エスの章

 電話の向こうから、だらだらと流れてくる、エイチの近況報告を聞き流しながら、俺はあの夏の残像を見つめていた。

 短い冒険の直後だ。

 俺はもう一度、インターネットにある情報を片っ端から漁ってみたけど、例の廃墟の動画も画像も出てこなかった。テレビ局の取材クルーがまとめて行方不明になった事件があったかどうかも検索した。それもヒットしない。市の中央図書館まで出かけて、過去のローカル新聞記事を調べ上げた。大メサイア救世教の事件に関係する記事はたくさん見つかった。この宗教組織が建設していた施設の写真もあった。だけど、建設中だった宗教施設が廃墟と化してからの情報は一つも無かった。テレビの取材クルーが事故にあったり、失踪したという事件も無かった。

 もしかすると、取材クルーの一件は隠蔽いんぺいされたのかもな。

 俺の考えは飛躍して、そんなことまで疑い始めた。マスコミ業界は情報の喧伝を仕事にしているけど、身内の不祥事や事故となると出来る限りで隠したがる。報道したとしても、紙面の下のほうや、ニュース番組の後半でチョロっと触れるくらいで深いところまで追及しない。もっとも、身内の事故や恥を隠したがるのは、大きな組織から個人の家庭に至るまで似たようなものだろう。

 次に来た夏の出来事だ。

 都会から帰省してきたエムとエイチ、それに、他の旧友の数人で酒を飲んでいるうち、「もう一度、その廃墟へドライブに行ってみようじゃないか」と、そんな話の流れになった。それぞれ都合が合わず出発が遅れ、現場に到着したのは真夜中だった。辿り着いてみると砂利の下り坂への入口は金網と鎖と南京錠で厳重に封印されていた。

『この先、危険につき立ち入り禁止。H市土木工事整備西事務所』

 そんな看板までついている。

 目的地へ辿り着けなかった帰り道の車内で、俺たちの会話はほとんど無かった。みんな不貞腐れた顔で、かったるそうだった。その日を境に、エイチや他の連中から俺へ来る連絡は飛び飛びになって、やがて、一切の連絡が無くなった。俺のほうから声を掛けることもなかった。あの夏の短い冒険から一年の時間が経過しただけだ。たった、それだけの時間が過ぎただけで、俺たちは、もう、お互いの失敗や愚さを楽しむことが二度とできなくなっていたのだった。

 あの頃の俺や、エムや、エイチや、その他の奴らが、全力で笑い合っていたのは、そんな青臭くて、蒸し暑い季節の、ちょうど変わり目で――。


『――えーと、都会こっちへ出た後、そんな感じに何やかんやあってさあ、今の俺は小さな芸プロの社長をやっているんだわ』

 エイチは長々とした経歴紹介を終えて笑った。

 その笑い声は黒板を爪で引っ掻いたような印象だった。

「芸プロ――芸能人プロダクションっていうと――テレビ屋向けの人材派遣か?」

『ま、大雑把に、アレだわ、ソレな――』

 エイチが電話の向こうで、また引きつった笑い声を上げた。

「へえ、エイチは都会むこうで随分と出世したみたいだな。それは、おめでとう」

 俺の声は自分の耳で聞いても「そんなこと、どうでもいいよ」そう言いたそうな響きだった。

『俺が出世、か――?』

 エイチは呼吸することを止めてしまったような反応の後、

『――確か、エスはK社グループでサラリーマンをやっている――だよな。しかも、本社の経営企画部へ配属とか――それ超がつくほどの花形部署だわ――K社グループは歴史が長くて手堅いし、事業もいろいろ手広くやってる――不動産デベロッパーなんかもやっている大企業だろ。何やかんや、地元そっちに残ったエスほうが出世して――』

「何で、エイチがそれを知って――あのクソどもは、お前のところにまで手を回したのかっ!」

 俺の怒鳴り声で時間が止まった。

『――い、いや、あの――俺、何かエスの気に障るようなこと言ったかな――ああ、いや、俺はK社グループの動画のなかで、たまたま、エスの顔を見かけたんだわ――な、何年か前の話なんだけど、それで気になって検索したら、サイトにエスの略歴があって――』

 俺は深呼吸を二つした後、

「怒鳴って悪かった。俺はちょっと前、そのK社グループをクビになったんだ。説明するのが面倒な理由で――いや、この話は終わりにしよう。エイチ、昔のよしみだ。これ以上は訊くなよ」

『そ、そうか。今のエスはK社グループにいないのか――まあ、エスさ。今度、飲みにでも行って、ゆっくり話をしよう。あの頃、付き合いのあった奴らにも声を掛けて、さ――そ、それじゃ、夜も遅いし――また、な?』

 エイチは俺の返事を待たずに電話を切った。それで俺は奴と酒を酌み交わす機会がもう二度と無くなったことを確信した。昔の奴は俺を遊びに誘うとき『今度』なんて曖昧な言葉を絶対に使わなかった。いつだって奴からの誘い文句は『今から』だった。『今から』がどうしても無理だと、仕方なく『今夜』だとか『明日』になる勢いだった。今はもう奴の口から、おざなりな文言しか出てこなくなってしまったということだろう。K社グループの社員だったとき、仕事の上で多少の付き合いがあったから知っている。あの手の業界人は人目のあるところで綺麗な絵空事を並べるのが得意だった。しかし、舞台道具の裏手を眺めてみると、どいつもこいつも他の誰かを傷つける嘘を吐き散らかし、それが当たり前だと言わんばかりの態度で生きていた。きっと、虚飾の世界で生きていると、そのひとの魂まで虚飾に蝕まれてしまうのだろうな。俺はそう考えた。エイチは昔から見栄坊で、マスコミ業界がこさえる虚飾に――大嘘の世界に憧れを抱いているようだった。エイチと音信不通になったあたりで、奴の人格が虚飾そのものになるだろうなという予感はあった。でも、俺はエイチにそうなってほしくなかったのだ。エイチのMobモブから突出している行動力や集中力や思考のスピードは地に足の着いた仕事で使うべきだよな。そうすれば、きっと、本人も、その周囲にいる人間も、幸せな結果へ辿り着ける筈だ。俺はずっと、エイチに漠然と期待をしていた。だけど、当時、俺は奴へそれを言わなかったし、今だって、奴へそれを伝えるつもりがない。

「――なあ、エイチ。俺たちの間に、クソ真面目な話が入り込んでくるスキマなんて微塵も無かった筈だろ」

 受話器を握ったまま、永遠に来ない返答を待っていると、

「エス、こんな時間にどうしたの?」

「お袋――」

 俺のお袋が暗い廊下に突っ立っている。

「エス、こんな時間にどうしたの?」

「――何でもねェよ。夜中に大声を出して悪かった」

 受話器を戻して自分の部屋へ足を向けた。

「エス、こんな時間にどうしたの?」

 お袋が玄関口へ向かって言うのが、背のほうから聞こえた。

 今夜も俺の酒の相手は小さなテーブルに並ぶ安酒の空き瓶と空き缶だ。

 嫌なことは酒でも飲んで忘れてしまえ。

 そんなことを言われたところで、こどおじ部屋へ引っ込んで、発泡酒を呷る俺の頭に浮かんでくるのは、思い出したくもない過去ばかりだった。








 § ときは再びエスの過去へ遡る §








 どう見たって、かったるそうだから、社会人なんてものは絶対にやりたくねェよなあ。

 無為な大学から、どうにか四年きっかりで脱出した無為な俺は就職をせず、半年くらいの間、単発のアルバイトをやったりやらなかったりして、やっぱり無為に生きていた。お袋や親父から毎日のように就職しないことを非難された。高い学費を払って育てた一人息子が学校を出ても無職でぶらぶらしていたら、親から非難されるのは当然だよな。俺自身もつくづくそう思っていたから反論できない。そんな居心地の悪い生活をしているうちに、親父方の遠い親戚から声を掛けられた。

「K社グループのどんな職場でもよければ、エスちゃんをねじこんでやれるぞ」

 そんな感じの就職あっせん話だ。俺は昔、この話の出元と顔を合わせたことがあるらしい。俺は覚えていない。そのくらいの遠縁から舞い込んできた話だった。

 K社グループは俺の地元の公共交通機関運営を一手に引き受け、さらには、百貨店やショッピングモール、田舎では高級の部類に入る観光ホテル、自動車販売代理店の運営、スーパーマーケットのチェーン展開、不動産開発、住宅の建築販売、保険販売業、旅行代理店、IT通信業――その他の業種へも手を広げ、立ち上げたたいていの事業を半世紀以上維持している企業集団だ。むろん、「俺の田舎では大きい会社なんだよ」そんな前置きがつくていどの規模ではある。

 悪い話ではないと思う。

 でも、俺は会社員をやるつもりなんてなかったし、「どんな職場でも」あたりの発言も気にかかって断った。その途端、お袋と親父の目が言語を絶するほど厳しくなって、結局、そのあっせん話に乗ってしまった。意志薄弱な自分が悩ましい。で、あっせん話の出元――遠縁のおじさんが、面接の日、自宅まで迎えに来てくれるという。

 その当日だ。

「きっと、田舎ビジネス油で全身ギトギトの、唾棄すべきクソジジイが、恩着せがましい偉そうな態度で来やがるんだろうな。ああ、相手にするの、面倒くせェな――」

 俺はそんな感じで身構えていたのだけど、運転手つきの、緑のナンバープレートの、でっかいセダンの後部座席から降りてきた遠縁のおじさんは、ロマンスグレーの髪に長身痩躯ちょうしんそうくを黒いスーツで包んだ、スマートな初老の男だった。フランス文学だとかドイツ文学なんかを淡々と語っているだけで、年上趣味の女子大学生を毎年毎年必ず食い物にする、女たらしの老教授。そんな印象の色男だ。着なれないスーツ姿の不格好な俺と、このスマートなおじさんが並ぶと、月とすっぽん――いや、すっぽんは高級食材の部類だから――ああ、灰とダイヤモンドあたりになる。

 俺は恥ずかしかった。

 家の前まで出てきて俺とおじさんを見送った親父は数えきれないほど頭を下げた。その横で「お願いします。どうか、うちの息子をよろしくお願いします」お袋はそんなことを言いながらめそめそ泣いていやがる。

 これも恥ずかしい。

 その上にだ。

「やあ、エスちゃん、随分と久しぶりだね。うん、うん、あのときの私が見込んだ通りだ。立派な男衆おとこしゅうに育っ――いや、うーん。ネクタイだけは少し曲がっているみたいだよ」

 おじさんは微笑んだまま俺の首元に手を伸ばした。ほんの一秒、二秒だ。それだけの時間で、まるで手品のように、俺のネクタイはパキッとした結び目になっていた。

「あ、あの、その――おじさんの手ェ煩わせて、すんません。今日は世話ンなりますっ!」

 履き慣れない革靴の爪先にくっつきそうなほど頭を下げた俺の両耳が熱かった。運転手が開けてくれたドアから後部座席へ乗り込んだ俺の顔は、きっと、真っ赤になっていただろう。

 出会って初めて受ける印象というものは当たらずとも遠からずが多いものだと思う。

 おじさんは元々、東の都の大学――Fラン大卒の俺から見ると目の玉が飛び出るほど偏差値の高い大学で教鞭を取っていたらしい。還暦を機に教職を辞した今は、全国津々浦々にある企業の相談役として旅烏たびがらすのような生活を送っているとのことだった。ただ、生徒へ教えていたのはフランス文学だとか、ドイツ文学ではない。

 経済学だ。

「企業相談役と肩書を変えてみたところで、私の顧客は、ほとんどが元教え子なんだ。これでは、教員をやっていた頃と、やっていることがあまり変わらないよね」

 柔らかく微笑み続けるおじさんから話を聞いているうちに、曖昧だった幼い頃の記憶が蘇ってきた。

 俺が小学校へ上がる前後の話になる。

 俺とお袋と親父は、遠い親戚の婆さんに連れられて栗拾いへ行った。道中に熊の巣穴があるような、とんでもない山奥だった。お袋も親父も体力を切らしてへとへとになった。俺もふらふらになった。案内をした婆さんは、ぜんぜん平気だ。普段から山で生活しているひとは足腰の作りがまったく違う。この案内をしていた婆さんが、今、俺の横にいるおじさんの母親だった。チョモランマのような栗のお山から、どうにか生還した俺とお袋と親父は、そのまま婆さんの家の宴会へ呼ばれて泊まっていった。今になって考えると、俺たちは田舎でやる秋祭りにお呼ばれされていたようだった。

 あれは、山間にあるでっかい和風平屋建ての大広間だった。

 長い卓の上に寿司と山の幸と酒の瓶がはみ出すほど並んでいた。そこへ婆さんの子供や親戚が集まっている。それが、みんな立派な身なりをしていた。疲労困憊していた俺の親父は周囲からマムシ酒(※毒蛇のマムシを強い焼酎でまるっと漬け込んだ精力を増強するためのお酒。田舎ではこれを原料の調達含め、お手盛りで作っている家がある。嘘ではない)をすすめられて酔い潰れた。顔が赤黒くなるような酔い方だった。実家が貧乏で金持ちのやる集まりに慣れていないし、酒を飲めない俺のお袋は、ずっと宴会の片隅で小さくなっていた。俺はと言うとだ。宴会席のど真ん中で栗ご飯を食い散らかした。子供は大人の社会的権威に臆さない生き物だ。このときの俺も例外ではなかった。酒臭い爺さんや婆さんやおっさんやおばさんやお兄さんやお姉さんが、そんな俺を囲んで眺めながら、あれやこれや言って笑っていた。俺の記憶に定かではない。その笑顔の輪のなかに、遠縁のおじさんも交じっていたらしい。

 これは、昨日の夜、俺の親父が俺のコップへビールを注ぎ入れながら、ぽつぽつと教えた。

 栗拾いのお山と山間の大きなお屋敷を持つ婆さんの子供は、大企業の取締役員をやっていたり、医者や弁護士や大学教授なんかをやっていたりと、パワーエリートの経歴を持つ男たち揃いで、近い親戚も似たような経歴の連中ばかりだという。婆さん自身も国内の林業が盛んだった時代は、お大尽様だいじんさま(※お金持ちのこと)そのものの生活をしていたらしい。親父方の親戚筋で、栗拾いのお山の婆さん一家は、ゴッドファーザー的――いや、ゴッドマーザー的一家の立場にあるそうだ。

 おじさんと昔話をしているうちに、緑ナンバーのセダンは新幹線の駅の近くの、K社グループ本社ビル前で止まった。新幹線の駅よりずっと大きなビルディングだ。俺の顔から血の気が引いた。実際、ざざあーっと血の引ける音が耳の奥で聞こえた。俺のほうは、せいぜい、本社系列下にある私鉄の駅で朝から晩まできっぷを切るだとか、スーパーの鮮魚販売コーナーで刺身包丁を振り回すだとか、配送車で県内を隈なく爆走するだとか、そういう泥臭い下仕事を、このおじさんから紹介される――紹介して頂けるものだと想像していたのだ。

 おい、このスカした還暦過ぎ野郎、これはタチの悪い冗談だよな?

 俺は内心そう思ったのだけど、そう叫んだのだけど、そのスカした還暦過ぎ野郎は、小ぎれいな受付嬢の二人組へ、

「経営企画本部長のアール嬢に面会の予約を取りつけてあります」

 受付嬢二人組が揃って頬を赤らめながら頭を下げたところを見ると、どうやら、このダイヤモンドのような年齢の重ね方をしている遠縁のおじさんは、今日この日まで最底辺へ降り積もる灰にまみれて生きてきたチンピラ同然のこの俺を、ぴっかぴかのビジネス劇場へ本気でねじこむつもりのようだった。

 刑務所にでも放り込まれたほうがまだ気楽だろ。

 全身全霊で真っ青になった俺を上階の広い会議室で待ち構えていたのは、五十歳前後に見える女性一人で、このひとが経営企画本部長のアールさんだった。

 この羅刹女らせつにょが俺の最初で、実質的に最後の上司になった。


 図らずも俺の同僚になった男や女は、たいてい、東の都や西の都にある有名大卒や院卒で、数少ない地元組も国公立大卒らしい。

 どいつもこいつも似たような反応だ。

「あぁ、そう。エス君は、そうなんだ?」

 俺の経歴を聞いて、にちゃあと笑う。

 実際、俺は自他共に認める意識低空飛行の底辺学歴のクズ野郎だ。その上、親戚のコネ経由の中途採用だ。本格的なパワーエリートから経歴を笑われるのは仕方ないのかなと思っている。だが、その過程にいるつもりなだけの、ど田舎で糊口を凌いでいる平の会社員風情の、クソみたいにマヌケなトイプードル連中から見下されるのは絶対に我慢ならなかった。ニート志向でクズニートのチンピラそのものだった俺が、K社グループ一番のキレ者で、この上なくおっかないと畏れたつまつられていたアールさんから一番近い席に置かれて、諸々のビジネス作法や手法を骨の髄まで叩き込まれるシゴきに――ほぼほぼ、パワーハラスメントに耐えることができたのは、周辺にいるトイプードルどものケツを、いずれは思い切り蹴とばしてやりたいという復讐心に支えられていたからだと思う。

 中途採用にまともな研修なんぞ無い。

 アールさん自身が、朝から晩まで直球で直接だった。俺はそれを遠巻きに眺めているだけのトイプードル連中まで青ざめる、千本ノックのような社畜調教を半年受け続けた後、アールさんを補佐するカバン持ちの一人に引き上げられ、資料作りの一端を任された。その途端、周囲にいたトイプードルの群れは怒り狂ってガクプル震え、

「Fラン大卒のエスが本部長直属で役員会への提案に関わるだと! いくらなんでも出世が早すぎる。ああ、エスはコネ入社だから贔屓されているってわけか。ふざけやがって。エスはすぐにでも過労自殺をしてしまえ!」

 そんな陰口を叩き始めた。

 こいつらは、救いようがない馬鹿どもだよな。

 これは、俺の戦争だ。

 独りぼっちでやる戦争だ。

 へえ、お前らみたいなお利口ちゃん組ってのは、戦争中でも手段を選べと学校で教えられてきたのかよ?

 俺はせせら笑った。

 しかし、実際のところはだ。

 俺は贔屓なんて全然されていなかったぞ。

 アールさんのシゴきは最初から最後まで海兵隊が新兵にやる訓練のビジネス版だった。俺が休日返上で作ってきた資料をチラ見しただけで、二度も三度も四度も立て続けにゴミ箱へ放り捨てるなんて、まだまだヌルい対応のほうだったよ。他にも色々と苦労をしたし、自発的に努力も薄汚い真似もしたのだけど、それは思い出したくないし、他人へ聞かせて面白くない話ばかりだからやめておく。これは後で知った。今、俺が座って脂汗を流しているデスクに元々いた新人君は五月病を拗らせて自主退職をしたらしい。俺は戦没者の穴埋め要員として、この地獄のようなビジネスブートキャンプへ送り込まれた形になる。

「ま、実際、トイプードルは軍用犬に向いてねェよな――」

 俺は土曜深夜の部署に一人残って、プレゼン用の資料を作りながら苦笑した。

 遠縁のおじさんの目に狂いはなかったということだ。

 そんな模範的な社畜生活を二年ほど続けていると、俺はアールさんから実務の現場の情報収集という社内スパイ行為――いや、実働に移った企画の追跡調査を任されるようになった。誰よりも早く出社して調査報告書を作り、アールさんからその調査報告書のダメ出しをされ、当時いたチームから分担された企画の骨子や関係する資料を作ってダメ出しをされ、他にも色々とやってはダメ出しをされ、定時一時間半過ぎからアールさんの訓戒と指示を受け、社内の企画調整会議に参加して酒を飲み、子会社へ出向して現場の残業を手伝いながらスパイ活動をしつつ酒を飲み、得意先や仕入先や下請けの飲み会に顔を出して情報交換をして――とにかく、俺は月曜日の早朝から日曜の深夜まで仕事をしていた。この時期は、本当に仕事の他のことをやっていた記憶が無い。会社から大して遠くない実家へ帰るのも面倒で、営業車のなかやカプセルホテルで夜を明かし、本社ビルの近所で二十四時間営業をしていた、ホモのハッテン場ではなさそうなサウナ風呂で身体の芯に残った酒を絞り出して早朝出社をする勢いだった。

 俺の仕事のやり方は、ノートPCの画面で大量の資料を先方へ見せびらかし、「ここで、ご提案です。ワタクシメカラアナタサマヘゴテーアンガゴザイマースッ!」そうキャンキャンとビジネス用語や、その他の専門用語を吠えたてて、銭金の問題をけむに巻きつつ、じわじわ先方のマウントを取っていく小賢しいトイプードル方式ではなかった。月月火水木金金の二十四時間体制で連絡を待ち構え、先方から許可が出た瞬間、酒の一升瓶だの菓子折りだの果物の籠盛りだのソープランドやデリヘルの割引券だのを手土産に突撃し、笑い話やお涙頂戴を織り交ぜつつ、こちらの主張を謹んで拝聴してもらう、昔ながらのモーレツ営業マン方式だ。これは当世のビジネス業界だと針のむしろの上で落語を一席ぶっているようなものだった。

「俺という男は本格的な落語家へ転職したほうがいいんじゃないのかな?」

 そう本気で思い悩んだことまである。率先して反働き方改革をやっていたんだぞという自慢話ではない。俺という男は、流行に合わせた格好を演出できるほど器用ではなかったから、自分の時間と我が身、それに、メンタルを削り取って仕事の燃料にするしかなかった。これは、ただ、それだけの話だ。

 入社して八年も経つと、俺は社畜を卒業して本格的な軍用犬に仕上がっていた。

 そのときの俺がどんなポジションいたかと言えば、相変わらずアールさんの使いっぱしり――いや、懐刀をやりながら、経営企画本部や系列下の課が持て余している提案や企画を遊撃的に引き継ぐ汚れ役――経営企画本部付課長代理だ。そんな肩書を軍用犬の首輪からぶら下げていると、面倒な性格の案件に困り果てた、ひ弱なトイプードルどもが千切れんばかりに尻尾を振って、俺の足元へすり寄ってくるようになった。さながら、俺は経営企画本部のハリー・キャラハン(※映画『ダーティハリー』の主人公)と言ったところだろう。もっとも、向こうで土下座、こっちで土下座、明後日の方向にあるような事業プロジェクトの傭兵になってはまた土下座で、ヨレたスーツをだらしなく着ている俺は、野郎どもが痺れて憧れる孤高のアンチヒーロー像とは、ヴィジュアル的にも内容的にもほど遠かったのだろうけど――ともあれ、俺は片っ端からケツを蹴り上げてやりたいと憎んでいた同僚へ、本気で敵意を抱くことができなくなりつつあった。今はたいていの同僚が仕事のパートナーだ。後輩を率いる形で仕事をしてもいる。どうも、俺が息巻いて仕掛けた戦争は、当の本人も知らないうちに和平条約が結ばれていたらしい。

 それと、俺は女子社員から、ちょっぴり熱い視線を浴びていた。

 気づくと俺は三十路の山の頂きが眼前に迫った結婚適齢期にいる。

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