第35話「移乗」

「さて、ダイオさんにはちょいと椅子に座ってもらいたい訳ですが、背もたれとひじ掛けがある椅子なら座っていられますか?」


 ユニの問いかけに、ダイオは悩ましい表情を浮かべてから、


「両手はそれなりに動くしたぶん大丈夫だと思うが、最近は座ったこともないし分からないというのが正しいな」


「わかりました。では――」


 ユニはリリの方を見ると、腕に巻いてある包帯を貸すように願い出る。


「なっ!! この腕の封印を解けというのかっ!? それはできないっ!! 絶対にだ! どんな厄災が襲うか分からないのだぞ!」


「じゃあ、予備の包帯とか、幅の広い紐は無いか?」


「それでいいなら、ここに。というか初めからそういう頼み方をすれば良かったのではないか?」


 ぶつぶつ言いながらも、タンスから包帯を取り出し、ユニへと投げ渡していたわ。


「椅子に座ったあと、倒れそうならこれを体と椅子に巻き付けて倒れないようにしますね」


 包帯の使い道をダイオに説明してから、椅子をダイオの足元に。座面は頭の方を向くように設置する。


「本当ならひじ掛けが上がったり、ベッドの高さが変えられると最高なんだが、流石にないものねだりは出来ないな」


「ひじ掛けはわかるけど、ベッドの高さ?」


「高いところから低いところに行く方が楽だろ」


 ああ、確かに言われて見ればそうね。


「それじゃあ、まずはベッドに座るところからです。こちらを向きますよ。はいっ。それから足をベッドから落としますね」


 ユニはさっきの体交と同じ要領でダイオをユニの方へ向ける。そして、そのまま足をベッドから落とした。って、ベッドから落として大丈夫なのっ!?


「しっかり支えていますから大丈夫ですよ」


 ダイオの体はユニが支えているのもあるし、足がベッドから落ちたくらいでは、体ごと落ちたりということは無いようね。


「ダイオさん。俺を掴んでてください。このまま起きますよ」


 ダイオはユニの肩を掴んだわ。で、ユニもダイオの肩から背中に手を回して、同時に膝も持つ。

 ……ん? この姿勢って。

 夢のお姫様だっこじゃないっ!!

 ちょっ!! 男同士でやるんじゃないわよっ!!

 わたしの夢のシチュエーションがぁっ!!


「じゃあ、行きます。よいしょっと」


 腰を支点にして、足は完全に床に着きつつ、体は起き上がり、座った姿勢を取る。


「本来一人なら、ここでダイオさんを座りやすい位置に動かしますが、今日は他に人もいるので、椅子を動かします。えっと、リリに頼もうかな。椅子を俺のすぐ脇に少し移動させてくれ」


 ん? なんでリリに頼むのかしら? わたしがすぐ近くにいるのに?


「それくらいわたしがやるわよ」


 わたしは椅子をユニのすぐ近くにちょっとだけ移動させると、胸に圧迫感を覚えた。


「へっ?」


 思わず見ると、そこにはダイオの手が伸びている。

 思考時間0.2秒の瞬間で、拳を突き出した。


「変態っ!!」


「あぶねっ!」


 ユニはとっさにダイオの体をベッドへ倒し、わたしの拳を回避させる。なんて余計なことをっ!!


「ユニ、庇わないで。この女の敵はここで始末しなくちゃいけないわ」


「だから連れてきたくなかったし、リリに頼んだんだ。だが、まぁ、なんのお咎めもなしにするのはどうかと思うのは同意だ」


 ユニはわたしの胸を触ったダイオの手を持つと、


「本来なら介護士はどんなことがあろうと利用者に手を挙げてはいけないが、ダイオ、お前は仕事外でやっているとも言えるからな。もし、次にこんなことをしたら……」


 ギリギリと音を立てて腕が締められていく。


「ま、待て待て、さっき仕事って言ってたじゃないか!?」


「じゃあ、ケアラ。少し休憩に入るがいいか?」


「え、ええ、もちろん」


「これで、プライベートだ。問題ないな」


「なんという屁理屈!! な、ならば、儂の理屈も聞いてくれ! ほら、可愛い女の子がいたらスキンシップするのが男の務めだろ。むしろ何もしないのは失礼にあたると思わないか?」


「さっぱり思わん! 次やったら、大事な下半身が亡くなると思え」


 殺気バリバリのユニの言葉。しかも、締めている手じゃなくて、下半身ってところがより恐怖を感じるわね。

 触られたのはムカつくけど、こんなにユニが怒ってくれているのは、なんか嬉しいかも。


「な、亡くなるのニュアンスが、亡き者にする方で怖いんだが……」


「ついでにリリにも手を出しても同じだからな」


「リリは孫のように育ててきた娘だ。安心していい。そこまで落ちとらん」


「あと、介助中に勝手に動くな。危ない」


「わ、わかった。ちゃんとユニに従おう」


「なら、いい。それではまた体を起こしますね」


 ニコッと営業スマイルを再び浮かべるユニ。


「あっ、休憩戻りました~」


 ユニって血はダメだけど、脅すことに関しては一級ね。

 優しくて知略が回るってかなり頼もしいと思うんだけど、そんなに人間の間では、相手を斬れないことが問題だったのかしら?


 再びダイオを座らせると、ユニはダイオの体を斜めに傾ける。


「もう少し、際まで動きますね」


 そのまま、傾けた方と反対のお尻を引っ張るとダイオの半身前に出る。

 今度はその逆を行うと、また半身出る。


「人間は動くとき、必ず不安定な状態なんだ。だから人を動かしたいときには不安定な状態にすることが重要なんだ。こうしてべったり尻が着いている状態では頑張って力づくで引かないと動かないが、半身ずつなら簡単に動く。そして椅子との距離が縮まったら、今度は足の位置が重要だ。試しにケアラどっかに腰かけてから立ち上がってみてくれ」


 わたしは言われた通りに適当に座ってから、立ち上がる。


「そのとき、足を引いたよな」


 えっ? どうだろう? あんまり意識してなかったけど。

 もう一度試してみると、確かに足を引いてから立ち上がったわね。


「めちゃくちゃ体幹が強ければ足を引かなくても立てるけど、普通は足を引かないと立てない。だから、しっかりとダイオには右足を引いてもらう」


「右足だけなの?」


「ああ。足に力が入って介助すれば立てる人は両足引いてもらうが、ダイオはそれは厳しいだろう。そういう場合は椅子から離れた方の足だけ引いて、もう片方は逆に伸ばしてもらう。これは椅子にまで体を回すときに突っかからないようにする為だ」


 いまいち理解出来なかったわたしは再び座ってから立ち上がる。そのまま腰だけを横に回すと、確かに左足が右足に絡んできて上手く回れないわね。


「あとは手の位置だが、遠い方、今回は左のひじ掛けに手が届くならそこを持ってもらう。無理なら、このまま俺を掴んでいてください」


 ユニはダイオから遠い方のひじ掛け。左手を置く位置に左手を誘導する。

 近い方が楽そうなのに、なんでかしら、と一瞬思ったけれど、近い方を持ってもらっても動くとき結局離さないといけないからね!


「それじゃあ、移っていくが、このとき、力づくだと腰を痛めるし、力が足りないとベッド下に落としてしまう危険性もある。だから力ではなく、体重で移動する」


「体重? どういうこと?」


「リリもケアラも投げ技が出来るからすぐ理解できると思うぞ。真上に持ち上げようとすると力だけでの動きになるが、自分の方へ倒れ込むようにダイオの体を寄せて、自分自身も後ろに倒れ込んでいく。そうするとどこかでつり合いが取れるところがあるはずなんだ。それじゃあ、行きますよ。ぐぅ~と」


 ダイオの腰は浮かび上がり、まるで天秤のようにピタリとつり合ったところでユニは動きを止めたわ。それもかなり楽そう。


「コツは後ろに倒れそうと不安にならないことかな。つり合う場所は意外と後ろだったりするから、こればっかりは慣れになってくるな。健康な人同士で最初は練習するのがおススメだ。さて、それじゃ、椅子に移りますね」


 ユニはくるっと半回転してダイオを軽々と椅子に座らせた。


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