なんだか締まらないのはいつものことです。苦笑

「誤報という可能性は?」


 全くと言っていい程寝耳に水の、予期せぬ警報にさしもの支部長も眉を顰めずにはいられなかった。

 響き渡る警告音を訝しみながらも、里穂は本部からの警戒情報――通達に胡乱気な眼差しを向けて言う。


「ある訳ないか。雪音、現場(げんじょう)の様子はどうだい?」


「少し待ってちょうだい。今、画面に出してしまうから」


 里穂に言われるまでもなく、アラートが響いた直後にはキーボードに指を走らせていた雪音が最後にマウスを鳴らすのと同時、その〝猫っぽい瞳〟を大きく見開いた。


「……嘘。どうやら単なる誤報、誤作動による検知に発令ということではなさそうね」


「うわ、ほんとですね」


 思わず、マウスを握る手に力が籠ってしまう雪音の肩越し。通常とは明らかに異なる報知に「はてな?」と顔を見合わせていた梓と咲弥が覗き見るディスプレイの端、


「なんだか暗くてはっきりしないけど。っていうか、吹き出す水の量多くないかな?」


 怪訝そうな咲弥の言う通り、左手前側に映し出される新興地を両断するように広がった河川部は、完全に夕日が沈んだということもあり判然としない。

 本来は、〝水位の上昇を監視する目的で設置されたカメラの映像〟を回してもらっているようだが、ナイトショットが積まれていないためか余計に薄暗く感じる。

 しかし、そんな中にあってもなお「夜の藍」よりも濃い闇を湛えた亀裂の存在ははっきりと伺い知ることができた。


 川沿いの宅地から漏れる明かり程度でも、歪みから排出された水が暗い水面を激しく波打たせているのが分かる。

 そうやって、どことはなしに不穏な気配漂う歪みを黙って見つめる梓達を他所に、里穂はちらと画面に目をやってからすぐに己の端末へ視線を落とした。


「と言っている合間に室長からもメールが入ったよ。何やら、〝突発的な歪みの発生〟に上の方が大分ごたついているようだが……こういうのは初動が肝心と、室長主導で避難誘導の手配は済ませてくれたそうだ」


 さすがに自衛隊クラスの派遣を、とまではいかなかったようだが。と再び液晶に目線を移した里穂の眼前。中継映像の右奥では、赤く光る停止棒を携えて非常線を張る警官の姿や、川岸の住宅を回って非難を促す地元消防団員達の影。


「それはありがたいですけど」


 少々、誘導を終えるまでに時間掛かりそうですよ? と必死に声を掛け回っている様子の団員らを見ながら、梓は難し気に眉根を寄せる。

 確かにこれといった大雨が降っている訳でなし、いまいち〝緊急性の乏しい〟状況下においては地域住民の動きも鈍い。

 夜であるが故に近上で起こる歪みに気付けていないというのもあるが、返って〝目に触れる心配がない〟というのを喜ぶべきか悩ましいところでもある。


「事前の根回しもそうだが、何もスケープゴートが立てられていないからね」


 玄関先で胡散臭げに誘導員を眺めている者や、説明を! とさかしらに騒ぎ立てる人のそれをなだめる団員を見て、里穂はやれやれというように肩をすくめる。


「ある程度の混乱は致し方ない部分もあるが。とはいえ、どうにか〝発生源〟からは遠ざけようとしてくれているからね」


 僕達のやるべきことに支障はない。というより、その後のゴタゴタは専門家に任せることとしよう。とニヤリとしながらも、里穂はきっぱりと告げた。

 人の悪い笑みを浮かべてそう言い切る里穂に、梓は苦笑で持って頷きを返す。


「あ、でもだよ? いくら川沿いに住んでる人だけと言っても数10人はいるんだよね。そんな集団が逃げてる間を縫ってここに向かうのは厳しいんじゃないのかな?」


「そこら辺は安心してちょうだい。この様子だと地域の防災マップを頼りに避難経路を辿っているみたいだから」


 あなた達が現着する頃には……というよりも、マップとは被らないようルートを組むから大丈夫よ。と画面右下に〝正規の経路〟のウインドウを表示させつつ、咲弥の疑問に答える雪音。


「やむを得ず見られてしまったとしてもどうとでもごまかしようはあるが……それより、こんな短いスパンで歪みが確認されたのは初めてのことなんだ」


 ドライな微笑を引っ込めた里穂が、表情を真剣なモノへと変えてから梓と咲弥を順繰りに見回す。


「現場判断に委ねるところが多分にあるだろうが、2人とも大丈夫かい?」


 原則、通常の任務同様の処置でかまわないとは思うが。と付け加えながら、〝帰ってきたてのメンバー2人〟に里穂が確認を取る。


「ええ、私の方は全然問題ありませんよ? 咲弥さんはどうか分かりませんけど……」


「せっかくごはんにありつけるかと思ってたのに~。でもしょうがないね。もう一仕事がんばれるよ!」


 さほどの気負いも疲労も感じさせない態度で、梓は問いかけに応じる。

 そんな梓に横目で見られた咲弥はと言えば、不満げに口を尖らせながらも〝気合い〟は充分なご様子。


「よし、それじゃあ頼んだよ。それと、この画面上では視認できていないが〝影人〟の存在にも十二分に留意してくれ」


◇◇


「それで、飛び出してきたはいいものの」


 時期が時期なら綺麗な夜桜なんぞを堪能できるだろう並木沿い、格好もそのままに遊歩道を駆けるのはなんとも微妙な表情を張り付けた制服姿の梓。

 当然、今現在は7月であるからしてライトアップなどされているはずもなく、夏の夜気が漂う並木道はひっそりと静まり返っている。

 聞こえる物音と言えば、ちょうど桜の木を挟んだ下手(しもて)から運ばれてくる川のせせらぎくらい。


『大丈夫よ梓ちゃん。たぶん、私も同じ気持ちだから』


 それにもう1つ、聞こえてくるのはヘッドセットを介してでも分かるほど苦笑しているのが伝わる雪音(オペレーター)の音声。


『言いたいことはものすごーく分かるのだけど』


 梓が感じているのと同じくらい、もしくはそれ以上にその理由が理解できてしまう雪音は、やれやれと呆れ混じりな嘆息を漏らす。


『でもまあ、ほら、あの子にしては珍しく思い出せたのだから偉い方じゃない?』


「……確かに。というか、それもう完全に子ども扱いしてますよね? 咲弥さんのこと……」


 学年どころか、そういやクラスも一緒のはずでしたよね? と首を傾げつつ、まるで〝保護者のような雪音の物言い〟に梓は思わずツッコミを入れずにはいられない。

 そう、この場にはそんな話題の人物であるところの咲弥、封剋班の片割れがいないのだ。


『それでも、すぐに? 気付いて取って帰せたのだから良かったわよ。これで現着間際だったら目も当てられないところだったわ』


 それはもう、咲弥のお母さんなのかな? と疑いたくなってしまう程のフォローを入れ出す雪音。

 いやまあ、というよりは〝奔放な咲弥の性分〟を知っているからこそ、そもそも諦めベースだったところに今回は「誰に指摘されるでなく自分から動いた」という点に対する驚きがあったのかもしれない。

 普段の振る舞いはわりかしテケトーなことが多いのに、いざとなると率先して動こうとするから。なんか良くはしようとしてくれてるんだろうな、と思えてしまうあれだ。


「そう言われれば? そうかもですけど……」


 なんだか咲弥のおかん(笑)にそこまで言われると、「そうなんですかね?」と思えてくるから不思議だ。

 そんな風に、いいんだか悪いんだかな感想を頂戴している当の本人はと言えば、梓と共に支部を出動したところまでは良かった。

 が、早速オペレーターである雪音が提供してくれるマップに従い、彼の場所を目指そうとした途端、


「あ、ごめん。あーちゃん先行ってて!」


 いきなり大きな声を上げたかと思えば、「どうしたんです?」と尋ねる梓に堂々の忘れ物宣言。


 何やら梓の星形チャーム君同様、封剋時に用いるアクセ(うっすら格子に目立たぬようパープルの星があしらわれたリストバンド)を、ご丁寧にも手を洗う際外して流しの上に置いてきたらしい。

 出力だけであれば〝氣力〟の扱いに何ら支障はないが、梓が〝固定してくれた網の掛かった歪み〟を葬るには、一目見て分かるような結果を齎してくれる得物をイメージできる方が都合がよい。

 ということで銃へと転化、形状変質させるためのアイテムを取りに戻って行ってしまった訳だが、


『そうは言ってももうすぐ追いついてくるでしょうから。梓ちゃんはそのまま進んでちょうだいね』


 っと、そこのつり橋を渡って右よ。と業務に戻った雪音のナビを聞いて、梓は通り過ぎかけたつり橋に足を掛ける。

 さすがに、梓1人が乗ったぐらいではギシリとも鳴らないが、春ならば桜が川面に落ちて絵になるだろう橋をたったと渡っていく。

 まあ、今は片耳掛けヘッドセットの非常用ライトを頼りに進んでいるので、川の様子を見ること叶わないが。


「っ……っ!」


 しかし、大した距離もないつり橋を渡り切った梓が指示通りにひた走っていくと、否が応でもそれは耳についてくる。

 初めは、さあさあと柔らかかったせせらぎの音が、足を運ぶたびだんだんと勢いを増し始めていた。

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