第8話 死体消失

 えっと、顔見えないけど、多分さっきビルの上に居た人。

 というかこんな個性的な人が何人もいてたまるか。しかもここは人口密度がくそ低い封鎖地域だぞ。

 声で女の人ということが確定した。いや女の子というべきか?

 話し方は妙に落ち着いてるけど。


 じゃなくて。


 なんで出てきたんだ。俺のことなんていいから逃げろ!

 と、言いたいところだが、巨大三毛猫はなんか明らかにこのお姉さんを警戒して動きを止めている。マタタビでも持ってるんだろうか。


 うーん、あれはマタタビではないよなあ。この人、左腰になんかデカい金属の塊を下げてる。それが邪魔でふくらはぎがよく見えない。いやそうじゃねえよ。


 金属の平べったい棒状の塊。それに左手を添えながらその人はゆっくり猫の方へ歩いていく。

 スラリ、という音がして体の右側になんか出てきた。


 剣。


 剣かなアレ? なにしろ俺は今地面に横向きに倒れているわけで、そこからは例の女の子の後ろ姿しか見えない。多分あの音は剣を抜いた音だ。金属板は剣の鞘だったか。


 えー?

 パニックホラーとモンスターの次は美少女剣士? そこは銃を持った女子高生とかじゃないん? 何歩か譲ってポン刀持った剣道部のエースとか。視界に映るそれは西洋剣、というよりファンタジー剣だ……。


 終末世界でゾンビや謎ウイルスと戦うには明らかに場違いなのが出てきた。敵もアレだけど味方?も大概だった。


 いや贅沢言ってすいません。助けにきてくれたんだよな? なんかくだらないこと考えてないと、意識と一緒にそのまま命まで手放してしまいそうなんだ。他意はないです。ほんと。


 右手にゴツい剣を携えて化け猫に近付く白髪お姉さん。でかい剣だが、それでも相手のネコパンチの方が間合いは広そうだ。

 俺が猫の立場なら、自分より間合いの狭い相手の接近をむざむざと許したりはしないけどな。

 あいつは分かってない。所詮は畜生か。


 あっ動き出した。ごめん今のナシ。じっとしてて!


 俺の願いも虚しく、力を溜めるような姿勢を取った猫は次の瞬間お姉さんに向かって跳び掛かる。つまり方向的には俺のほうへ跳んできた。めっちゃ怖い。顔は可愛いけど。


 この瞬間の動画をSNSにアップしたら、『可愛い猫がじゃれついてくるように跳び飛び掛かってくる動画』に見えて、いいね数は入れ食いだろう。

 背景と比較したら大きさがおかしいと気付いた人たちが、再び拡散するという二段構え。トレンド一位も夢ではない。でも体が動かなくてスマホを取り出せない。


 とか考えてる間に化け猫は真っ二つになっていた。とんでもないグロ画像である。こんな猫まっしぐら動画をアップしたら通報されまくって垢BANまっしぐらだ。トレンドどころではない。

 その前に動物愛護管理法とかなんかで捕まるわ!

 誤解です正当防衛です。


 え?

 ていうかもう倒しちゃったの?

 動きとか全然見えなかった。お姉さんはなんか想像を絶する強さだった。悠然と剣を鞘に収め、振り返ってこちらに歩いてくる。

 だが俺はその顔を見る前に、地面に横たわった化け猫の方に目が釘付けになった。いや、切断面を見る趣味とかはない。そうじゃない。


 死体。死体の色が失われていく。赤い血をそこら中に撒き散らしたはずなんだが、どんどん視認できなくなっていく。体毛の色の区別がつかない。これじゃ三毛猫じゃなくて白猫だ。化け猫の体は薄っすらと光を放っている。それは粒子のように崩れ、それすらもやがて消えていった。


 これは……。


 死体消失――


 そうか、こうやって消えるのか。


 そして、俺の意識もそこで途絶えた。




 目が覚めると空が見える。


 俺は道路の上に仰向けに寝かされていた。後頭部と背中が痛い。でも他はそうでもない。


 ネコパンチで腕をへし折られたはずだ。なんなら背骨も折られたかと思ったが、体の中は全然痛くない。血を噴き出すような勢いで吐いたはずだぞ?

 なんでダメージがないんだ?

 

 不思議すぎる……。


 ここは隣街から橋をちょっと登ったところか。地面が斜めだ。頭を東側、つまり橋の上の方に向けて寝かせられていたので、上体をすんなり起こせた。熟睡した後にすっきりと起きた朝のように、体の調子はいい。左を向くと、ガードレールの上に例のお姉さんが座っていた。


「あ……」


 声が上手く出ない。えーっと、なんて声かければいいんだ?


 小麦色の褐色肌に映える透き通るような白い髪。そして穏やかな笑みをたたえた可愛らしい顔。

 雰囲気はお姉さんっぽい感じなんだが、外見は少女といっても差し支えない。十六、七から二十歳前くらいまでの印象のブレがある。


 そして着ている服。

 なんだろうなこの服。レザーっぽい短パンに、白を基調とした……戦闘服?

 そう見えるのは絶対にゴツい剣のせいだ。そんなもんをガードレールに立てかけてその横に座ってたら、何着ててもコスプレにしか見えないのでは……。


「あ、ありがとう……」


 やっと言えた。


「橋を渡ってしまったんだな。ボクが見つかってしまったせいだよね? すまなかった」


 …………?

 ん、ああ。なんとなく発言の意図は分かった。

 いや、俺が勝手にしたことだ。謝られるようなことじゃない。でも上手く喋れなかった。何しろあの世界大災厄の日からまともに喋っていないのだ。独り言以外は。


「なんで駅の方へ向かったんだい?」


 なんでだっけ……。

 好奇心? 好奇心を出したのは俺だが死んだのは猫だった。

 好奇心と猫は切っても切れない、みたいな?

 いや切られてたな。剣で。


 俺が返事できずにいても、それを咎めることもなく少女は立ち上がる。


「向こう岸まで送っていくよ。歩けるかい?」


 …………。

 ワンテンポ遅れてから俺は頷くと、慌てて立ち上がった。


「じゃあ、行こうか」


 軽く微笑むと少女は剣を腰に下げ、先導するようにゆっくりと歩き出す。


 そして俺も後に続く。

 少女の後ろ姿は思ったよりも小さい。あんな剣を振り回すのだから俺と同じくらいの背丈を勝手に想像していたが、普通の女の子だ。


 陽はもう背後、西に傾いている。もうそんな時間か。家を出たのは朝だったのに。日中はずっと気を失っていたのだ。またか。


 橋が水平になったところで、俺が乗ってきた自転車が停めてあった。少女はそれを通り過ぎてから一度足を止め、半身になってこちらを向く。持っていくかどうか確認するまで待っててくれているのだろう。


 俺が自転車のスタンドを上げてハンドルを持つと、少女は再び先に歩き出した。俺は自転車を引いてその後に付いていく。なんか喋るべきだろうか。言葉が出てこない。

 でも気まずくはない。目の前の少女は俺が喋ろうと喋るまいと、全く気にはしないのではないだろうか。だってなんか大物感が凄いし。細かいこと気にしなさそう。


 結局俺は黙ったまま、ゆっくりと橋を歩いていった。




 橋を渡り終えると、こちらを振り向いて少女は言う。


「もう橋を渡ってはいけないよ? 水はキミたち人類を守ってくれる。覚えておくといい」


 今なんか妙なこと言わなかったか?

 それより。


「あ、あの」

「ん?」

「名前を……」


 猫から助けてくれたのも、恐らくは怪我を治してくれたのもこの人だ。

 命の恩人の名前を知りたい。下心ではない。


 あ、しまった。


 これは「人に名前を尋ねるなら、まず自分から名乗るがよい」とか言われるパターンだ。

 最初から好感度下げるやつだ。


「ボクの名は、モニク」


 モニク。柔らかな笑みをたたえ、白髪褐色の美少女はそう名乗った。


 そして消えた。


 パッと消えたわけでも、高速移動したわけでもない。

 なんかいつの間にか認識できなくなった感じだ。

 柔らかく消えた、とでもいおうか。


 今更それを不思議だとは思わなかった。だってあれ女神だろ?

 間違いない。女神だわ。

 殺伐とした終末世界に救世主が降臨したんだな。

 別に俺は疲れてないよ?

 いや疲れてはいるか。


 …………。


 名乗れとか言われなかったな。

 俺の名前とか興味なかったのかもしれんが。

 別に泣いてないし。


 俺は自転車のスタンドを立てるとその場にしゃがみ込んでしまった。

 そして空腹を思い出すまで、モニクが立っていた場所を眺めていた。

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