第12話 最後の晩餐

 五月十二日。


 たまごである。


 この封鎖地域では間もなくたまごの入手が不可能になる。由々しき事態だ。

 賞味期限は二週間といったところであろうか。でもそれは常温保存で生食の場合だ。冬ならもっと長い間もつ。残念ながら今は五月。冷蔵コーナーにたまごを置いてる店ならまだ余裕があるが、スーパーの特売コーナーに常温で積まれてるやつはそろそろ危ない。

 最初のうちにもっと食べておけばよかった。弁当とかの足の早いものから消化してたから仕方ないんだけどさ。


 いつか封鎖地域内に文明が生まれ村が出来て、村人たちがニワトリとか種モミを生産するまでの辛抱である。


 じゃ、今日はたまご食おっか。


 まず朝は牛丼だな。なんでというなかれ。

 いやだって、牛丼にギョクかけて食うのがこれから出来なくなるんだよ?

 そうじゃなくて朝から牛丼はどうなのって話なら、俺は朝でも朝定より牛丼注文する派だからとしか答えようがない。冷凍牛肉と米、そして有名チェーン店のつゆは入手済だ。市販品バージョンではなく本物である。

 はい、駅前の店から勝手に持ってきました。今更だな。


 どうせならその場で食べたほうが雰囲気出るかなって思ったんだけど、店内の作り置き食材が既に生ゴミにクラスチェンジしていたので、そこで食事すんのはちょっとね……。

 最初にあの店に入ったとき、片付けておいたほうがいいかもって思ったのは、この事態をなんとなく予見していたのかもしれない。


 そろそろ煮えたかなーってとこで、ご飯をよそって具をかけて出来上がり。早速食べてみる。肉は海外の安いのをあえて使ったやつだ。このチープな味がとてもいい。たとえ安物でも、油の甘みと噛んでほどける赤身の歯ごたえは、それが確かに牛肉であることを主張している。


 でもあれだな。美味いけど本物とは微妙に違う。少し寂しい。生卵をかけて食べる。肉と米の甘みに卵の旨みが合わさり、味が複雑さを増す。人間は単調なものよりも複雑でランダム性があるものを好むという。味でいうならミキサーにかけたものよりも、食べ進めるごとに味や歯ごたえが変化したほうが美味しく感じるらしい。肉、たまご、米と、味や食感、喉越しが変化していくのが美味さを感じる要素のひとつというわけだな。分かる。


 さて、たまご料理ってことで昼はオムレツとか作ってたんだけど、加熱調理なら別に急ぐ必要なかったのでは? と、食べ終わってから気が付いた。でも生卵を使う料理のレパートリーがあんまりない。夜はスキヤキにすっか……。スーパーの高級肉もダメになる前に消化しておきたい。


 生卵は食べ納めかなあ。明日も同じもの食う可能性はあるけど、今のうちに色々食べておきたいからな。


 本当は分かっている。間もなく消費期限を迎えるのはたまごだけではない。

 最初の一週間は食料確保に奔走したが、その努力は次の一週間でほとんど水泡に帰すのだと。


 俺の本当の終末は、その後から始まることになる。




 五月十三日。


 雨が降っている。特に出かけずにネットを見たり料理したりして過ごした。することがないわけではない。封鎖地域内に生物がいないか観察することは重要だ。ネットの噂によれば、雨の日は生物の目撃情報が少ないそうだ。それを言い訳にダラけて過ごした。


 俺のSNSアカウントは、ネット上でそこそこ有名になっていた。タチの悪いデマ拡散アカウントとしてな……。注意喚起リストに並ぶ名前の中に、スネークの文字が刻まれている。全国のスネークさんの印象を下げてしまってたいへん申し訳ない。無難なアカウント名というのも考えものだな。




 五月十四日。


 世界大災害の日から二週間。俺は二週間という言葉に強い反応を示した。世の中には消費期限二週間くらいというものが結構多い。賞味期限はもっと短いけど「二週間はいける」というものもそれなりに多い。


 俺が『保存食とかではない普通の食事』が出来るのも、あるいは今日が最後なのかもしれない。


 もっともこの話はかなりガバガバである。五月一日に店頭にあったものは、別にその日に入荷したものばかりではないのだ。つまりもっと早い段階でダメになってる。

 あと牛肉や豚肉とかの好物に気を取られて、鶏肉の存在を忘れていた。冷凍はしてあるけど、冷凍してても既に難しい段階のものが多い。


 生肉の話だけどね。調理済みの肉の冷凍食品とかコンビニにあるんだけど、賞味期限は一年以上先だった。偉大すぎる。じゃあ調理してから冷凍すればもっともつのでは?と思わないでもないけど、たった十日やそこらでその知識とスキルを身に付けて実行するのは無理だった。


 サバイバル映画では狩りや採取をして保存食の作り方を身に付けていくのが基本かもしれないけど、この街に生物は居ないんだよ……。

 植物はよく分からん。元々植物があんまないし、木や草が生えてるの見ても生きてるのか死んでるのか。枯れてる植物も封鎖地域だからなのか、それとも自然に枯れちゃったのか区別つかないんだよね。ああ、川岸の雑草とかはいっぱい生えてたな。


 実際に夜を迎えると、晩飯は普通にいつも通りのメシを食べていた。肉とか。ジャンクフード好きの俺にとって高級食品といえば肉だし、そもそも料理できないからなー。朝は最後の晩餐だとか大げさなことを考えてしまったが、今日も普通の一日だった。




 五月十五日。


 封鎖地域では大量の生鮮食品が滅亡したわけだけど俺は結構元気。

 楽しみをメシ以外のことにも向けていきたい。


 今日はショッピングモールの映画館を冷やかしにきた。つもりだったんだが同じ建物内のゲームセンターが目に入った。

 ふむ、映写機の動かし方は分からないけど、こっちだったらそんなに難しくないかもしれない。俺は店の中に入っていった。


 電源が落ちている。とはいえ建物内の照明とかは点きっ放しなので停電しているわけじゃない。災害時にこの店単体のブレーカーが落ちて、そのまま復旧されていないだけと見るべきだろう。置いてあるゲーム筐体を物色しながら進む。


 照明が落ちている。消えてるという意味じゃなくて文字通り落っこちてる。天井にスポットライトを設置するためのダクトレール。それがごっそり落下しているのだ。


 うっわあぶな。

 この街は実際のところ、地震情報にあったほどには揺れていない。だから建物の設備が落ちてくるほどではない。つまりあれは整備不良。地震がなくてもそのうち事故が起きてたな。

 そして落っこちてきたダクトレールは、真下にあった筐体のモニタに直撃して突き刺さっていた。


 ダ……。


 ダラディアスができねえじゃねえか。


 落ち着け、そのゲームは今どき置いてない。画面が粉砕されているゲームは特に興味ないタイトルだった。タダでも遊ばないと思う。

 でも壊れてるとなんか損した気分だ。遊びたかったのに。

 人は手のひらを返す生き物だ。


 どっちにしろ全部電源落ちてるけどな。なんでこのゲーセン電源落ちてるんだ?

 どっかで漏電でもしたのか?

 あ、もしかして目の前のこれかな?

 俺はグローブを嵌めると、壊れた筐体のコンセントを引っこ抜いた。危ないからな。

 別にゲーセンの電源は復旧しない。

 どこかにある漏電ブレーカを元に戻さないとダメだろう。

 多分バックヤードだな。そこには十中八九カギがかかっている。

 そして俺はカギの開かない扉を粉砕するための斧を持っている。

 いや、別に壊さないです。流石にそこまでして遊びたいわけではない。




 見つけたぞ! これが従業員用扉だな!

 さっそくマスターキーことキャンピングアックスを腰から取り外す。

 いや待て。金属の錠前って斧で壊せるの? 無理っぽいんだけど。

 空き巣が窓ガラス割ったあとに手を突っ込んでカギを開けるみたいに、木造のドアそのものを壊すのがせいぜいなのではないだろうか。ドアをノックすると硬質な音が帰ってきた。金属扉だ。俺の冒険はここで終わってしまった。


 別の店に行こうと思い引き返す。床に服が落ちてるのはこの街の日常なので特に気にしない。気にしないのだが従業員の制服っぽいものが目に入った。腰にキーバックと鍵束が付いている。


 扉はあっさりと開いた。




 悪戦苦闘の末、電源の復旧に成功した。続いて筐体を開けるサービスキーを探る。店の隅に申し訳程度に置いてあるレトロなアクションゲームで遊び、それに飽きると最新のオンライン対戦ゲームにも手を付けてみる。ふーん、ユーザー登録が必要なのか。ゲストプレイヤーとして遊べるタイトルもあるな。

 音ゲー、カードゲー、格闘アクションなどを分からないなりに遊んだ。


 お、このゲームは防御固めてじっと待ってれば楽勝じゃないか? 一本目を先取し、二本目の途中で相手が動かなくなった。試合を放棄したのかもしれない。対戦相手は顔も見えない日本のどこかのゲーマーだが、なんだか少し気まずい思いがするな。


 そのとき地面が揺れた。


 地震だ。


 血の気が引くのを感じる。だが揺れはそれほど大きくない。

 俺にとっては世界大災害以来の地震だが、別に地震自体はあれからも日本各地で起こっている。

 元々日本は地震大国だ。それらの地震も、怪現象を伴わない通常の地震であったらしい。

 俺がこうして気も失うこともなく無事な以上、街の人間の命を奪った怪現象は起きていないはず。


 ……今日はもう家に帰っか。

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