第42話 石像の間

 周囲の壁には、今通ってきたのと同じような通路がいくつかあるのが見える。

 さて、どこへ進んだものだろうな。

 中央部には散らばった石以外何もないし、壁際を歩いていくか。


 なんとなく石像を警戒しながら進む。

 また犬の石像……いや? あれ猫かな? 体つきが猫のそれだ。でも顔は犬?


 キメラ――合成生物という言葉が脳裏をよぎる。

 そうか、この街にも居たのか。

 猫の身体能力と犬の噛み付きが一体化して最強に見え……なくもない。

 でもなんで石像なんだろうな。


 その先には猪の石像があった。

 石像があるものは、同じ形のヒュドラ生物が存在すると思っておいたほうがいいかもしれない。猪はなかなか手強そうだ。

 他にもいくつかの像がある。いずれも実在する動物だった。


 俺が出てきたところの隣の通路に到着する。

 通路の奥は鑑定の範囲よりも先まで続いていた。


 片っ端から入ってみるしかないのかなあ。

 それともひと通り入り口前まで行ってみて、しかる後に入る通路を選んだほうがいいだろうか。


 …………。


 なんだ?

 鑑定には何も反応がないが、何か違和感がある。どこか覚えのある感覚だ。


 西の隣街――


 ブレードと戦った部屋、転移罠のあった場所は川の下を潜った隣街の地下のはずだな?

 いや、それじゃない。もっと前のときだ。


 モニクと初めて会った日……。

 俺は西の隣街の地下迷宮入り口まで近付き、危険を察知して引き返した。

 後に魔法の存在を教わる前から、鑑定の片鱗のような能力を俺は持っていたのだろうか?


 あるいは俺のようなボンクラでも分かるような、強烈な気配を隠しきれない者の存在。

 そう、俺はモニクやハイドラが只者ではないことを、割と最初から理解していた。




 この通路の奥から、今まさにそのような気配を感じる!




 ヒュドラ……?

 ひょっとして正解を引いてしまったのか?

 そんな正解は御免被りたい。


 ヒュドラが人工迷宮の奥に居るなんてのは、俺の想像に過ぎなかった。

 転移罠の奥に居る可能性だってあるじゃないか!


 ともすればハイドラでさえも存在を知らない、新手のダンマス級ヒュドラ生物かもしれない。

 いずれにせよヤバい。

 三十六計逃げるに如かず。

 あらゆる手を使ってこの広間から逃げよう。


 どの通路から逃げる?

 もし急を要するなら一番近い通路だ。

 一番近いのは俺が出てきたところだな。


 はい却下。


 あの先は行き止まりだろうが。

 逆側の隣ならどうだ?

 ……ヤバい穴の隣だからなあ、ロクなことになりそうにない。


 反対側の穴だな。

 俺よりも速く動ける敵が目の前に居たらそんな選択はしないが、今はまだ何も居ない。

 広間の反対側の奥までは百メートルかそこらだろう。すぐに着く。


 心なしか、向こう側の方が石像や散らばってる石が多いな。

 あまりこの情報を軽視すべきではないと俺の直感が言っている。

 だが今はその理由を考察している時間が惜しい。

 石像の謎よりも穴の奥に居るヤツのほうがヤバいからだ。


 俺は広間の現在地の反対側、石像ひしめく通路へと向けて駆け出した。




 継承により上がった身体能力なら、百メートルを走るのに要する時間は……えーと、何秒だろうな。

 なんかこういう超人的な能力を得てしまうと、もう自分が選手としてスポーツとかを純粋に楽しむことは出来ないんだなっていう気分になる。

 スポーツ選手を目指したことなんて一度もないが。

 人間、手に入らないとなると惜しくなったりするものだ。


 と、数秒で思考する頃には反対側の通路近くまで来てた。

 鑑定によればすぐ行き止まりということはない。

 ヤバい気配もしない。

 行ける。

 そう思った。

 しかし。




『待て……』




 足を、止めてしまった。


 別に敵の能力とか、気圧されて動けなくなったとかではない。

 背後から声が聞こえてしまった。

 意思疎通が可能な相手だった。

 ただその理由だけで、俺は逃げずにとどまることを選んでしまったのだ。


 会話をするつもりがあるなら平和的交渉が可能――


 未知の格上相手にそんな寝ボケた考えなんざ持っちゃいない。

 しかし、俺には分からないことが多すぎる。

 情報は得られるだけ得ておくべきではないか?


 今の俺なら、たとえハイドラが相手でも全力で逃げるだけならなんとかなりそうな気がしないでもない。

 ……多分。


 退路を確認する。

 いつでも逃げられるよう心の準備をする。


 そして、俺は振り返った。


 さっきまで俺が居た場所。

 妙な気配がした通路の奥。

 そこに何かが居る。


 かなりのデカさだ。

 形は暗くてよく分からない上に鑑定の射程距離外。しかし少なくとも人型ではない。

 人型じゃなくても喋れるのか。いや、さっきのは本当に『声』か?


 再び声が響く。


『どうやってここまで来た……地上への道には門番が居たはずだ』


 やはり普通の声というには違和感がある。

 音声というより、意味を直接伝えられているような……。

 テレパシーというものがあるなら、こんな感じだろうか。


 さて、どう返答したものか。

 普通に喋ればいいのか?

 正直に答える義理はないが、この状況で嘘をついても意味があるようには思えない。


「どうしてこんなところに来ちまったのか、むしろ俺が知りたい」


 精一杯の虚勢を張って答える。


『そう警戒をするな……我は話に飢えているだけのこと』


 ふうん?

 ちょっと超越者っぽい理由だな?

 人間の俺も結構会話に飢えているぞ。主にお前らのせいで。

 元から友達いなかったとか、そういうのは今は置いておく。


「じゃあ聞くけどさ、あんたがヒュドラ?」


 うーむ、ちょっとフランクに過ぎるだろうか。

 ただなあ、超常の存在に丁寧な言葉遣いとか意味あるんだろうか?

 そもそも日本語ネイティブってわけでもないだろうし。


 俺はモニクに対しては結局適当な言葉遣いになっている。

 エーコは普通の人間っぽいから、こちらもちゃんと礼儀正しく話す。距離感として適切かどうかは悩むところだが、相手の素性が全然分からんからこれは仕方ない。


 ハイドラ?

 あいつは向こうがああだからあれでいいだろ。

 人間の付き合いとは鏡のようなものだと、三国志にも書いてあったぞ。

 ていうかあいつ、人格は人間のはずなんだけどな。

 なんであんな強キャラ感あふれる喋り方なんだろうか……。

 強キャラ……強キャラかな?

 世紀末のモヒカンっぽい喋り方だったような気もする。


 などと考えていたが今はまだ謎のアレと会話中だった。

 ひと呼吸置いてから、重々しい感じで返答が返ってくる。


『否。我は創造主の眷属。《百頭竜》が一頭なり』


 む?

 んー……?


 この声は決して日本語を喋っているわけではない。そのことはなんとなく分かった。

 今の言葉は、俺に理解できるように訳されているのだな。


 創造主というのは、俺が考えるところの奴の創造主、ヒュドラのことと思われる。

 眷属というのもヒュドラ生物にすっぽり当てはまる。


 じゃあ《百頭竜》ってのはなんだ?

 会話できるほどの知能を持ち、ハイドラをも上回るようなプレッシャー。

 中ボス……あるいはダンジョンマスター級。


 百頭……?

 各地に一体と決まっているわけではないだろうが、日本だとちと多いな。逆に世界だと全然足りない。


「百頭竜ってのはその、百体いるのか……?」


『そうではない……創造主より各地を預かる者の称号だ』


 ああ、なら納得だ。

 っておいおい、やっぱりこいつダンマス級か!

 この街にも居たのか……?

 それともこの街の巣の主は、元からヒュドラじゃなくて中ボスだったりするのだろうか?


 謎が増えてしまった。

 分かったのは中ボスの正式名称だけ。

 四天王とか十二使徒とかのアレ。よりによって百頭竜かよ。

 中ボスのバーゲンセールだな。


『そういう貴様はなんだ……毒に満たされた世界でも死なぬ人間よ』


「俺はオロチ。こん中で生きてんのは、そういう体質だな」


『オロチ……まあ、名前に意味はない。他に言い残すことはあるか』


 ……あれ? 俺死ぬの前提なの?

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