第4話 封鎖地域

「やっちまった……」


 昨日はネットで調べ物をする予定だったのだ。先に飲んでどうする。

 でも後で飲んだらチキンが揚げたてじゃなくなってしまう。


 なら仕方ないな。


 昨日起きたのは昼過ぎで、夜はかなり早い時間に寝たはずだ。なのに外はもうすっかり明るくなっている。まだ疲労が抜けていないのか。

 疲労……食って寝てばかりだけどな。

 この街を襲った謎現象。その現象のせいで俺の身体がおかしくなっているということは?


 あまりそのことに考えが至らないのは、フツーに体の調子がいいからだ。昨日起きたときは節々が痛かったがそれも治まった。むしろ前より調子がいい。休むのは大事だな。


 少し気になることがあって、俺は部屋の外に出る。隣の部屋のドアは今でも半開きだ。入居者のものであろう部屋着はまだそこに落ちている。


 半開きのドアをノックした。


「すいません、どなたかいますかー?」


 ちょっと強めにノックしてみる。返事はない。

 俺はその場にしゃがんでそっと部屋着をつまむと、玄関の中にそれを押し込んだ。そしてドアを閉める。ドアはすんなり閉まった。

 安否を確かめるのが目的ではない。正直それは絶望的といってもいい。


 俺は単に、家に帰るたびに『顔も知らないお隣さんが消えたかもしれない』という、その痕跡を見るのがキツかったのだ。許してほしい。


 部屋に戻った。気温はあまり高くないのでドリップコーヒーを淹れる。別に味の違いとかは分からないんだが、缶やインスタントよりもなんとなくこっちのほうが好きなのだ。

 趣味みたいなもんだな。


 味も分からないのに珈琲が趣味とか言ったら鼻で笑われてしまいそうだから、人には言わんけど。

 人なんてもうどこにも居ないけどな。終末ジョークだ。


 テレビを点けてみる。狭い部屋だし、PCが置いてあるので普通の大きさのテレビは厳しい。なので小型のやつが机の端に斜めに置いてある。あまり見ないのでこれで十分だ。


 テレビには何も映らなかった。まあそうかもな。テレビ放映は近所のビル工事だとか、些細なことが原因で映らなくなることがたまにあるらしい。これだけの災害のあとだし無理もない。

 むしろテレビと電話以外のインフラがだいたい無事なことのほうが意外というものである。ネットの固定回線を契約しておいて本当によかった。スマホだけだったら詰んでたな。


 コーヒーをすすりながら朝メシをどうするか考える。俺はなんで昨日、今日の朝メシも持って帰ってくるということを思い付かなかったんだろうな。

 棚のカップ焼きそばが見えたが、あれを食べるくらいなら後で何か食いに行こう。もちろんバイト先に。


 PCのモニタに目を戻した。今この街で、また日本で何が起こっているのか確認してみよう。

 今更?

 今更かな?

 昨日は無断欠勤したバイト先に連絡しに行って交番行ってメシ食って……どれも大事だよな?


 うん、そんなに優先順位は間違ってなかったと思いたい。




 一時間ほど経っただろうか。まだ朝といっても通用する時間だ。ざっくりニュースやトレンドの発言を見て回った俺は椅子の背もたれに身体を預けて内心頭を抱える。


 世界はまさに終末だった。


 終末ジョークとか不謹慎だったな。声に出してないからセーフだけど。


 この世界が何もかも変わってしまったのは今から四日前。

 五月一日のことだ。

 あの日俺は気を失い、五月四日に目覚める。昨日だな。そして今日は五月五日だ。


 ゴールデンウィーク?

 いや、接客業のバイトに土日祝とか関係ないからな。むしろそっちのほうが忙しい。ただ、俺の勤めていたコンビニは平日と土日の差はあまりなく、連休も別に混んだりはしないそうだ。普段通りで大丈夫って店長も言ってたっけ。だから俺も連休とか特に意識はしていなかった。


 まあそんなことはいいんだよ。世界に何が起こったのか。それは。


 それはよく分からない、らしい。


 世界各地の大都市という大都市で一斉に地震が起きた。この時点でまあ異常ではあるんだが、それでも地震は地震だ。被害の度合いは国によってまちまちだが、だいたいの予想は付く。


 問題は地震があった後。震源地の都市とは連絡が付かなくなった。更に、それらの地域には入れなくなった。

 入れなくなった。それはどういう意味か。

 物理的に入ることが出来ないという意味ではない。


 入ると死亡するらしい。


 …………。


 まじで?


 どうも情報が錯綜している。この世界大災害の日から四日しか経ってないこと。都市の機能が麻痺していることなども合わさって、情報が錯綜しまくっている。


 国内のニュースだけでも大混乱なので、諸外国の正確な情報など分かるはずもない。そっちの情報はひとまず置いておく。


 現在国内では侵入不可能の危険地帯を急いで封鎖している真っ最中らしい。主な被害地域は人口の多いところ。例えば東京なんかはもちろんその中に入っている。

 ただ、危険地帯は東京全域とかではなく、都内の何箇所かに分かれているらしい。それらの場所が立入禁止区域として指定されている。


 都市では虫食いのように『入っただけで死亡する』危険地帯が出現したため一部の機能が麻痺している。でも全てではない。周辺地域は地震の被害しかない。それどころか危険地帯の外側は、すぐ近くの場所であってもそれほど強い揺れではなかったらしいのだ。


 なので都心でも無事なところは全然無事。一部の自治体や消防警察病院、マスコミなんかも普通に活動している。だからネットにもこうしてニュースが流れてくるわけだな。


 ちなみに大都市以外は不明だ。大都市と呼べるところは世界各国だいたい被害に遭っているが、もしかしたら田舎の山奥とかでも被害があるのかもしれない。でもそこまで調べる余裕がどこの国もないのか、あまり情報が出てこない。


 そして俺の住んでいる街なんだが。

 この街は南側が海。北側が川だ。東西もしばらく進むと太い川がある。


 その東西の川の内側がごっそりと立入禁止区域に指定されていた。


 橋は全て封鎖。自衛隊や警察が厳戒態勢を敷いている写真のおまけ付きだ。この街はその危険区域のど真ん中南端に位置している。

 北の小さな川については何も書かれていない。何故なら立入禁止ラインはその川を渡ってずっと向こう、市や区でいえば三つ分は北に位置しているからだ。


 物流が止まるどころの話ではなかった。俺はどうやらデスゾーンの最奥といってもいい場所に閉じ込められている状態らしい。



 入ったら死亡する、とはどういうことか?

 別にこれは政府や自治体がそう発表しているわけではない。いや、外国だとそういう発表をしているところもあるみたいだが、海外のニュースの信憑性は今の状況だと低い。


 これは根拠の無いネットの噂なのだ。


 立入禁止区域の中に居た人間は全員死んでいる、入っただけで死んだ人間が居るという発言がSNSやニュースのコメントに散見される。

 危険区域では死体が消えてしまうという荒唐無稽な発言をした者もいて、ガセネタを流すなと叩かれて炎上していたりもした。


「ガセネタ、ね……」


 そう思うよな。俺だってそう思うわ。しかし。


 この死体消失の証言は複数あるが、しっかりとした反論もある。危険地帯に足を踏み入れた後にすぐ帰ってきた者たちの存在だ。彼らはその後例外なく死亡しているが、死体は別に消えたりはしていないという。死因は不明。

 なんで死体のその後を知ってるんだ? 関係者とかがバラしてるんだろうか。


 その一方で、封鎖地域の境界線近くには死体が消えた後の衣類が大量に転がっているというホラーな話も上がっている。写真付きだ。でもこれじゃあ何が起きているのかよく分からないだろうな。


 なにしろ、現物を近くで見ている俺も何が起こったのかよく分からないのだ。


 様々な場所を立入禁止にしている公式の理由が、危険なガスが発生している可能性があるというものだ。ああ、それでトレンドに毒ガスとか表示されてたんだな。


 だがガスマスクを付けていても死んでしまったという話まで出ている。マジか。放射線とかは否定されているが、隠蔽だなんだと騒がれてもいる。無理もない。


 北の封鎖ラインではマスコミのヘリが上空から侵入したがそのまま墜落してしまったらしい。ドローンすらも封鎖地域に入った途端に落ちてしまうらしく、以降はヘリで封鎖地域の近くを飛ぼうとする命知らずはいない。


 しかしそれでも、都のなんとかタワーとか、あるいは境界近くの高層ビルとかから封鎖地域の中を撮影しようという試みは続けられている。『中身の消えた服』の写真は時間が経つに連れて増えていったようだ。


 封鎖地域では人は死ぬ。


 その場に放置された死体は消える。


 じゃあ今ここにいる俺は?

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