第5話 ベランダ/失恋/なでなで、するよ?
外の空気を吸おうとベランダに出た途端、全身の力が抜けた。
「…………日向が、俺の姉さん……」
言葉にしてみても、まるで現実味がなかった。
いや、頭が現実だって受け入れたくないんだろう。日向が姉さんだって事実を突きつけられ、俺が真っ先に覚えた感情は驚きでも戸惑いでもない。
それは、絶望。
絶対に俺の初恋は叶わないという、最低最悪の失恋だ。
「こんなの、ありかよ……」
やばい、泣きそうだ。
こんなことなら、日向に告白をしてはっきりとフラれた方がまだ救いがあった。きっと同じくらい苦しかっただろうけど、少なくとも諦めはついた。
でも、日向が異母姉ならば、俺には告白をすることさえ許されない。
たとえそれが、昨日まで仲の良い同級生だったとしても、だ。
「悠人、どうしたの?」
ふと、月乃の声がした。
見れば、隣のベランダから月乃が身を乗り出して、俺をじーっと見ていた。
俺と月乃の部屋は隣同士だから、ベランダは隔て板一枚で仕切られてるだけ。昔から、こんな風に会話をすることも少なくなかった。
「あ……ああ、月乃か。別に、何でもないけど」
「嘘。だって悠人、あー、とか、うー、とか。噛まれたてのゾンビみたいな声してたよ?」
俺、そんな声出してたのかよ……なんて、いつもなら言えただろうけど、今はとてもじゃないが無理だ。「そうか」と気の抜けた返事しか出てこない。
「ねえ、悠人。ほんとに変だよ? 何かやなことでもあったの?」
「……うん、ちょっとな。でも、大丈夫だから。月乃は気にしないでくれ」
「待ってて。今、そっちに行くから。ゆっくり話を聞かせて」
「うん――って、待った。今、俺の部屋に来るって言ったか?」
「そうだけど? そっちの方が、ちゃんと悠人の顔見れるから」
「……気持ちは嬉しいけど、今はちょっと無理かな。お客さんが来てるからさ」
何しろ、今部屋には日向がいる。そんなの月乃にバレるわけにはいかない。
「もしかして、悠人が落ち込んでる理由って、そのお客さんが原因?」
「……まあ、な。その人が悪いわけじゃないんだけど、どうしようもないくらいツラいことがあったから」
「そんなに、悲しいことがあったんだね。……ねっ、悠人。こっちに来て?」
「……? いいけど、こうか?」
一枚の仕切り板を隔てた、俺と月乃の至近距離。
そして、月乃は爪先立ちになってベランダの手すりから身を乗り出し、ぷるぷると震えながらこちらに手を伸ばした。
「ん~……!」
「……凄く頑張ってるのは分かるんだけど、何をしてるんだ?」
「悠人の頭、撫で撫でしてあげようかなって……! 悠人、落ち込んでるみたいだし、でも部屋には行っちゃいけないみたいだから……!」
そこで、俺はやっと理解した。
ああ、そっか。月乃は俺のこと、励まそうとしてくれてたんだ。事情なんて何も知らないけど、俺がへこんでるってただそれだけの理由で。
でもさ、月乃。その身長だと流石に届かないと思うぞ?
その言葉を呑み込み、俺は口元を緩めながらベランダから身を乗り出す。
ちょこん、と。頭のてっぺんに、月乃の指が触れる感触がした。
「よしよし……! いいこ、いいこ……!」
それは撫でられてるっていうか、どちらかと言えば指でぐいぐいと押されてる感じだ。撫で撫でされてるような心地よさは、正直あまりない。
でも、それでも俺を励まそうとしてくれる月乃の優しさが、たまらなく嬉しい。
「ありがとな。ちょっとだけ元気でた」
「ほんとに? ……良かった。悠人があんなに落ち込んでるの、久しぶりに見たから」
「そうか? 俺だってへこむ時くらいあるけど」
「でも、悠人って他人の前だと、しっかりしなきゃ、って思っちゃうでしょ? いつもの悠人なら、私がいるって気づいたら、多分笑顔くらいはしてたと思うから」
「……そっか、そうかもな」
確かに、月乃の言う通りかもな。俺にもう少し余裕があったら、月乃に心配させないよう空元気くらいは出してたと思う。
「じゃあ、俺行くよ。部屋で待たせてる人がいるからさ」
「うん、分かった。寂しくなったらいつでも呼んで? また撫でであげるから」
「や、慰めてくれるのは感謝してるけどさ、別の方法にしてくれないか? 俺たち、もう小学生じゃないんだから」
「むー……。じゃあ、今度考えとく」
俺はベランダの手すりから離れると、ばちんっ、と自分の頬を叩く。
しっかりしろ。失恋に打ちのめされるのは、後でも良い。
もう一度だけ胸の中で月乃に感謝をして、俺はリビングへと戻った。
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