いや、その、だってよ? 別に鍵壊して入ったって訳じゃなし、開いてたんで! 開いてたんで!

『ねえ、聞いているの月代君!』


「……へいへい。んなでけえ声出さんでも聞こえてますよ」


 間もなく短針が午後10時を指そうかという時間。

 梓たちが通う高校の裏手、駅に程近いマンションが並ぶ屋上の一つに、青年が一人落下防止用の柵を背に佇んでいた。


 いかにも、雰囲気だけで付けました。と言わんばかりに、黒文字で〝適当な英単語〟が刺繍された白シャツに、メッシュの入った薄手の青色パーカーを羽織り、あろうことか鉄柵の外側――屋上の端っこスレスレに立っている青年。

 ぱっと見では8階相当の高さはあるかと思われるが、そんなの知らん。というように青年は履きなれたスニーカーと暗色デニムに包まれた両脚を真っすぐ伸ばし、気軽な様子で眼下を覗きながら言う。


「で、会長さんがなんだって?」


『ほーら、やっぱり! 全然話聞いていなかったんじゃないのよ!?』


「いやいやいや、ちっと待たれよ! ちゃんと聞いてたって。……えーっとだな、あれだろ? 会長さんが出所(でどころ)不明な影人を追いかけてるって話っ」


 そうやって、なんとはなしに煌々と明かりの灯る正面エントランスを屋上の縁(へり)から見下ろしていると、またもや青年の耳元でピッキーンと響く雪音(オペレーター)の声!

 あやうく半歩前に出かけた爪先を戻しながら、青年は思わず左耳に当てていた端末を身体から遠ざけた。


 それまで青年の姿は、何棟か密集し連なるマンション群の最上階付近。7階8階に当たる各部屋のベランダ窓――閉め切ったカーテンのわずかな隙間から漏れる光を受けて、朧げに視認できる程度だった。

 しかし、キンっと響いた声を払うように頭を振ったことで、引き離していた端末の液晶光を浴びたその顔が夜闇に浮かび上がる。


 障害灯すらなく、輪郭しか分からなかった青年の顔立ちは、これといった特徴のない平凡そうな顔。起伏に富んだ容姿とは言えないが、やや釣り目がちな目を瞬かせて、抗議とも言い訳ともつかないような言を続けようとした。


『そう、概要はだいたいそんな感じね。ちょうど出先だった里穂が、偶然ビルの隙間に入っていく〝影人らしき者〟を発見。現在、単独で追尾中よ。それよりも、あなたは今どこにいるの? 元々、支部に顔を出す予定でこちらに来ていたのでしょう?』


「ん、ああ。元は〝夕方の詳細〟を聞くつもりで寄ろうとしてたんだけどな……」


 再び、己のスマホを耳に当てがおうとしていた青年こと月代(つきしろ)天満(てんま)は、下から不意に吹き付ける風に思い切り顔を顰めた。


 いきなりのビル風に煽られて、ツンツン頭の毛先やパーカーの裾が激しくはためいているのだが、あまりそちらは気にならないご様子。

 しかし、もろに顔を直撃してくる物に関しては顔面を空いた手で庇うと、話しやすいよう今度はスマホを口元に近付けた。


「と思ってたら、まさかのお呼び出しだろ? いやまあ、どっちみち支部の傍までは来てたことだしよ。会長さんのいるとこまで一番近いのも俺だろうから、救援要請掛かんのは別にいいんだけど」


 一瞬途切れた言葉の続きを、天満は気持ち大きめな声量で言い切る。


『どうあれ、月代君が向かってくれるのなら安心だわ。あの子独りでは心配だもの……せめて応援が駆けつけるまで監視するに留めておいてちょうだい。とは言ってあるのだけど』


「つってもな、あの会長さんが素直に従うとは思えねえんだけど? 意外と気みじけえとこあるしよ。それに、状況如何によっては即戦闘ってことにもなりかねんだろし」


『だからよ。あの子が〝変な氣を起こして無茶をする前〟に月代君を派遣したいから、さっさとあなたの現在地を教えて。と言っているの! ついでに里穂の現在位置も共有したいしね』


「ああ、そゆこと。ってか、俺のはそっちに送ってなかったっけ?」


『送られていないからこうして尋ねているのだけど?』


 若干、呆れた風の雪音に、「てっきりもう、送った気になってたわ。わりいわりい」と平謝りの天満が、急ぎ己の端末を操作してGPSをオンにする。


『……っと、来たわね。今、里穂のを送るから少し待ってちょうだい』


 雪音は、つい今しがたまでグレーだった天満のアイコンがオンラインになったのを見て取ると、逆に今度は〝里穂の位置情報を知らせるリンク〟をすぐさま彼の端末に送り返した。


『って、あら? 月代君のアイコン、マンションのところで止まっているみたいだけど……確かここって駅の近くよね。何、知り合いの部屋にでも寄っていたの?』


「あっ、えーとだな。そのー……」


 正常に位置情報が共有されたことで、天満の所在を確認したと見える雪音が、怪訝そうな声を上げる。

 カタカタとキーを叩いて、わざわざこの場所をビュー表示させているらしい雪音に、「ヤッベ、マジヤッベ!」と己がどこに入り込んでいるか思い出した天満は、反射的に思わず後ずさっていた。


 当然、そんな勢いで縁から下がれば、鳴り響くのはガッシャーンという鉄柵の軋む音。


『……』


「あのー、もしもし雪音さん?」


『…………』


「ありゃ? もしかして電波でも悪くなっ、んな訳ねえすよね! それならどんなに良かったことかって感じなんすけど。ってか、せめて〝うん〟でも〝すん〟でも〝はあ?〟でもいいんで、何かしらのリアクションいただけるとー」


『………………』


「黙られんのはちっとー。ちなみに今の音、奇跡的に聞こえなかったなんてこともあったりなかったり……はい、すんません。そんな訳ねえすよね!」


 どうやってもごまかしきれる未来が見えねえ。と冷や汗を浮かべた天満が焦々と、苦し紛れの言葉を並べ立てる。が、一向に雪音から返事が返ってくる様子はない。

 最終的に、「秘技、奥の手! 土下座!!」を敢行しようかとも思ったが、さすがにこんな場所では無理なので、ひとまずガパリと頭を下げることにした。


「ただいま、月代天満は屋上にいますです、はい」


『屋上の?』


「屋上の端っこ、縁に立って夜景なんぞを眺めちゃったりなんかしてました!」


『ということは、わざわざフェンスを乗り越えてまで〝そんなところ〟に突っ立っているという訳よね! ……夜間だからといって、人目に付かない保証はどこにもないのに。それで、入る時はどうしたのかしら?』


「はい。それはもう、入り口の南京錠が壊れてプラーンってなってたんでそのまんまするりっと。たぶん、不良とかのたまり場になってんじゃないすかね? なんか空き缶やら吸い殻落ちてたんで給水塔んとこに」


 まるで、取り調べでも受けている気分になってきた天満は、それでも淡々と尋問を行ってくる雪音に〝直な? 供述〟を続けた。


『どこの馬の骨とも知れぬ半端物が屯っているようだ。なんて情報はいらないの! つまり、月代君はこう言いたい訳ね? 〝別に器物は破損していないけど、侵入はできたので入っちゃいました。だって入れたので! 入れたので!〟と』


「なんで繰り返し言った? いやまあ、そうとも言うんだけどよ」


『……はあ。なんとかは高いところが好きっていうけど、本当だったみたいね!』


「ほほう、それはいったい誰のことやらー」


 雪音は、今まで我慢していた深いため息を一気に吐き出すと、わざとらしく惚けてみせる天満を無視して先を促した。


『そんなことよりもよ、肝心の里穂は目(そちら)でも捕捉できたのかしら? 居場所が確認できたのなら、とっととそこから退いてちょうだい。住人に見とがめられて騒ぎになるのは御免よ?』


 全くもう、この緊急時に余計なトラブルを引き起こしそうなマネはやめてちょうだい。とこめかみをピクピクさせた雪音が、努めて冷静になろうと深呼吸を繰り返してから言う。


『いい? 分かった? まだ里穂を発見できていないのなら通報される前に済ませてちょうだいね!』


 雪音に不安を煽るつもりは全くないのだろうが、何故だかそう指摘されてしまうと、途端に後ろが気になりだす天満さん。

 屋上の入り口をチラリチラリと振り返りつつ(まあ、例え誰かが入って来ても天満側からは暗すぎて分からないのだが)これ以上、雪音の機嫌を損ねる前にー。と当初の目的を果たすことにした。


「んーとだな、会長さんは……?」


 自分から話が反れたのをこれ幸いと、急いで端末に送られた〝里穂の位置を表す光点〟に天満は目を通す。

 マップに表示させたそれを一瞥してから、里穂のいるであろう方角に天満は【目】を向ける。その瞬間彼の左目――目尻の辺りに端末のフロントライトによる物ではない光がポッと揺らめいた。


 目尻に添って初月(みかづき)を呈す淡い燐光は、灯した揺らめきを一度振るわせてから、彼の眼下を滑るように広がる。

 そうして、ワイパーのように天満の瞳を這う鬼火は、横断するにつれだんだんと膨らみを増していき、眼球の表面を覆いつくさん頃には丹青色の薄い膜――コンタクトレンズの形を成していた。


 その【目】を向けながら、


「あちゃー。案の定ではあったけどよ、やっぱり会長さんやっちゃってんなー!」


 左斜めに聳える不揃いなビル群。その建物の合間の暗がりを縫うように天満の【視覚】が伸ばされる。

 いや、〝〟伸ばされる〟というのは少し違うかもしれない。どちらかと言えば、〝飛ばす〟といった方が適切だろうか。


 元々、氣という情報(エネルギー)は、この世界。自然の中に満ち溢れているというのが彼らの扱う能力――五行の根幹となる説だ。

 そして、その氣を性質ごとに〝分類分け〟したのが五行と呼ばれる物。


 さらに、その五行の属性も細分化されていくのだが、その詳細は今省くとして、現在天満はそのうちの一つ。

 五行の一角をなす木(もく)の傘下に入る。というか属性としては同一系統に当たる目(もく)に風(ふう)を重ね合わせることで、空間という情報の海の中に【視覚】を飛ばしていた。


「一応、うまいこと影人の行く先をコントロールしてるみてえだけどよ」


 今しがた、マップでも確認した方向に【目】を向けてみると、そこに至るまでの風景や人。構造物が飛ぶように天満の角膜に映し出される。

 まるで、ドローンで撮影しているかのように過ぎ去っていく映像(ひとみ)の中で、里穂に焦点を当てた天満は、そこだけをぐぐぐとクローズアップさせる。


「救援が来るの見越してるんか分からんけど、影人が表の通りに出ていかないよう調整するぐらいには留めてるっぽいな」


 左目に絶えず届く〝里穂の現状〟を通話向こうの雪音にも伝える天満。


 そこは天満の立つ屋上のマンションから700メーター程離れた場所。駅にもっとも近い踏切を超えた先の、低い屋根のアパートがひしめく裏通り。

 里穂の周囲に【目線】を走らせても、今のところ人の姿は見受けられない。彼女は現在、駅前に通ずる区画に影人が出て行かぬよう〝色を打つこと〟で進路の妨害、調整並びに誘導を行っているようだ。


「つってもな、いつまで持つか微妙な感じだぜ? 身体強化も併用しながら影人の進行を阻害してるっぽいし」


 さほど夜が遅いといった時間でもないため、比較的表の通りを行きかう通行人の姿は多い。

 万が一、そちらに影人を逃してしまえば面倒な事態になるのは必至! さしあたり、応援がやってくるまでそれを阻止することに里穂も注力しているようだが……


『追いかけるだけならともかく、妨害もとなるとそれなりの出力になってしまうのは避けられないわよね。まあ、独りで行かせてしまった時点で〝多少の無理〟をさせてしまうだろうというのは分かっていたのだけど』


 致仕方ないわね。とそう口に出すことで、雪音はどこか自分を納得させるような呟きを漏らす。


「まあな、そこら辺の匙加減は会長さんも心得てるだろうけど。いつ氣虚(ききょ)に陥るか分かんねえし、早いこと助けに行ってやらんとな」


 色の使いすぎでパタッと倒れられても困るしよ。とだいたいの状況を把握した天満は、【目】に付加していた術を解くと、肩をすくめながらそう返した。


「30秒も掛かんねえで着くと思うからよ。会長さんにも一報入れといてくれ」


『ええ、了解よ。里穂をお願いね!』


「オーケー、任された!」


 通信を切った天満は、「さてっと」と軽い雰囲気のままに踵をトントンと鳴らす。

 そして、デニムのポケットにスマホを突っ込むと、幅数10センチの縁に立っているとは思えない軽快な足取りで、マンションの側面側へと回り込み始めた。


 屋上の端、縁の際ギリギリまでやってきたかと思いきや、歩いてきた時と同じような気軽さで、20数メートルはあるであろう高さから中空に向かって一歩を踏み出す。

 あわや飛び降りか? とも思える光景ではあるが、当の天満は至って自然。流れるような足運びで無造作に足を突き出した。


 当然、あっという間に身体は傾いていき……


「術式(じゅつしき)生転(しょうてん)」


 そのまま重力に引かれ、落下の一途を辿るだけかに見えたそのせつな、天満は事象を捻じ曲げる一言をぽつりと呟いた。


 すると、さっきまでの風目転(ふうもくてん)視覚を飛ばすために現れていたものとは異なり、彼の首元――左鎖骨周辺に蛍のような弱弱しい【白い光】がいくつも灯る。

 暗がりの中にあってはかなくも確かな主張を続けるその灯火は、一つ二つと天満の身体に寄り集まい、大きな輝きを形成していく。


「燥土(そうど)風転(ふうてん)」


 やがて、拳四つ程にまで成長した明かりは、その〝呼び掛け〟に応じ数度の明滅を繰り返すと、直後には一気に爆ぜて夜の中へと火花を散らす。

 単に、散らばっていくだけかに見えたその瞬きにはどうやら〝流れのような物〟があるようで、一瞬バラけた光の粒ももう一度天満の胸元へと集約される。次いで彼の右腰、肋骨の下目掛けたすきでも掛けるように落ちていった。


 光の波は彼の側腹部に溜まると、その配色をアクアブルーへと転じる。と同時、収まった波は五芒星を象り始め、次の瞬間には天満の身体からふわりと離れていった。

 離れたのも刹那の合間、〝青を基調とした五芒星〟は拠り所を求めるように天満の足底へと纏わりついた。


「あらよっと!」


 その時点で、すでに5階の高さまで落ちてしまっていた身体を、徐に起こしながら天満は2、3度中空を蹴り上げた。

 パンっという破裂音を響かせて、何もない空を蹴るたび、目に見えて落下速度が緩やかとなる。


「そんじゃあまあ、お仕事といきますかっ」


 それから天満は、何度となく〝氣を纏わせた両脚〟で宙を踏みしめると、全く重みを感じさせない動作でストンっと着地を済ませた。

 ちょうど、非常階段の脇に降り立った天満は、エントランス正面には目もくれず、相変わらずの調子で夜が撓む裏路地へと駆け出した。

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