第40話 心の臣従関係
この話の主な登場人物
カトリーヌ 主人公(わたし)
フランツ 護衛
ヒルダ 家庭教師
デニス 金髪の剣士
コック長
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「姫さまーっ、わしらがついてますぜーっ」と隊員の中から声が上がる。
それを聞いたわたしはもう駄目だった。
涙腺が決壊した。
思わず両手で顔を被ってしまった。
そして肩を震わせて泣いた。
「あー、誰だよ、姫さま泣かせたやつー」
「すみません、そんなつもりじゃあ」
「わたしダメね、すぐ泣くようになって……」
「あっしらも泣きますぜーっ」
「お前が泣くのは賭に負けたときだろ」
そんな声に隊列がどっと沸く。
「姫さま、姫さま、涙は心に虹を見せる言いまして、お優しい現れです。さっ、存分に」
そんな慰めもかけてくれる。
「どうです、気の良い連中でしょ」
その声はデニスだった。
フランツとコック長も来ていた。
「とても、とても、気立ての良い人たちですね」
「それと同時に彼らは嬉しいんですよ。我が家には長らく姫と言える貴婦人が居りませんでしたから」
そのデニスの説明に、ヒルダが食いつくようにたずねる。
「それはどうしてです。よ、嫁入りの話とか、なかったんですか」
「ないです」と言ったデニスの言葉に、ヒルダは心底ほっとした表情を見せた。さらに彼は、「クノール家は陪臣なんですよ。さらに陪臣の陪臣というわけでして」そう述べる。
陪臣とは王や皇帝の家臣ではなく、その家臣の配下という意味だ。
陪臣の陪臣ということは、配下のさらに配下ということになる。
それをデニスはそんな家中のことをこう説明した。
「父が亡くなったあと、先代の妃、つまりわたしの母が遠くに行ってからは、叔父などは他家の陪臣になるために当家を離れました。だからもうずっと令嬢や后といった存在が居らず、それが隊員たちには寂しかったのです」
その言葉を聞いてから、わたしはもう一度隊員の皆さんを見回した。
手を振るヒルダに彼らは嬉しそうに手を振り替えしたり、胸に手を当てて挨拶をしている。
そしてわたしにも手を振っている。
だから涙の顔のまま、手を振り替えした。
その隊員の彼らは、口々に、「姫さまだ、俺たちにも姫さまがおわす」「しかも二人も」「今だけでも、今だけでもいい。俺たちにも姫さまが居る」
そんなことを言い合っていた。
こんな流浪のわたしをそこまで言ってくれる。
その表情は、おもはゆいけれど、まるで聖母を見るかのようだ。
あるいは母を見る子供のようでもあった。
すがるような目をしてわたしとヒルダを見ている。
でもわたしにはかける言葉がない。
いま一時、ここに保護されているだけで、臣下の関係ではないからだ。
へたに言葉にしたら、それを確認してしまうことになる。
──どうしよう。
そんなとき、フランツがつっと近寄り、わたしに耳打ちした。
「カトリーヌ、君の気持ちをそのまま伝えたらいい。彼らはわかってくれる」
そう助言してくれた。
わたしは彼の目を見た。
彼もわたしの目を見る。
そして、「真心はきっと伝わる」と言ってくれた。
彼はわたしの心の逡巡を見抜いていたのだ。
それを受けて決意する。
それをヒルダにそっと打ち明けたあと、彼らと正対した。
「みなさん」
わたしのその一言で隊員たちがしんと静まりかえる。言葉を待っている。
その沈黙を受けて、言葉を続けた。
「わたしはご存じのように流浪の身、寄る
「それは、このわたし、ヒルダ・チルモンも同様です」
みんな真剣なまなざしをこちらに向けている。
その眼に向けて、わたしは言葉を届ける。
「でも、いまのわたしは領地を有しておりません。家を離れ、何の後ろ盾も持っておりません。ですから、何か恩賞を約束できる、そんな身分ではありません。力もありません。そのような存在ではありますが、できることなら皆さま方と心の関係を持ちたいと思います。言葉による終生の心の関係、それを、どうか」
わたしは言葉にまた詰まる。
でも何とか気持ちを言葉にだす。
「どうか、心の関係を結びたいと願っております。数々の温情、ご高恩に言葉を返すだけという都合の良い申し出なれど、それでも、なお、皆さまと心の関係を結びたいと」
そこでわたしはヒルダに目配せをしたあと、スカートのすそを持ち上げ、腰を落とし、頭を垂れて懇願した。
「わたしは懇願いたします」
それは皇帝や教皇にするような最上位の礼だった。
彼らに礼を尽くしたかった。
ヒルダも同様の姿勢を取り、「わたしからもお願いします」と良く通る声で言った。
そして二人して声をそろえた。
「終生の心の関係を皆さま方と共に」
しばし沈黙の時が流れる。
わたしたちは頭を下げたままだ。
誰もが咳払い一つなく声を出さない。
だけど。
まずは、「ビ、ビバ」と小さい声がした。
そのあとに、「レェズ ドゥ プリンセス」と続いた。
そしてもう一度、「ビバ レェズ ドゥ プリンセス」と声がした。
その後、一気に声が爆発した。
「Vive les deux princesse!(ビバ レェズ ドゥ プリンセス!)」
『万歳、二人のお姫さま!』
わっと、大気と大地が震える。
さきほどよりも大きな声でそれを繰り返す。
「すごいぞ、最上位のご令嬢が俺たちと」
「しかも二人、ふたりだぞ」
「昨日まで后のない家に、いきなり二人も姫が」
「領地なんて必要あるもんか、心の臣従関係だ」
「もうこれで他家に馬鹿にされない」
「何たって、あの鉄壁王のご令嬢とご友人なんだからな」
「ああ、どこのどんな姫さまと比べても決して見劣りしないぞ」
そんなことを次々と言い合い、感情を吐露している。
この日、この夜に起きたこと。
それはこの地上で始めて、領土に拠らない臣従関係というものができた瞬間でもありました。
心の王国とでもいいましょうか。
でもそれは、彼らにも、そしてそれを提案した自分にも、フランツやヒルダ、デニスにも、それがどんなものであるのか、まだ理解していなかったのです。
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