応援コメント

第2話 美織スピードダッシュ(4)」への応援コメント

  • 山本健児さんは25歳位で亡くなったのですね。早世ですね

    作者からの返信

     閲覧と応援コメント、ありがとうございます。

     山本健児さん、早世ですね。
     そうして、家の墓地に葬られながら、墓石の下には入れられず、戒名も無い。
     若くして自死した人には、戒名がつけられない事があります。

     昭和40年代前半、ベトナム戦争の泥沼化とアメリカの北爆に対する反戦運動をきっかけに、世界中で学生運動が盛んになります。
     この運動は、社会主義的、共産主義的な思想をベースに社会改革運動に変化していきますが、学生の中でも思想的な分派が起こります。
     世論は、始めは、学生たちの運動に心情的な支持を示しましたが、分派間の抗争が暴力的、破壊的な様相を呈すにつれて、支持を失います。
     例えば、東京では、昭和44年、東京大学安田講堂が学生グループに占拠されて、機動隊と衝突、この事件のために、この年、東大の入試は中止されます。
     京都でも同様で、運動の中心になったのが京都大学医学部と言われています。
     一方で、日本は高度成長の波に乗り好景気で、昭和45年に大阪万博が開かれるべくパビリオンの建設などが進んでいました。
     運動の指導的立場にあった学生の中には、自分たちの運動の行き詰まりや現実との乖離から、自ら命を絶つ人もいたそうです。

     山本健児さんも、京都の医学生であった様ですね。エリートです。
     そうして、暁子おばさまは、九条家の出身、京都の公家の家柄です。
     暁子おばさまは、二人の関係を「親が決めただけの仲」と言っていましたけれども、きっと、芳翠先生など周囲の人達からうらやましがられる相思相愛の仲だったのでしょう。
     山本健児さんが亡くなった後、暁子おばさまは、京都を離れ、鹿児島の島津家、つまり、江戸時代のお殿様の家に嫁いだ訳です。

     孫の文子さんは、何もかも知っていて、祖母の帰郷に付き添ったみたいですね。

  •  おお、美織ちゃん、孫と言ってもらえましたよ。
     孫はたしかに、返品はできないですよね。

    作者からの返信

     閲覧と応援コメント、ありがとうございます。

     美織、孫と言ってもらえました。
     でも、悦子お姉さんに甘い顔はしない芳翠先生なのです。
     どうなる事やらw