第7話 好奇心は猫をも殺す

 橋を渡るとそこは終末世界だった。


 いや、住んでる街も大概終末だったけどさあ。こっちは見た目からしてテンプレというか、地割れはあるわ瓦礫は落ちまくってるわ。同一ジャンルなんだけどちょっと方向性が違う映画の世界に引っ越してきた気分だ。


 これ、街中の道路に自転車で乗り込むのは危ないな。


 自転車は橋を渡ったところで降りて、スマホで崩壊した街の様子を撮影する。

 あとは歩いてくか。目的地はさっき人が居たビルだ。


 対岸からだとたいした距離じゃないって思ったけど、少し高い位置に架かっている橋が地上に着くまでに結構内陸部までめり込んでしまった。歩くと結構ある。


 あの人物は、俺と目が合ったらすぐ消えてしまったように見えた。もし見つかるのが嫌なのであれば、もう逃げてしまっているだろう。


 それに、封鎖地域の中に居るような奴だぞ。あぶない奴である可能性がある。

 俺?

 いや俺はいんだよ別に。あぶないってのは、俺にとってあぶないかどうかって意味だから。相対的あぶなさ。


 とにかく、会わないほうが正解ということもあり得る。だからゆっくり行こう。でも情報はほしい。ビルになんらかの痕跡があるかもしれない。


 街中を歩いた。

 食料品確保にここを選ばなかったのは正解だったな。ちょっと歩いただけでそれが難しいことが分かる。この辺の建物は多分高確率で配電とか死んでる。


 冷蔵庫や冷凍庫がなければ食料とか意味ないし、常温長期保存ができるものは急いで確保する必要もない。虫とか湧く可能性? 虫が居るんなら一応気を付けるところだけど……。


 駅が遠いせいか、チェーン店は見当たらない。荒れ果てた民家や個人商店は生々しく、撮影する気にはなれなかった。

 絶望的な状況とはいえ、ショッピングモールとか歩くのはちょっと楽しかったが。でもこの街はダメだな。休日に来るところではなかったかもしれん。


 もう少し奥に行ってみるか?


 隣街の駅。栄えてる度合いで言えば地元駅と同じくらい。その駅がどうなっているのかは誰も知らない。西の境界線の川からはかなり離れているからな。撮影は無理だ。


 好奇心は猫をも殺すっていうけど、俺は今生きてるのが不思議なくらいの状況だからなあ。

 生きるための努力なら昨日まで頑張った。

 今日は休日だ。少しくらい好きに生きたっていい。


 瓦礫を乗り越え、道なき道をゆく。距離は1キロもないはずだ。道が悪いから三十分くらいかかるかもしれんけど。


 気のせいかな。街の荒れ具合がひどくなってきた気がする。この街の西岸の写真も、自分の目で見た東岸も荒廃していた。ならその中央はもっとひどくなるのは、当然といえば当然か?


 もうね、ビルが倒壊しているとかそういう話ではなくなってきた。地面が隆起してるんだけど。

 まるでこの先にある何かを隠したり守ったりするかのように。

 なんだこれ。


 上空から見てみないと確かなことは言えない。

 でもこの地面が隆起した壁、円を描いてないか?

 隣街の駅を囲むように。


「引き返すか……」


 独り言が出た。

 独り言が出るくらい、それを強く意識したってことだ。


 あの日から今日まで直感に従い、特に大事なく生きてきた。

 その直感が「引き返せ」と言っている。


 ヤバい。ここには居たくない。


 振り返った。


 来た道には何も居ない。心臓が早鐘を打つ。


 早歩きでいま来た道を戻った。足元の瓦礫がもどかしい。でも慌てて怪我なんかしたらこれからの生活に支障をきたす。大怪我をしても治せる人なんていない。


 落ち着いて進むんだ。


 そして堤防と橋が見えてきた。

 この街に来た元々の目的。ビルの上に見た人物はもう居ないだろうな。あのビルを調べる価値はあるかもしれない。でも今日は疲れた。家へ帰ろう。あともうこの街へ来るのはやめよう。


 橋の上には自転車を停めてある。そこへ向かおうと――


 え? なんだあれ?


 川を渡る橋の、ガード下の柱からなんか見えてる。見えてるっていうか見られてる?


 猫。


 猫だ。にゃんこ。

 多分三毛猫。可愛い。


 ちょっと混乱してる。そりゃそうだ。縮尺がおかしい。少し離れた位置なので確かなことはいえないけど、周囲の物とかからの比較でだいたいの大きさは分かる。


 高架下の柱の陰からこちらを覗き見るその猫の頭は、多分俺の頭と同じくらいの高さにある。いやそうはならないだろ。でもなってるんだよな……。


 のそり、とそれが姿を現した。猫だ。全身猫。頭から尻尾まで猫だった。

 普っ通~の三毛猫だわこれ。


 大きさ以外は。


 高さだけで俺と同じくらい? 四足歩行なのに??

 熊くらいない? いや猫だしここは虎くらいというべきか?

 虎なんか見たことないけど!

 よく考えたら熊も見たことなかったわ!


 なぁ~ご、とそいつは鳴き声を発した。普通の猫の声だ。

 サイズなりにボリュームがでかいけど。


 俺にはそれが地獄の番犬の唸り声のように聞こえた。猫だけど。


 見た目は可愛いから友好的ってことはない?


 そいつは毛を逆立てながらフーフーと威嚇っぽい声を発している。

 あ、これ駄目なやつだ。


 俺は振り返ると、再び隣街の駅に向かって駆け出した。そっち行くのかよ!って自分でも思うけど仕方ないじゃん!

 橋を渡るためにはあの化け猫と距離を詰めなければならない。博打すぎる。


 もし生物の体の大きさが十倍になったら、スケールスピード通りに十倍の速度が出るだろうか。現実にはそんなことはないと思う。色々と条件が変わってしまうからな。

 でもそれは些細な問題だ。通常の猫だって瞬発力は凄まじい。もしデカかったら。そしてそれが人間を追いかけてきたら。

 十倍の速度は出なくても、倍以上は余裕で出る。リーチが長いのだから。


 俺が逃げた距離なんて笑っちゃうくらい短かった。


 一瞬で追い付かれて……追い付かれて何をされたのかは分からない。食われたわけではないところを見るに、巨大なネコパンチを食らったんだと思う。


 俺の身体はあちこち曲がっちゃいけない角度に曲がってから地面を転がる。転がって横向きに倒れた形で止まり、ちょうど視界の正面にその猫はいた。

 俺は口から血を吐き出した。いや、噴き出した。


 あ、死ぬわこれ。


 俺は今日まで自分がパニック映画の世界に来てしまったと思っていたのだが、どうやらモンスター映画の要素もあったみたいだ。

 監督に会ったら要素盛り過ぎだとダメ出しをしてやりたい。


 言いたいことはまだある。

 猫。

 オメーだオメー。


 俺は血反吐を吐きながら、これから自分を殺すであろう怪物を睨みつけた。


 なんだこの無駄な闘争心は。

 俺はそんな奴じゃなかったはずだ。


 らしくないぞ?

 ここはもっとビビって食われるその瞬間まで震えてるところだろ?

 地面に服が落ちてるだけでビビってたお前は何処に行った。

 泣きながら大切な人の名前とか呼ばんの?

 大切な人とかおらんけど。


「きょ……巨大化生物を出すんならぁ……ゴリラかアナコンダに決まってんだろ……三毛猫……巨大化猫とかクソダサ」


 言ってやった。

 ざまーみろクソダサモンス。

 俺を殺した後もずっと悔しがってろ。

 どれだけイキってもお前がクソダサモンスである事実に変わりはないのだ。

 お前の外見は可愛すぎる。

 続編があったらリストラ待ったなし。


 巨大三毛猫は背中の毛を逆立ててフシャーフシャー言ってる。

 めっちゃ悔しがってる。


 いやそんなわけないな?


 なんでこいついきなり止まっちゃったんだ?

 捨て台詞を言い終わる前に瞬殺されると思ったのに。


 なんかこうアドレナリン的なものがどばどば出て痛みとかあんまり感じないんだが、単に本格的に死にかけてるだけかもしれないな俺。


「それだけ喋れるならまだ大丈夫そうだね。もう少しだけ我慢しててくれるかい?」


 !?


 その声は頭の後ろから聞こえてきた。

 この絶望的な状況に全く似つかわしくない、柔らかで優しげな声だ。

 声の主を確認したかったが体が動かない。もう寝返りを打つことも出来ない。


 足音が近付いてくる。

 倒れている俺の頭の上のほうを通り過ぎて、その人物の後ろ姿が視界に入った。

 すらりとした小麦色のふくらはぎが見える。

 そして、あの美しい白髪はくはつがその上で揺れていた。

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