第3話
この世で一番愛らしい生き物は何?と尋ねられたら、テオジェンナは迷うことなく「小石ちゃん」と答える。むしろ、他の選択肢などない。どこのどいつだ、小石ちゃんと同じ土俵に乗れるだなんて思い上がっている輩は。滅す。
「はあ~、今日から小石ちゃんが同じ学校だなんて……ひ、一つ屋根の下に小石ちゃんがっ!! はあはあ……」
「侯爵令嬢の息が荒いが、私は生徒会長として王太子として、ゴッドホーン侯爵家の子息の安全をはかるべきか?」
王太子が意見を仰ぐ。
「今は様子見でよろしいかと存じます」
王太子の腹心である侯爵令息ケイン・ルードリーフが答える。
「はっ! 学園中に小石ちゃんの愛らしさが知れ渡ってしまう! 世界が小石ちゃんを知ってしまう! こ、小石ちゃんがよからぬ輩に視線で汚されぬよう、私が手を打つべきか……っ!?
「侯爵令嬢が学園の生徒の目潰しを目論む可能性がある。私は生徒会長として王太子として、生徒の安全のために侯爵令嬢を拘束するべきか?」
「現時点で拘束は尚早でしょう。言い逃れぬ出来ぬ証拠を掴むためにも、今は泳がせるべきかと」
床に転がっていたテオジェンナが身を起こした。
ようやく我に返ったのかと思いきや、立ち上がったテオジェンナはすたすたと壁に向かい、思い切り自分の頭を打ち付けた。
「なっ、何をしている!?」
「はあ……はあ……私としたことが」
テオジェンナは息を整えて、レイクリードに向き合った。
「お見苦しいところをお見せいたしました」
「頭、大丈夫か……?」
「これしきの壁などで傷つくほど柔な者は我がスフィノーラ家にはおりません」
確かに、心なしか壁の方がへこんでいるような気がするな、とレイクリードは思った。
「ならばいいが……えーと、それで、ルクリュス・ゴッドホーンとは婚約の話など出ているのか?」
「はあうっ!!」
レイクリードの質問に、せっかく落ちついたと思った侯爵令嬢が、胸を押さえてどさっと床に崩れ落ちた。
「こ、こ、こんにゃくなんて……こんにゃくなんて、出来るわけないじゃないですか!!」
顔を押さえたまま、テオジェンナが叫ぶ。
こんにゃくしろ、とは言っていない。婚約と言ったのだ。
レイクリードは残念な者を見る目でテオジェンナを見下ろした。
***
お人形もお花もほしいと思ったことがない。テオジェンナは自分は可愛いものに興味がないのだと思っていた。
だが、違ったのだ。
本物の可愛いものの可愛さを知ってしまった七歳のあの日から、テオジェンナの頭の中には愛らしいルクリュスしかいない。
だが、自分がルクリュスに愛されるだなどと、高望みもしたことはない。
何故なら、齢七歳のテオジェンナは、あまりに小さく愛らしい小石ちゃんに胸を撃ち抜かれ放心して(脳内は富岳三十六景神奈川沖浪裏のごとく荒波に理性という名の旅人を乗せた小舟が揉まれて)いたが、その後、岩石侯爵家の面々に囲まれて溺愛されているルクリュスを見て悟ったのだ。
武で身を立ててきた家。幼い頃より剣を持つことを定められた身。同年代の女の子よりも高い身長、幼いなりに身につき始めた筋肉、金色の髪を引っ詰めて男物の服を着ている自分。
テオジェンナもまた、カテゴリーで分類するならば岩石の部類であったのだ。
「わしらが外でルクリュスを抱っこすると光の早さで憲兵が飛んでくるのだ」とぼやくガンドルフの言葉を聞いて、テオジェンナは確信した。
小石ちゃんの隣に、岩石は似合わない。
小石ちゃんのようなこの世の愛らしさをすべて煮詰めたような存在の隣に立つのは、小石ちゃんほどではなくとも世界で二番目くらいには愛らしい女の子でなければならない。
岩石な自分など、お呼びではないのだ。
テオジェンナは決めた。この想いは胸の奥に封印し、自分は小石ちゃんにとってただの幼馴染、ただの岩石であろうと。
「だから、私は小石ちゃんの幸せを見守るだけでいいのですっ……」
テオジェンナは心からそう思う。
「……生徒会室の床でのたうちまわりながらそんなこと言われても……」
王太子が困惑する。
その小石ちゃんとやらがどれだけ可愛いのか知らないが、常に凛として勇ましい侯爵令嬢をこんなにしてしまうほどなのかと、少し興味を抱いた。
「私もそのゴッドホーンの子息に会ってみたいな」
何気なく口にしただけであった。
が、次の瞬間、レイクリードの背後に殺気が膨れ上がった。一瞬で王太子の背後に移動したテオジェンナが、獲物を前にした狂戦士の形相で唸り声を漏らした。
「……小石ちゃんに何用です……?」
(この圧力……、答えを間違えれば殺られるっ……!)
王太子の王位を継ぐ者としての直観は正しく生命の危機を告げていた。
「落ち着きなさいな、テオジェンナ」
ユージェニーがそっとテオジェンナを窘める。
「ルクリュス様は外見は可愛いらしく見えても、あの武勇の誉れ高きゴッドホーン侯爵家のご令息よ。貴女が必要以上に心配するのは失礼にあたってよ?」
「う……わ、わかっている。学園で小石ちゃ……ルクリュスに必要以上に構うつもりはない」
テオジェンナは胸を張って言った。
「私はただの幼馴染だ。自分の立場はわきまえている」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます