なんだかんだで今日もまだ平和な朝ですね(たぶん)

「おはようございます! 雪音さん、今日はメガネなんですねー」


 校門へと急ぐ生徒の中に交じって、眠たげにあくびを噛み殺していた雪音に、思いがけず横合いから声が掛けられた。

 ふっと自分の名が呼ばれた方に顔を向けてみると、そこには雪音もよく知る一つ下の後輩――如月梓が人の間を縫うようにスイスイと、自転車を押しながら近付いてきているところだった。


「おはよう、梓ちゃん。そうなのよ。ちょっとコンタクトにするの面倒くさくてね」


「昨晩は寝るの遅かったんです?」


「まあね。日を跨がずには済んだのだけど……何しろほら、立て込んでいたじゃない?」


「あはは、ですよね」


 他の生徒の邪魔にならぬよう、すぐに並んで歩き始めながら、二人はそんなやりとりを苦笑い気味に交わす。

 続けて小さなあくびを漏らす雪音の、〝寝不足の原因〟がなんであるかを聞き及んでいた梓は、周囲の眼も考慮してそれ以上の発言を控えた。


「それにしてもですよ? ……なんていうか雪音さん、メガネ掛けると〝できるお姉さん感〟増しますよね!」


 それから、梓がこの場で昨夜の事情に触れることはなかった。

 というよりも、元から登校中の一般生徒が行きかうような校門前で込み入った話をするつもりはないらしく、梓の関心は真っ先に〝レアな雪音のメガネ姿〟に引き寄せられていた。


 そう? あんまり変わらないと思うのだけど。と雪音は意外にも大きい梓の反応に首を傾げつつ、それとは別に「やっぱり、尋ねない方がいいのかしらね……いやでも、一応触れなきゃダメよね?」と挨拶された時からずっと気になっていることがあった。


「いやいや、何をおっしゃいます? これがですね、変わるもんなんですよ! たかがメガネ、されどメガネなんですって!」


 しかし、さっきからチラチラと視線を向けられている梓はと言えば、雪音のそんな様子にも気づいていないご様子。それというのは梓の背後――正確には彼女の肩にもたれかかるように引きずられた物(者)に、雪音は困ったような目線を送り続けていた。

 そして、梓は物言いたげな雪音の瞳も何のその、というか熱が入りすぎて視界に入っていないだけのようだが、今日だけメガネっ娘な雪音さんについて熱弁をさらに振るおうとする。


「あのー、梓ちゃん? 盛り上がってるところ悪いのだけど……」


「はい、どうかしました?」


 熱く語り出した梓を申し訳なさそうに遮って、雪音はようやく〝それ〟について聞いてみることにした。


「その後ろにいるの咲弥、よね? うんともすんとも言う気配ないけど、生きてはいるのよね? さっきから〝某Jホラーの井戸から這い出る呪いさん〟みたいに前髪で顔が隠れていてものすごく怖いのだけど」


 そう、先ほど梓が「おはようございます」と雪音に挨拶している傍らで、ピクリとも動かぬ姿勢のまま彼女に半身を預けるようにしていた人物。

 誰あろう、それは雪音にとってもなじみの生徒――咲弥だというのはすぐに見て取れた。


 見て取ってはいたものの、半ば咲弥の体重を肩代わりする格好で歩いているはずの梓は、大して重みを感じていないと言った雰囲気。あまりにも自然体且つ平叙運転なその姿に、雪音は返ってどうしたものかと切り出すのを躊躇してしまった。


「ああ、〝これ〟ですか? ええ、見ての通り咲弥さんですよ?」


 一目見た瞬間から、それが咲弥だと分かっていたのだが、前髪がペタリと顔に張り付いていてその表情を読むことはできずにいる。

 一応、梓が一歩を踏み出すのに合わせ、咲弥も足を動かしているようなので完全に眠っているという訳でもないようだが。


「まあ、咲弥さんも昨日の今日で、大分お疲れのようなんですよ!」


「それはまあ、分からなくもないのだけど」


 昨夕のことを思えば、現場で処理に当たった咲弥がお疲れであろうことは容易に想像が付く。

 そうは言っても、ここまでの一連の会話に混ざってくるどころか、1ミリも反応した素振りを見せないとなると、雪音としても心配せずにはいられない。


「大丈夫です大丈夫です! ちゃんと息はしてますから。こんな感じになっているのは、〝5時間ぐらい遅刻してやる~!〟と駄々こねていたのを無理矢理連れ出してきているせいなので」


「聞きたかったのはそういうことではなくてね。いやまあ、それもではあるのだけど」


 単に、昨日の任務で疲れている咲弥を気に掛けているだけなのだろう。としか受け取っていない梓は、なんとも微妙な表情となっている雪音の求める答えを察してはくれなかった。


「ん?」


 往来で、後輩の腕をひしっと掴みながらうたた寝をかます。というか「ほんとにそれ、生きてるのよね?」と疑いたくなるほどにぐでーっと梓に寄りかかる女子校生の図というのは充分に変だと思うのだが……。


(この子たちといると、だんだん私の方がおかしいんじゃないかと思えてくるのが不思議よね)


 若干、頬をピクつかせている雪音の表情を見て梓は「あれ、違いました?」というように首をこてんと傾げた。

 そんな顔を向けられてしまえば、もうどこからツッコめばいいものかと、湧きあがっていた衝動も消えうせてしまうから不思議だ。


「それでですね、咲弥さんを引っ張り出す餌。じゃなかった、登校させるための動機として、〝行けば雪音さんのお弁当が待ってますよ?〟なんて言っちゃったんですけど……」


 今、餌って言ったわよね? 餌って。とナチュラルに吐かれたセリフに対し「落ち着きなさい私! 指摘し始めたら切りがないし、たぶん私の負けよね?」と心の中に再び沸いてきた衝動(葛藤)を抑え付ける雪音。

 一方、大してごまかす素振りも見せない梓が、それにも気づいていない調子で先を続ける。


「私も朝一緒に学校行ってあげますから。というのではちょっと押しが弱くてですね! すいません、雪音さんのことかってに使っちゃって……」


「それは別にいいのだけど。確かに、咲弥にはそっちの方が効果的でしょうし」


「それで、なんですが……?」


「ああ、安心してちょうだい。あまり時間もなかったから簡単な物だけど、今日も作ってはきているから」


 良かったです。と何気に自分も食べたかった、基楽しみにしていた梓が安堵混じりなため息を漏らす。そして、そんな梓越しに徐にむくりと起き上がる一つの影。


「……ごは、ん?」


 無造作に垂れた前髪の隙間から覗く眠たげな目。さらに、そこに宿るは獲物(食料)を求める狩人の瞳。


「咲弥さん目覚めました? 起きたならしゃんとしてください! というか、いい加減一人で歩いてください!」


「んん、ここはどこ? もうごはんの時間?」


「って、どんだけごはん食べたいんですか! 食事に対する執着がすごすぎです。じゃなくてですね! ほら、学校着きましたよ?」


 そうこうする内、正門を潜っていた梓たちの前には昇降口が迫っていた。

 咲弥に引きずられる形で、大分歩調が緩んでしまっていた彼女たちの周囲に他の生徒の姿はもう見当たらなかった。


「な~んだ、それじゃあお姉ちゃんは寝るね。おやすみなさ……」


「さすがにもう腕痛くなってきたんで、それ以上スヤるって言うならその辺に〝ポイ!〟してきますよ!? 責めて教室で寝たらどうなんです?」


 著しく疲労を抱えた咲弥は、もはや睡眠欲と食欲が絡んだ時しか反応しないボットと化してしまっているようだ。

 梓から嫌そうな声を掛けられたとしても、また寝る体制に入ろうとする始末。とうとう嫌気の差してきたと見える梓が、彼女の身体をその辺に放り出そうとしたタイミングで、見かねた雪音が仲裁に入る。


「ほんとにもう、あなたって子は。ほら、咲弥起きて? 朝ごはん用にと思って持ってきていた分のサンド分けてあげるから」


 ええい、煩わしいですね! とまたもや自分の腕をむぎゅーっと掴もうとする咲弥を引きはがさんとしていた梓の隣――それでも微動だにしない咲弥の傍に寄った雪音が、こめかみを押さえながら「しょうがないわね」というように咲弥の体を揺さぶった。


「全く、髪もこんなにしちゃって……」


 もう少しで〝呪いのビデオ〟から出てきてもおかしくない程に降り乱れている髪を、手櫛で直してやりながら雪音は呆れたようにため息を吐く。

 次いで、ひじに掛けていたバケットから丁寧に包装されたサンドを取り出すと、咲弥の両手にそれをいくつか持たせてやる。


「おおお、雪音ちゃんのサンドウィッチだ~。ありがとう、いただきます!」


 途端、今までの眠気はどこへやら。これまでがウソのようにすっくと立ち上がって、咲弥は包みを大事そうに受け取った。


「いいんです? それ、雪音さんの朝ごはんとかだったんじゃ?」


 ようやく解放された梓は大きな嘆息を漏らすと、少し自分よりも背の高い雪音の顔を物問いたげに見上げる。


「いいのいいの! ちょっと作りすぎていたくらいだったから」


 ご機嫌に鼻歌なんかを歌い出す咲弥を傍に置いて、雪音は苦笑い気味に被りを振った。


「雪音さんがいいって言うんなら、全然いいんですけど」


 すぐ隣で上機嫌となった咲弥にチラリと目線を送ってから、「そうですか」と疲れたように梓は一つ頷きを返した。


「じゃあ、私先に教室行っちゃうね? 雪音ちゃんありがとう。おいしくいただきます! 二人とも、またお昼にね~」


 もう、どんだけお腹空いてるんだ! そして、さっきまでの眠気ほんとどこ行った? と誰しもがツッコみたくなる勢いで、バタバタと下駄箱に向かって駆けていく咲弥。


「朝から大変ね」


「まあ、慣れっこですから」


 その〝大変〟には奔放な咲弥の言動も含まれてはいたものの、実は梓も大概だよね。という意味も込められていたのだが、そんなことになどこれっぽっちも思い至っていない風の梓さん。

 とはいえ、半分くらいは梓を労わる気持ちがあったのも事実なので、肩をすくめながらも雪音は〝残されたもう一人〟と苦笑し合うのであった。

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