第3話 再び幼馴染/ふわとろオムライス/突然の電話

特売日で買ったワンパック99円の卵は、オムライスにすることにした。


 マンションで一人暮らしをしている俺にとって、料理は避けて通れない家事の一つだ。

 もっとも、隣人のおかげであまり一人暮らしって感じはしないけど。


「よし、上手く焼けた」


 卵をふわふわに焼くコツは牛乳を入れること、らしい。俺にしてはかなり良く出来たと思う。後はデミグラスソースをかけて完成だ。


 出来立てのオムライス、それに惣菜のポテトサラダを食器に盛りつけて外に出る。

 隣の部屋の前に立つと、いつものように扉越しに声をかけた。


「おーい、夕食持ってきたぞ」


 がちゃり、と扉が開き、現れたのはぶかぶかのセーターを着た一人の少女。


 お隣さんであり、俺の幼馴染である、月乃だった。


「ありがと。今日のメニューは?」

「オムライスとポテサラ。サラダの方はスーパーで買ったやつだけどな」

「おー」


 オムライスの皿を受け取るなり、月乃が子どもみたいに目を輝かせた。


「ふわとろだ。食べなくても分かる、これ絶対に美味しいやつ」

「言うと思った。その焼き加減が好きなの、相変わらずだな」


 月乃とはお隣さん同士という縁もあって、幼稚園の頃から家族ぐるみの付き合いをしている。俺が父子家庭だから、月乃の家族には小さな頃から世話になってばかりだ。


 ただ、それも半年前の話。


 月乃は両親と姉の四人暮らしだったが、姉の方が大学進学と同時に県外で暮らし、両親は身内の介護のために一時的に実家に帰省している。そのため、月乃は俺と同じく一人暮らしをすることになった。


 ……のだが、ここで大きな壁にぶち当たることになる。

 学校の誰もが知らないことだけど、実は月乃は生活能力が皆無なのだ。

 掃除や洗濯なら、まだいい。簡単に覚えられるし、最悪忘れても暮らしていける。

問題は食事関係だ。月乃はちゃんとした料理を作ったことが一度もなく、毎日食事を作るなんてもはや不可能と言ってもいい。


 じゃあ、しばらく一人暮らしをしなきゃいけないのに、誰が月乃のご飯を作るの?

 そこで白羽の矢が立ったのが、俺、というわけだ。


「悠人が隣に暮らしてくれて良かった。悠人がいなかったら、毎日三食食パンだけ主食にして生活してた気がする」

「鳩みたいな食生活だ……。そうなる前に料理とか覚えたらいいのに」

「カップスープにお湯を入れるくらいなら出来るよ?」

「それを料理って言い張る月乃の度胸に俺は驚いてるよ」


 こんな感じだから、「頼めるの悠君しかいないのよ」と月乃の母親が俺に相談したのも頷ける。

 俺も月乃には偏った食事をして欲しくなかったし、今では毎日のように月乃の夕食を作っていた。俺は断ったんだけど、月乃の両親から食材費&調理代として毎月三万をもらっているから、ちゃんとしたご飯を食べさせてあげてると思う。


 そんなわけで、俺は月の天使のお世話係に任命されてるのだった。

 月乃は奥の部屋へと消えると、昨日俺が渡した夕食の食器を持ってくる。

 食べた食器は翌日、洗って返すのが俺たちのルールだった。


「昨日のハンバーグ、ごちそうさまでした。それと、今日のオムライスもいただきます」

「どういたしまして。月乃も何か食べたいのあったら遠慮なく言ってくれてもいいからな」

「別に何でもいいよ? 悠人が作る料理、全部美味しいから」

「そういうのが一番困るけど、やっぱ一番嬉しいんだよな」


 さて、そろそろ部屋に戻るか。


 月乃に別れの言葉を言いかけて、「ねえ、悠人」と先に月乃の口が動いた。


「日向さんのこと、大丈夫? 有名な上級生に告白された、って聞いたよ?」

「月乃までその噂知ってたのか。っていうか、大丈夫、ってなんだよ」


 月乃が浮かべるのは、まるで感情の見えない透明な表情。


「だって、悠人は日向さんのことが好きだから」

「……別に、そんなんじゃないって。月乃まで俺のことからかうなよ」

「本気で心配してるんだよ? 生徒会が終わった後、悠人って日向さんに声をかけられたでしょ? あの瞬間、ちょっとだけ辛そうな顔してたから」


 これだから、幼馴染っていうのは厄介だ。

 誰も気づかなかった些細な変化を、こんなにあっさり見抜くんだから。


「さあ、どうかな。それは月乃のご想像にお任せするよ。ただ一言言っておくと、日向は佐川先輩と付き合ってないみたいだけどな。告白、断ったらしいぞ」

「ふーん、そうなんだ」

「あんまり驚かないのな」

「何となくそんな気がしてた。日向さんって真面目だから」


 うん、それには全面的に同意だ。


「でも、まだ日向さんに恋人がいなくて良かったね」

「だからそんなんじゃ――まあいっか、日向が先輩に告白されて不安だったのは事実だしな。励まそうとしてくれて、ありがとな」

「……? どうして感謝なんてするの?」


 月乃の顔に浮かぶのは、天使を思わせるほど可愛らしい、仄かな笑み。


「だって、わたしは悠人の幼馴染だから。落ち込んでたら慰めてあげるのは、当然だよ?」

「……そっか。そうかもな」


 同級生の男子や槍原は言う。月乃は幻想的でミステリアスだ――それは正しいかもしれないけど、みんなは月乃を知らないだけだと思う。


 他人のためにこんな優しい笑顔を浮かべることが出来るのだ、月乃は。


 俺は部屋に戻ると夕飯を食べる。それから後は、自由な時間だ。思いのまま好きなことをすればいい。

 だけど、俺にはやらなきゃいけないことがある。

 自室のテーブルに腰を下ろし、数Ⅱの参考書を広げる。一学期の期末テストでは数学がぼろぼろだったから、伸びしろがあるとすればここだ。

 日向の成績が学年中六位だったから、目標は五位圏内。


 少しでも、日向が振り向いてくれるような男になるために。


「よしっ、やるか」


 きっと、俺は分不相応の片思いをしてるのだと思う。顔が良くて、運動も出来て、人望もある佐川先輩がフラれるほどなのだ。俺みたいな何もかも平凡な男なんて、付き合いたいって思うことすら間違ってるのかもしれない。


 だけど、これは俺の初恋だから。

 諦めろって理性が訴えかけても、心がちっとも理解しないから。

 日向にとって俺が、仲の良い同級生だったり、付き合いの良い書記でしかないとしても――今はただ、理想を叶えるために前に進みたかった。


 ……ふぅ、とりあえず一段落。

 時計を見ると、一時間半ほど参考書を解いていたらしい。数学の勉強はここまでにするとして、小休憩のためにスマホを取る。

 勉強に集中して気づかなかったけど、夜中だっていうのに着信があった。相手は――。


「親父から?」


 親父は今、仕事で南極に滞在してるはず。まさか世間話ってことはないだろうし、何の用事だろ。

 折り返しをかけると、親父はすぐ電話に出た。


『久しぶりだな、悠人』

「電話なんて珍しいね。何かあった?」

『まあな。お前に伝えないとならないことが出来たからな』

 まるで、明日の天気でも話すかのような、いつも通りの口調。

『今まで黙ってたが、お前には腹違いの姉がいるんだ』

「へえ、そっか。姉、ね」


 ……………………………………。

 はい?


『その姉なんだがな、お前と暮らしたいって言ってるんだよ。だから、今度お前に会わせようと思ってな』

「うん、待った。超待った。なんでさらっと話を進めるかな。まだ俺は姉がいるって現実すら呑み込めてないんだけど。っていうか、俺と暮らしたいってなに?」


 やばい、衝撃の事実に頭がオーバーヒートしそうだ。

 っていうか、俺に姉さん? 俺のことからかってるんじゃなくて?


『まあ、悠人が動揺するのは無理もないけどな。……お前が生まれる前、俺に許嫁がいたのは覚えてるか?』


 それについては、子どもの頃親父から聞いたことがある。当時は結婚を約束してる相手がいたのに俺の母さんと駆け落ちしたから、相当な修羅場だったのだとか。


『悠人には隠してたが、その別れた女性との間に俺の子どもがいたんだ。それがお前の姉――悠人の異母姉弟になる相手だ』

「……そんなことが、あったのか。でも、何で今になって俺に打ち明けるんだよ」

『その娘がお前に会いたがってるからな。家族として一緒に暮らしたいって言うんだよ。だから、もう隠し事は止めにすることにしたんだ』


 知らない異性と、家族として一つ屋根の下で暮らす。

 まるで映画やドラマみたいだ。ちっとも現実味がない。


『そんな悪い話じゃないと思うぞ。お前は昔から他人に対しては世話焼きだが、自分に対してはルーズなとこがあるからな。良い機会だから、その娘に面倒を見てもらえ』

「余計なお世話だってば。そもそも俺は高校生なんだし、いきなり同居なんて……」

『そういうことで、今度の土曜日の午後一時、予定を空けておいてくれ。その娘がお前の家まで訪ねるから。じゃあな』

「なっ、ちょっと待――」


 切れた……。訊きたいこと、山ほどあるってのに。

 それに、次の土曜日に直接会うなんて――待てよ、土曜日?


「それって明日じゃねえか!」


 どうしよう、準備なんて全然していない。ああもう、親父はいつも突然なんだから!


 ……ちなみに、その後。姉さんのことで頭がいっぱいで、ろくに勉強に手が付かなかったのは、言うまでもない。

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