②幼馴染との距離

第8話 朝の風景/手作り料理/猫はいませんよ?

 日向が俺の家に引っ越しを終えた、翌朝のこと。

 寝ぼけた頭でリビングに入ると、味噌汁の美味しそうな匂いがした。

 まだ朝食も作ってないのに、どうしてこんな良い香りがするんだろう。


「あっ、悠人君起きたんだ。ご飯、もうすぐだよ?」


 女の子の声……? そこでようやく、はっと気づく。

 キッチンに立つのは、学生服の上にエプロンを纏った少女。日向だった。


「あ、ああ。朝食、ありがとう。それと、おはよう」

「うん、おはよ。……えへへ」


 日向は上機嫌に頬を綻ばせ、鍋の中身をお玉でかき混ぜる。


 一瞬、どうして好きだった女の子がキッチンに立ってるんだ、って驚いてしまったくらいだ。まるで片思いを拗らせた男子高校生が見そうな夢だな。それって俺じゃん。


 朝食が出来上がりテーブルに着くと、「おぉ……」と感嘆の声が零れた。

 ほかほかの白飯に、湯気が立ち上る味噌汁。こんがり焼けた鮭の切り身の傍には、野菜サラダが添えられていた。

 ありふれた和の朝食だけど、だからこそとても贅沢なメニューだった。


「どう? 悠人君的に、及第点はもらえそうかな?」

「とんでもない、文句の付けようのない満点だよ。こんな立派な朝食なんて、いつ以来かも分からない。それに、ちゃんとした食器に盛り付けられた食事も久しぶりだし」

「……? えっと、ちゃんとした食器、ってどういうこと?」

「俺、家で飯を食う時は百均の紙皿で食べてるから。食べ終わったらそのまま捨てれるから、洗う必要なくて楽なんだよな」

「えっ――」


 まるで、カルチャーショックを受けた外国人みたいに固まる日向。


「……そういえば、哲也さんが言ってたっけ。悠人君って他人に対しては面倒見が良いけど、自分に対してはいい加減なとこがあるって」

「親父、そんなことまで日向に話したのかよ……」

「うん、決めた。これからは毎日、私が食事を作ります。朝も昼も夕方も、全部。あっ、お弁当はもう作ってあるから、良かったら今日のお昼はそれ食べて欲しいな」


 まさか弁当まで用意してくれるなんて……って、そうじゃなくて。


「弁当は有難いけど、毎日料理なんて日向に悪いよ。家事は分担しようって、この前話したばっかりなのに」

「だーめ。悠人のことよろしく頼むって、哲也さんにお願いされてるもん。私は悠人君に住まわせてもらってる立場だし、家のことは全部私に任せて欲しいな」

「でも、それだと日向が大変なんじゃ……」

「お母さんと暮らしてる時はほとんど私がしてたから、今と大して変わらないよ。それとも悠人君、私より美味しい料理作る自信ある? それなら譲ってあげてもいいけど」


 一瞬で分かる、絶対に無理だ。味もそうだろうけど、料理の効率も作れるレシピの幅広さも、圧倒的に日向の方が上だろう。


「だから、気にしないで? 悠人君が素直に食べてくれる方が、私は嬉しいかな」

「……分かった。でも、作りたくない日があったらいつでも言ってくれていいからな。俺も全然料理が出来ないってわけでもないし」


 いただきます、と手を合わせて味噌汁を啜る。

 分かってたことだが、全身に沁みるくらい美味だった。


 俺は手間がかかるという理由で出汁を取る料理を避けがちだったが、味噌汁がこんなに奥深い味だなんて。久しく口にしなかった、家庭的な味だ。


「美味いな。正直、朝からこんなに美味しいもの食べれるなんて、感動してる」

「そ、そうかな。……口に合って良かった。これからずっと食べてもらうんだもん」

「日向には感謝しないとな。一人暮らしを始めて、トースト以外の朝食なんて初めて食べたし。夕食は別だけど、朝食は俺しか食べないからつい手を抜いちゃうんだよな」

「……? まるで朝以外は誰かのために作ってる、みたいな言い方だね」

「ああ、それは――あっ」


 日向のエプロン姿の衝撃でつい忘れてたけど、大切な日課を忘れてた。

 でも、まだ時間には余裕があるし、何より作ってくれた日向に申し訳ないし。日向の料理を食べ終わった後にしよう。


 一〇分後。いつものように写真立てに入った母さんの写真に手を合わせてから、日課をこなすために家を出る。財布から取り出すのは、一つの鍵。


 月乃の家の合鍵だった。


 インターホンを押してから、合鍵で月乃の家に上がる。物音一つないくらい静かだし、多分まだ寝てるんだろうな。うん、いつもの朝だ。

 毎朝、月乃を起こす。それが俺の平日の日課だった。

 わざわざ家に上がるなんて、って思うかもしれないけど、生活能力のスキルがゼロの月乃はこうでもしないと学校に遅れるのだ。これもお世話係の大切な仕事だ。

 月乃の部屋の前に立ち、扉越しに声をかける。


「起きてるかー。そろそろ準備しないと、遅刻しちゃうぞ」

「…………んー……」


 微かに声が聞こえたものの、それっきり姿を現す気配はない。


「おーい、起きなさーい。遅刻したのバレたら、月乃のお母さんが怒るぞー。お姉さんの沙夜さんだって黙ってないぞー。一緒に学校行くぞー」

「………………」

「あっ、ベランダで野良猫が日向ぼっこしてる。可愛いなぁ」


 がらっ。


 コンマ数秒後。そこには寝ぼけた顔をした、パジャマ姿の月乃がいた。

 月乃はベランダを見るが、そこに猫はいない。当然だ、初めからそんなものいない。


「…………猫は?」

「おっ、起きたか。おはよう、良い朝だな」

「猫は?」

「ちょっと遅くなったけど、全然間に合うから。今日も一日頑張ろう」

「うん、がんばる……」


 よし、今日も無事に任務終了。


「とりあえずシャワーでも浴びたらどうだ? 少しは目が覚めるかもしれないぞ」

「………………(もぞもぞ)」

「服を脱ぐなら脱衣所な」


 月乃は着替える手を止めると、「ふあ……」と欠伸をして脱衣所に向かった。


 平日の朝はお互い時間がないため、朝食は別々に用意することにしている。月乃は小食だから、朝はヨーグルトやバナナで済ませてるみたいだ。

 だから、俺が用意するのは眠気覚ましのインスタントコーヒーくらい。月乃は苦いのが苦手だから、砂糖とミルク多めだ。


「そういえば、日向のことは月乃になんて話そうかな……」


 日向と半分だけ血の繋がった姉弟であることは、隠さずに生活しようと二人で相談して決めていた。隠せるものならそうしたかったけど、変に噂になるよりずっと良い。


 ……ただ、同居してることは二人だけの秘密するつもりだ。日向と家族になったとはいえ、昨日まではただの同級生だったんだから。二人で暮らしてるってことは、出来れば卒業まで隠しておきたい。

 じゃあ、日向と姉弟であることを誰に打ち明けるべきか。そう考えた時、真っ先に頭に浮かんだのが、あのいつも無表情な幼馴染の顔だ。


 今まで一緒にいた向日葵の女神が姉さんでした――そう打ち明けたら、感情表現が下手なあいつも、流石に驚くかな。

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