各個撃破できなくなるのは突然に……と来ましたか

「一応確認ですけど、まだ氾濫域にはないんですよね?」


『ええ、達してはいないのだけどそれも時間の問題といった感じかしら。増水の速度を鑑みるに……』


 やはりですか……と“元凶となる水源”が近付くにつれ強まってくる川音に、梓はこめかみにしわを寄せるようにしてから呟いた。


「緊急性が乏しいようならもっと“ましな装備”でこられたんですが……」


 さすがにこれでは役不足ですね。と学校帰りそのままのブーツと、遊歩道を微かに照らすライトに目を落としてから梓は肩をすくめる。


『確かに、そんな光量では足元もおぼつかないわよね』


 夜が屯う歩道に落ちる明かりの中、心許ない光源を受け浮かび上がる葉桜の影が後ろへと過ぎ去っていく。

 そうやって、川岸をぼやきながら駆ける梓の耳に、変わらず“発生地点〟を注視しているらしき雪音からの苦笑が返る。


『ああ、それとここ1、2分ほどで水辺付近はずいぶん滑りやすくなっているようだから。完全に浸水、水没するまでには多少の時間があるでしょうけど……転倒しないよう充分注意してちょうだい!』


「おや、思いの外水の勢いが強いんですね。これは早々に住民を避難させて正解でしたか」


『そうね。この様子だと“室長の英断”だったと言わざるを得ないわ。ぱっと見、モニタしているだけでもかなりの噴出量に見えるから』


 周辺道路への被害が出るのも秒読みといった感じでしょうし。と冷静に現状を分析する雪音の声に、梓は驚きつつも狼狽えることなく両足の回転数を上げた。

 警報の発出から10分と経っていないにも関わらず、ざあざあと勢力を増すばかりの支流沿いを梓はひた走る。


『間もなく、80メーター程で接敵。並木を抜けて角を左に折れたらすぐに視認できるはずよ?』


「了解です」


 返答をし終えるのとほぼ同時、細い支流の合流地点に到達した梓は、夏井側の中流域に当たる土手に身を躍らせた。


(あれ、ですね?)


 亀裂から排出された水流の影響か、豪雨でも降ったかのように荒れ模様を呈す川からは、湿気を帯びた泥っぽいにおいが鼻孔を突いてくる。

 日中穏やかであれば、清涼感をはらんだ気持ちの良い風が吹く川の様子など、今現在は見る影もない。


「っ……!?」


 そんな風にやたら湿ったにおいと、滝のように注ぐ“裂け目からの水音〟が大きくなったように思うそのせつな、


「気配はしなかったはずなんですけど?」


 水浸しどころか、土手上すらももはや〝小さな川〟と化しているような有様。

 そんな水面にブーツが濡れるのも厭わず、梓が速度を殺さぬまま飛び出そうとしたその途端、


「………!」


 突然、何の前触れもなく〝物言わぬ黒い影〟が梢どころか、葉音すら立てずに木城から襲い掛かってきた。

 相も変わらず〝表情の伺い知れないのっぺりとした相貌のそれ〟は、自重を感じさせない挙動とは裏腹に、当たれば挫傷は免れないだろう棒状の何かを振り下ろす。


『……アルファ!?』


 のっぴきならない状況が発生したと見た雪音は、すかさず梓に呼び掛ける。

 が、応答している余裕などない梓は、左の側頭部目掛け迫る〝棒状のそれ〟を、スレスレのところで頭を振り回避する。


「っ……!」


 息をのんだ風の梓の様子が伝わったらしき雪音から、続けて「現状説明」を求める音声がヘッドセット越しに飛んできはするものの、

 ……と言われましても、そんな時間はですね。と返答を返す時間を惜しんだ梓が、神出鬼没な影人への対処を優先させる。


「……術式、送転」


 ギリギリのところで一手目を避け切った梓は、次なる手を打たれる前に対抗手段(得物)を呼び出すための式を口ずさんだ。

 瞬時に手首にぶら下がった星形チャーム君を持ちなれた警棒に転化、変貌させると梓はグリップをぐっと握り込む。


「って、冗談ですよね?」


 にわかに体勢を立て直そうとした梓が、たった今交錯したばかりの影人の気配を強く意識させられながらも、前方に視線を戻した矢先のこと。

 横合いからするりとカットインしてきたのは、立ちはだかるもう1つの黒い影。


(これは、少々まずいかもですね)


 すでに、くるぶしの辺りまできている水溜まりを躊躇いなく蹴ると、飛沫がスカートに跳ねるのも気にせず駆ける梓。

 明らかに、彼女を〝待ち伏せしていたとしか思えないタイミング〟で表れた影人は、そのまま突っ込んでくる梓に同種の似た警棒を振りかぶる。


「ぐ……!」


 そうは言えど、梓には鼻から振りぬかれた警棒と正面から打ち合うつもりなど毛頭なく、

 沿えるように当てた警棒で無理に押し返そうとはせず、脇へと力を往なしながら影人の横を通り抜けた。


「シリウス、影が2人も待ち構えているなんて聞いてない。っと、そんなことよりもです! ベータはまだですか? 即刻加勢に来てもらいたいのですが……」


 ジンジンと残る衝突の残滓を手首に感じつつ、梓は影との交差後すぐさま足を速めた。

 否が応でも背後を追従してくる〝2つの存在〟を背にしながらも、軽く詰めていた息を吐くとやっとのことで雪音に返事を返す。


『こっちだよ! あーちゃん』


 すぐにでもオペレーターである雪音からの返答があるかと思いきや、ヘッドセットに流れたのは梓の後を追っているはずの人物の声。

 え、咲弥さん? こっちって……と割り込んできた音声の主の所在を求め、梓は一瞬背後を振り返りそうになる。


『ああ、違う違う。こっちだよ、こっち! そのまま歪み(ターゲット)のとこまで進んじゃって~』


 そんな梓の動きを制するように響いた咲弥の呼び掛けに、ぐるりと頭を回しそうになった梓の視界の端、

 もう歪みまで20メーターもないその奥、向こう岸の幹線道路まで伸びる鉄橋の袂で梓の目がぴたりと止まる。


「咲弥さんいつの間に……?」


 なんとそこには、侵入防止のために張られた停止線を囲むように設置された赤いランプの光を受け、手なんぞを梓に向かって振るう咲弥の姿。

 思わず脱力してしまいそうになる梓だったが、どうやら状況を鑑みて通常時の〝ライフル型〟ではなく〝リボルバータイプ〟に換装――転化しているようだというのを見て取ると、つい出そうになったお小言を梓は引っ込めた。


「忘れ物は無事に取ってこれたようですね?」


『もちろんこの通りだよ!』


「なら話は早いです」


『うん、だからあーちゃんは封剋の準備に入っちゃって! その間はお姉ちゃんが足止めするから』


 ええ、お任せしましたよ。という梓の返事を待たずして、咲弥の持つ2丁拳銃から〝黄金〟に〝青〟の螺旋が巻き付いた閃光がほとばしる。

 直後には、梓の肩上を素通りするように伸びてきた一線が、彼女の背後を取る影人の足元に飛来した。


(ナイスショット!)


 では、私も済ませてしまいましょうかね? と心の中で呟いてから、梓は歪みを覆い隠すための準備に入った。

 己の後ろで影2つが大きく飛び退いたのを確認するまでもなく、梓は封剋用の網目の形成に取り掛かる。


(さあ、これで影が何人出てこようがいずれにしても……)


 1秒と掛からず〝注がれた梓の氣力〟に反応を示したブレスレットが、その刻まれた五芒星の文様を色鮮やかに輝かせる。

 目を覆いたくなるほどの眩い五色を放った後、描かれたいくつかの五芒星から飛び出た一本一本の光線が、相互に絡み合い網目を象っていく。


(チェックメイトです!)


 五色の網が形作られる間も流し込まれた氣力は、无網(むあみ)が完成するにつれだんだんと抑えが効かなくなっていく。


「咲弥さん!」


 そうして、充填を終えた手元の五色を梓は一息に歪みへ放り投げた。

 はいはーい、あとはお姉ちゃんに任せなさーい。と梓に名前を呼ばれるまで牽制を続けていた咲弥が、即座に照準を〝隣の亀裂〟にスライドさせた。


『よし、任務完了~っと』


 途端、狙いたがわず射出された一線は、ちょうどネットでも被せるようになった歪み事无網を打ち抜く。

 瞬間、夜闇を塗り替えるような極大の閃光が辺りを満たした……。

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