第38話

ついに、ついにこの日がきてしまった。俺にとっての命の泉であった母さまのおっぱいは遂にお隠れになった。

大泣きである。

なぜこれほどに涙があふれてくるのだろう。

俺はお嗚咽おえつを飲み込んで、威厳を保つ。


俺は独り、短いあんよで立ち上がり毅然とした姿勢を崩さぬようミーティスの介助を拒んだ。


”俺はもう大人なんだ”


この世に生を受けてからずっと俺を満たしてくれた双丘。母さまが乳を与えるために上着をはだける事は二度とないだろう。


◇◇◇◇◇◇


その日、俺は地獄をみた。


母乳の代わりに与えられたのはバン。バンは昔懐かしい記憶にあるパンと言う食べ物のまがい物だ。強いて言えば見た目と食感は軽い感じのフランスパンだろうか。そして味はエグみが強く、後味に残る苦み。


芋のシチューに浸かるそれは食えたもんじゃない。


母さまは俺が溢してしまったと思ったのだろう。スプーンで上手に口のまわりを綺麗にして足りない分を器から掬い口へと運ぶ。

スプーンの真ん中にある。そのスープに浸かったバンが問題なのだ。


「はい、あーん。お口開けて-」


俺は絶対に開けてなるものかと口を閉じ横を向く。


「美味しいわよー」


バンのエグみがスープに移り、とてもじゃないが堪えられない。口にねじ込まれるスプーンに俺は優しく、そして徹底的に抵抗した。


「もうっ、ダメね。せっかく奮発してフォングリ入りの上等なバンを買ってきたのに」


”フォングリだと”

”何だそれは”


端で興味深そうに見ていたミーティスが念話に答える。


「旦那さま、フォングリとは木の実の一種でブラックオークの木の実が最上位とされ、蒸した後に水に晒し天日で乾かします。搾ると上質の植物油を取り出すことができます」


俺はこのフォングリという物の味がわかった、渋いのだ。要はドングリのような物だ。ヘイゼルナッツやチェスナッツの代用の様な物なのだろう。クルミパンの要領でバンにゴロゴロと練り込んである。


母さまが良かれと思って買って来てくれたこのフォングリバン。


迷惑この上ないが仕方ない。


俺は覚悟を決め息を止め、口を開ける。


ままよ、スプーンに掬われたフォングリバンが大きく開けた口へと放り込まれた。


舌が痺れるような苦味が走り、脳天にガツンとくる。


食い物じゃない。


身体中が総毛立ち五感がそう訴えかけてくる。


食卓ではコイツを母さまとミーティスがスープに浸けたり浸けなかったりするが、なんのリアクションもなく普通に食べている。

付け合わせは青菜と小さなトウモロコシだ。


だが、俺は口のなかに広がるあまりの不味さに意識が遠ざかっていく。


母さまがやっと俺が食事を口にしてくれたと天使の笑みを浮かべ、うんうんと頷いている。


”フォングリバン、殺意を感じる完成度だ。これを主食にする味音痴あじおんちさん達の舌は確実に馬鹿に成っているのだろう。そもそも、ご馳走というか他のバンよりも高価だとか、本当に信じられない”


だが、小麦だか大麦だか知らんがバンの原料がこの味なのかと勘違いするところだった。いつも食べる食い物が不味いなんてあってはならない事だろう。俺は今度の人生では美味しいものをたくさん食べるんだ。


母さまの笑顔から繰り出される芋のスープでふやけたフォングリバンをぱくぱく。

心頭滅却すれば火もまた涼しいと考えを新たにして咀嚼したつもりで飲み込む。


あ、上の前歯二本しかないや。


母さまが最初から小さくちぎってくれていたのは、そう言うことだよね。


しばらくして、ゴングのなる幻聴が聴こえたと思うと俺は毒耐性を得ていた。


フォングリ、お前は毒もちなのか。一体どういう事だ。


母さまもミーティスも笑顔で食事をしている。俺独りが目を見張る。


”あーあー”


ミーティスが頷き。


「これで大丈夫ですね。少しは良い味に感じられる様になりますよ」


世界はフォングリによって毒されていた。


ただ、ミーティスが言うには調理前は良く煮て天日干しすれば毒も抜けるらしい。


そして、フォングリの毒を摂取してしまったら芋スープを飲むと解毒効果があるとの事だ。

食とはまったく奥深いものだね。
























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