第8話「接遇(呼び方・笑顔)」

 エプロンをしっかりと着込んだユニは魔王さまの前へ進み出ると、腰を45度曲げて挨拶する。


「こんにちは。俺は一介の介護士、ユニって言います。今日から魔王のシルバーさんのお世話をさせていただきます」


「ちょっ! ちょっ!」


 慌てて、わたしはユニを呼び寄せると耳打ちする。


「なんで魔王さまを名前で呼ぶのよ!! 失礼でしょ!!」


「魔王の名前はエルド=シルバーだろ。それをシルバーさんって呼ぶことのどこがおかしいんだ」 


「だって魔王さまは魔王さまよ!」


 もはや混乱しすぎて、自分でも何を言っているのか分からなくなってるわ。


「それは、お母さんはお母さんよって言うのと変わらないと思うが。ほぼ親類みたいなケアラが『魔王さま』と呼ぶのは自由だし、魔王も気にしないだろう。だけど、部外者の俺がいきなり馴れ馴れしく魔王さまって呼んだら、『お前の魔王じゃねぇし!』ってなるだろ」


 う、う~ん、確かにそうなのか? いや、でも人間でも王様は王様って言うよな。お母さんとはレベルが違くないか?


 わたしの不服な思いが顔に出ていたのか、ユニは言葉を続けた。


「それに、魔王っていう記号じゃなく、ちゃんと一個人として見てやりたいだろ」


「そ、そうね。確かに、その考えは素敵だわ。でも、今からわたしがシルバーさんなんて言ったら変よね」


「だから、ケアラの場合は親類みたいなもんだろ? 昨日までお母さんって言ってた子が苗字呼びしてきたら傷つくだろ。お前はそのままでいい」


 ユニは踵を返し、わたしに背を向けると魔王さまの対応にあたる。


「失礼しました。改めてよろしくお願いします。もう少しで夕食になりますが、よろしいですか」


 満面の笑みのユニ。

 お前誰だよ! わたしたちと対応違いすぎだろ!


「うむ。いつでもよいぞ」


 魔王さまは機嫌良さそうに玉座に収まっている。


「それではご用意してもらってきます」


 わたしは一度退室するユニを呼び止める。


「ちょっと、何、今の、別人みたいだけどっ!?」


「何って、普通の接遇だ。丁寧な言葉使い、清潔な身だしなみ、そして、笑顔だ。介護をする上で最も必要な技術だぞ」


「いやいやいやいや、なんの為にそんなことするのよ」


 笑顔を振りまいて、慇懃無礼な態度。勇者じゃなかったら蹴り飛ばしているところよ!!


「まず、清潔さが必要なのは語るまでもないな。汚い人に介護してもらうより、キレイな方がいいだろ?」


 まぁ、当然ね。

 わたしは首を縦に振った。


「丁寧な言葉使いは、正直、時と場合によるが、初対面のときは丁寧な方が嫌われることもなく無難だ」


「いや、でも丁寧過ぎるのも……」


「ああ、丁寧過ぎるのも問題だが、今のは丁寧過ぎるということもなかったと思うが? 普段の俺と違うから、そう思っただけだろ?」


 えっ!? ん~、どうなんだろ。そうかもしれないけど……。

 わたしは正確なジャッジを得るべく、メイドさんへ視線を向ける。


 メイドさんは首を縦に力強く振っている。ということは、わたしが気にし過ぎただけなのね。


「最後に笑顔は相手の警戒を解く一番の手段だ。それに認知症のヒトは色んなことを忘れることがあるが、感情は忘れない。一度俺に不快感を抱いたなら、その感情は残り続ける。どうせ残る感情なら少しでもいい方がいいだろ?」


 ニッと笑うユニの表情は今まで見たどの笑顔よりも自然で、わたしは理解した。

 こいつは本当に魔王さまの為に介護をしているんだ。ユニがすることにはわたしたちには一見分からなくてもちゃんと意味があるんだと。

 でも――。


「なんで、あんた、そんなに介護に詳しい訳? その知識量、勇者だからじゃ全然理由にならないし」


「ん、あぁ、そのことか。じゃあ、夕食が出来るまで少しあるみたいだし、それでケアラが俺を信用してくれるなら話すけど」


「それは是非、聞きたいわね」


「オーケー、ならとりあえず、部屋の外で話そうか」


 わたしたちは魔王さまの部屋を後にし、メイドさんは給仕の準備に。わたしとユニは空き部屋に入り、話を続けた。


「信じるかはともかく、俺は異世界からの転生者ってやつだな。もともとは介護を仕事にしていたんだけど、利用者を訪問する最中、事故にあったと思ったら、この世界で赤子からスタートだ。前世の記憶はあるから、介護の仕事は完璧に出来る。なんだったらスキルに『介護』があるから暴力を振るったりするより介護の方が得意だ。というか、何かを殺して得る平和より、誰かを助けて得る平和の方がよっぽど好みだから、正直なところケアラの提案は渡りに船だったわけだ。

で、いまの話は信じるか?」


「信じるわ。異世界人の話は御伽噺だけど残っているのよね。話に残っているということはもしかしたらありうるかもしれないってことだし。何より、この場面でウソを言う必要性を感じないわ。それにまだ少しの間だけど、ユニはこんなくだらないウソをつく奴じゃないってのは分かるわ」


「そうか。ありがとう」


「なんで礼を言うのよ。気持ち悪い」


 心なしかユニの表情から険が取れたように見えた。


「隠し事が無くなるっていうのは楽になるんだよ。だから礼を言ったんだ」


「そんなん、異世界人だって言いふらせばいいじゃない?」


「待て待て、それ確実に変人に思われるだろ!」


「大丈夫よ。王様の命令くらいで魔王さまに戦いを挑む勇者なんてしているんですもの、すでに十分変人なんだから、いまさらちょっと変なところが増えても誰も気にしないわよ」


「確かに、独りで軍相手にしろって言われて、頷くとか、今考えると正気の沙汰ではないな。えっと、勇者も異世界人も秘密にしといてくれるかな」


「言ったこっちも変人扱いされるから、わたしから言うわけないじゃない」


「ははっ、良い性格だな」


 ユニの身の上話を聞いていると、夕食が出来たようで、メイドさんから声が掛かった。


「さて、クエスト介護再開だ」

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