺は屋上の扉へと向かった。

 人間だって、逃げるのに徹した小動物を捕まえるのは難しいからな。

 巨大化生物も、最初に遭った猫くらいの大きさだと却って逃げるのは難しい。あの虎はヤマアラシ同様にちょっと大き過ぎる。倒すのは難しくても、逃げるだけならワーウルフ相手よりずっと楽だ。




 マンションから出ると、巨大虎の居る方角へと向かう。


 奴も俺に勘付いて……なさそうだななんか。

 総じて巨大化するほど鈍い気がしないでもない。それならそれで逃げやすいから結構なことだが。


 建物の隙間からちらちらと立派な毛皮が見え隠れする。

 頭の高さは建物の二階から三階程度の位置か。

 ヤマアラシに比べて手足が長く、頭の位置が高い。あれでは地上から近付いても魔力剣の射程範囲に収まらないだろう。


 それにネコ科特有の瞬発力を考えれば、正面から近付くのは自殺行為だ。

 建物の影をつたって、斜め後ろの方向から近付いていく。


 もう少しで鑑定索敵の射程範囲、というところで多分気付かれた。

 響き渡る足音が急にせわしなくなる。

 範囲内に入るところで、俺が隠れている路地の先にその顔を出した。


 今居る路地の幅は、ヤツがぎりぎり入ってこれる程度か。ネコ科なだけに、狭いところに入るのも得意だったりするのだろうか? その気になれば、建物を壊しながら進むことも出来るだろう。


 更に言うなら、虎は高いところに登り降りするのが得意なはずだ。これは俺にとって非常に厄介な特徴である。ただ、巨大化した分の重量増加は半端ないはずで、その辺の能力はスポイルされているはず。されててくれ……。


 俺がまさにビルの壁を登ろうかどうか悩んだとき。

 路地に入ってきた虎の後頭部死角から、不可視の空気の塊が飛んできて虎の頭を包む。

 虎は頭を振って消失魔法を発動した。


 今だ……!


 前方に走り込み虎との距離を詰め、側面の壁を駆け上がる。エーコのようにビルの上まで登るのはとても無理。でも二階の上辺りで充分。路地中央に向けて跳ぶ。

 着地点は虎の後頭部、そのすぐ後ろだ。

 アックスホルダーから抜いた手斧を振り向きざまに一閃する。


 浅い!

 毛皮に阻まれ刃は途中で止まる。

 咄嗟に身を低くし虎の体毛を掴んだ。振り落とされないためだ。


 何故だ。

 確かに巨大さ故に分厚い毛皮ではある。しかし硬度でいえばワーウルフと大差ない。人狼の手を易易やすやすと斬り裂いたこの武器が何故通用しないのか。


 あのときの切れ味……常に発揮されるものではないのか?

 そういやあれ以来、一度もこの斧を使っていない。

 水魔法も手斧も通用しないとなると、どうやってこいつを仕留めたものか。


 違和感。

 背中に乗られ、攻撃までされたというのに虎が動かない。普通なら反射的に振り落とそうとするはずだ。掴んでいる体毛が蠢き、硬くなるような感触があった。


 直感が最大級の警鐘を鳴らし、掴んでいる体毛を即座に離す。


 どこに逃げる?

 正面、背後、側面。いや、俺の勘が正しければ全部危険だ。

 俺は肩の後ろを滑るように、そのまま地面へと落ちた。

 次の瞬間、虎の背から槍のような物が生えて頭上を通過し、側面のビルに突き刺さる。


 ヤマアラシのトゲ……。

 こいつは、虎とヤマアラシのキメラだ!


 なんてこった。背中に乗れるならまだ対策のしようもあったのに、虎の機動力を持った巨大化生物と地上で戦う羽目になるなんて。

 これもう逃げる算段に入ったほうがいいな。どっちへ進む?


 路地の正面、大通りに向かって駆けた。

 虎の正面は危険すぎる。背後のヤマアラシのトゲのほうがマシ。ただし広い場所は俺には不利。すぐにどこかへ駆け込まなければならない。

 幸いにも道路を渡った先に、今よりも狭い路地がある。虎が体勢を立て直す前に、即座に飛び込んだ。


 振り返ると信じ難い光景が目に入る。

 虎は上体を持ち上げると、後ろ足二本で直立しようとしていた。

 脚が肥大化し、骨格が変形していく。虎人間にでもなろうってのか?

 いや……。

 この骨格は人間のそれではない。マッチョにも限度がある。

 異様に太く短い脚と長い腕……この骨格は。


 ゴリラ――


 虎はヤマアラシだけでなく、ゴリラの特徴をも取り込んだキメラとなって立ち上がった。

 そして俺のほうへと、ゆっくりと振り返る。

 その顎は、異様に前方へと突き出ていた。

 地上で最強の咬合力を持つ生物――ワニの顎だ。


 こいつは、さっきまで殺し合っていた巨大化生物の長所を全部乗せしたキメラ……いやもう大怪獣だった。


 駄目押しとばかりに、側頭部から鹿のツノが生える。

 鹿のツノ。いや武器にはなるかもしれないけどさあ。

 頭部がそんな高い場所にあるのに、いったい何と戦うつもりなんだよ!?

 体高十メートルとか軽く超えてるんだが……。


 バジリスクの本気を見た気がする。

 いや、これもうバジリスクより強いんじゃねえの?


 おかしいな。あいつは自分より強い部下とか造らなそうなんだが。

 あいつバカだから、うっかり想定外に強くなっちゃっただけか?


 でも、百頭竜って自分より強いヒュドラ生物を造れるんだろうか。

 それはなんかおかしい……。魔法の原則に反しているような気がする。

 俺はまた、何かを見落としてはいないか?


 それを考えるのは後にしよう。

 今はこの虎をなんとかしなければ。

 虎……虎かなあこいつ。

 もうあんま原形を留めていないんだが。


 ゴリラの体躯。

 ワニの咬合力。

 ヤマアラシのトゲ。

 鹿のツノ。

 虎の毛皮……。


 虎要素、意味なくない?


 うーん、これだけ身体の構造を変えられるのなら、体温上昇によるオーバーヒート問題も解決しかねない。

 身体をヒラキにして熱を逃したりとかな。




 とか考えてたら大怪獣は縦に真っ二つになった。




 ……え? 本当にやるの?

 それにしてはちょっと豪快すぎない?

 脳も内臓も真っ二つなんだが。お前それ生きてんの?


 真っ赤だと思ったグロい断面は、しかし徐々に色を失っていった。

 やがて点描のように、少しずつ光の粒子となって崩れていく。


 この光景、以前にも見た気がする……。


 崩れゆく光の粒子は地面にこぼれ、先程まで俺が居た路地にあふれかえった。


 光の道を、ゆっくりとこちらに歩いてくる人影がある。

 上半身を包む戦装束から、スラリと伸びた小麦色の脚。

 こぼれ落ちる粒子の光と風を受け舞い上がる白髪はくはつ

 あらゆる理不尽を斬り裂く大剣を携えた終末の女神――


「やあ、アヤセ。迎えに来るのが遅くなってしまったな」


 褐色の美貌に柔らかな笑みをたたえ、モニクはそう告げた。

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