第50話 ティリー伯

 この話の主な登場人物


 カトリーヌ 主人公(わたし)

 フランツ 護衛であり夫

 ヒルダ 家庭教師

 デニス 金髪の剣士


 ローザリンデ フランツの母

 フリーデ フランツの妹


  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 夫人の言葉が終わると、皆、しばらく声なく黙っていた。

 この沈黙は居並ぶ諸侯や代表の敗北を意味している。

 フランツが本物であるのかどうか、その詮議は問われないことになった。


 だけどである。

 バイエルン公であるアルブレヒトが何とか口を開いた。


「わ、わかった。ここに居るフランツが本物であることは了解した。だけど、何か証明できるものがあれば」


「我が母の説明以外に証明が必要ですか?」


 フランツが静かに問う。


「夫人の言葉に納得はできたが、でも、ここに来られなかった諸侯も多い。その彼らが納得できるくらいの証明できるものがあれば」とバイエルン公はなおも食い下がる。


 わたしは聞いていて腹が立った。

 何を差し出せば満足できるというのか。


 決まっている。

 そんな物がないから求めているのだ。

 つまり悪魔の証明という絶対に出ない答え、それを証明をしてみせよと言うのだ。


 だけどそんな難癖にもフランツは動じない。


「信用など、されなくても結構」


 それを言った彼は静かだった。


「己の身を証明してみせないのか」


「もしどうしてもと言うのであれば、証明するのは戦場でだ」


「なに」


「この際、はっきり言っておく。わたしは誰の承認も得ない、その気もない。この会議は承認を得るためと申したが、もっというとわたしが家を継ぐという、その表明でしかない。それに反対する者は、誰であっても弓を引く者として取り扱う。それに異を唱える者はこの場で正直に申し出て欲しい」


「脅しか」


「脅しではない、決意表明だ。わたしに一番最初に反対する者は誰だ、その者と徹底的に対決する。勝とうが負けようが関係なく、わたしに一番最初に弓を引いた者、その者と完全に雌雄を決するまでやる」


 そのフランツの言葉に、皆は再度、息をのんだ。

 昨日まで何の地位を持たなかった彼が、ゲルマンの諸侯を前に一歩も引かぬと公言して見せた。しかも一番最初に反対した者と戦うというのだから、誰も言い出せなくなってしまった。


 部屋の中はしんと静まりかえる。

 これで勝負あったかなと思えたそのとき声がした。


「やあやあ、遅れてすまない」


 それはホール入り口からした。

 皆は顔を向けてその声の主を見る。


 一人の貴人がそこに居た。

 後頭部に手をやり、少し頭を下げ、いかにも申し訳ないという表情で慌ててくるところだった。


 手には聖書と十字架を持ち、再び、「遅れてすまない」と謝罪したあと、我々に向けて二本の指で十字を切り、「お集まりの皆様に神の祝福を」と述べた。


「ティリー伯」とフリートラント公がその名を呼ぶと、居並ぶ諸侯がざわつき始めた。


 わたしもその名前をよく知っている。

 ヨハン・セルクラエス・グラーフ・フォン・ティリー、短くティリー伯。

 彼はこのゲルマンの地で有名だった。


 そのティリー伯は、案内もなく、自分で席に座った。

 しかもテーブルの端、フランツの対面にだった。つまり主催であるフランツと主賓であるティリー伯という図式になる。


 その席は諸侯が集まる場で誰が上席かをもめないように、あえて空席にしてあったのに。

 だけどティリー伯はそこに座った。

 偶然だろうか。

 わたしはそう思わなかった。


 先に到着していた従者がつっとティリー伯に近寄り、耳打ちするようにしてこれまでの経緯を伝えていた。


「なるほど、なるほど。フランツ殿が何者であるのか、それでもめていると。ふむふむ、証明は戦場いくさばでと、それで諸侯が息をのんで居られると、なるほどなるほど」と一人納得している。


 わたしはそのときに諸侯の顔を同時に観察していた。

 ティリー伯の来着に何人か難しい顔をしている。

 具体的にはザクセン公。


 それ以外、フリートラント公と先ほどから難癖をつけているバイエルン公を初めとして、他の諸侯は気色を露わにしている。つまり喜んでいる。


 それよりも気になることがあった。

 フランツが難しい表情をしているのだ。

 だけどもっと厳しい表情をしている者が居る


 デニスだ。

 それは難しい表情を超え、ティリー伯を睨みつけている。

 さらに叔父のベルクマン男爵も、心配そうにデニスを見ている。

 わたしはある予感がして胸騒ぎを覚えた。


「皆さん、いけませんなぁ、そんな対決姿勢では」と明るい声のティリー伯。

 さらに、「エーベルファインのご長男、かの有名な峠の別れ、そのフランツ殿がお戻りになられたというのに、そんなに目くじら立てることもありますまい。皆、神の赤子せきしなのです。神の前には誰もが平等なのです。その愛を受けたからこそ、お戻りになられた。そう思えばこれは奇跡なのです、もっと祝福せねば」


 そこで両手を合わせ、テーブルに置いた聖書と十字架に頭をたれて祈った。


「あのお方、誰です?」


 ヒルダが小声で聞いてきた。


「ティリー伯ヨハン・セルクラエス」


「なんか敬虔な教徒みたいですね」


「ええ、戦場でも聖書を片時も離さず、それでついたあだ名が『甲冑を着た修道士』と言われているのよ」


「そうなんだ。でも、先ほどからデニスがとても怖い顔をしているのですけど、何でなんでだろう」


 そうつぶやくヒルダの視線の先にはデニスが居て、その彼は鬼の表情でティリー伯を睨みつけていた。


「それは、たぶん、ティリー伯には他にもあだ名があって、それが関係しているのだと思う」


「それはどんな?」


「血塗れのティリー」


「えっ!」


「あるいは処刑人ティリー」


「そんな、だってあの人、さっきから神の祝福とか言ってるのに」


「ヒルダ、マクデブルクのお話、知っているわね」


「ええ、新聞や書籍で読みました。籠城戦のあと、市民全員が虐殺された事件ですよね。えっ、あっ、もしかして、ティリー伯が」


「そう、その籠城戦と市民虐殺の指揮をしたのが、いま、目の前に居るティリー伯、その人」


 その言葉を聞いたヒルダは目を見開き、ティリー伯を見た。

 そして、「マクデブルク劫掠ごうりゃく」と驚愕の表情でつぶやいた。


 マクデブルク劫掠。

 ハンザ同盟の有力な都市であるマクデブルク。

 そこを教皇軍が包囲し、その指揮を執ったのがティリー伯だ。

 そして半年の籠城戦のあと、都市が降伏して開城すると、軍隊を突入させて虐殺と略奪が始まった。

 それもただ統率の取れなくなった兵士が勝手にやったのではなく、命令としてやらせたのだ。

 もちろんティリー伯の指示だ。


「市民三万とも四万とも言われる人が殺された。助かったのは五千人も居なかった」


「でも、その助かった人たちって」

 そうつぶやくヒルダの顔がなおも暗くなる。


「そう、すべて女性。それがどんな意味か分かるわね」


 その問いかけにヒルダはこくんとうなずく。


「途中で何人も死に、後日、かなりの女性が自殺したわ」


 わたしは気持ちの良い話しではないので、その部分だけを簡単に説明した。

 でも、それでどんな惨いことが行われたのか想像はできる。

 まったくもって唾棄すべき出来事だった。


「神を口にしているのに」とヒルダが目に涙を浮かべている。


「それが正しい教えなんですって」


 ヒルダが分からないという表情で顔を横に振る。

 わたしも訳が分からないけれど、知っていることを説明した。


「何でもプロテスタントような間違った教えを一度でも信じた者は剣で神の国に送ってやることが救いだって。だから修道衣ではなく鎧を身にまとい、剣で誤った教えを信ずる者達を天に送り届ける、その使命のために戦争をしていると常に公言しているのがティリー伯」


「いかれ過ぎている」


 そう、ヒルダの言葉通り、正気の沙汰ではない人間がこの世には居るのだ。

 しかも権力の側に。


 わたしはとてつもなく不安になる。

 フランツの正面に居るのは、この大陸でも一番血塗れた人物。

 ゲルマンの地で有名な二人が対座している。

 その光景に諸侯も息を飲んで見守っている。


「わたしの考えを言っておこう」とフランツが口火を切る。


「どうぞ、お聞かせください」と笑顔のティリー伯。


「わたしはプロテスタント側につく」


 その言葉に諸侯が大きくざわつく。

 ティリー伯はカトリック側の人間だ。そしてプロテスタントを虐殺することを至上命題としている。

 フランツの言葉、それは宣戦布告に他ならない。


 その言葉にティリー伯はぴくと眉を上げ、「では皇帝であるハプスブルグ家とローマの教皇に刃向かうと」


「そう言ったのだが。そう、わたしはそれらに与しない」


「わたしの処刑方法をご存じかな」


「知っている」とフランツ。その彼はとても落ち着いている。そして、「首謀者や代表、敵対する首班の手足を使えなくして張付けにし、その目の前で家族を処刑するんだろ」と静かに言った。


「なるほどなるほど、知っていると」とティリー伯は笑みを絶やさない。さらに、「そう、己の罪を知らしめて神の国に送る、それがわたしのやり方。それを知って対立すると、なるほど」


「わたしを見くびるなよ、ティリー伯」


「見くびってなど居らん」


「いいや、見くびっている。自分が同じような目に合わないと思い込んでいるから、そのような薄笑いができる」


「この笑みは神の祝福の現れ、常に祝福を受けているのだよ。そのわたしが神の国にいざなってあげよう、フランツ」


「その神がどれほど信ずるに足る存在か、やがて思い知る。それをわたしが宣言する」


 それで二人は視線を交えたまま黙った。

 息苦しい空気が二人の間を流れ、諸侯も言葉を出さずに成り行きを見ている。そしてわたしも胸が苦しくなった。

 血塗られていても、毅然と前を向いて進まなければならない、それが王の道。

 それをフランツは進み始めている。

 その息苦しさにめまいがしそうだった。



※ティリー伯とマクデブルク劫掠などは実際にあった話です

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失国の令嬢舞い戻る - 婚約者に裏切られ、妹に毒殺されそうになったわたしは国を離れ、夫となった大公と大軍を率いて舞い戻る - 斎藤まめ @saito_mame

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