フラグの回収早過ぎません?

「ええ、つい今しがた領域を離れたばかり。というよりも、悪いわね。急がせちゃったみたいで……」


「いや、気にしないでくれ。雪音は雪音の仕事をしてくれただけだろう? どうせ、遅かれ早かれ目は通すことになっていたんだ」


 だからかまわないよ。というようにうっすら日に焼けた指先を振った里穂がドアの敷居を跨いだのと同時、蒸された玄関先の空気が一緒に流れ込んでくる。

 モワッと噎せ返るような張り付く熱気に若干眉を顰めながらも、雪音は我らが支部長(リーダー)である里穂に、座ったままイスをくるりと向ける。

 そんな様子を見て取った里穂は、肩先で切り揃えられた茶っ毛混じりのボブカットを揺らすと、すぐさま後ろ手で扉を閉めた。


「それで、何があったんだい? もしや梓達の身に……ということではなさそうだが」


 前身を包み込む冷気に快活そうな目じりを下げてから、里穂は1つ息を吐いてスタスタと冷房下のソファまで歩み寄る。

 次いで、雪音ほど厚くもない胸に渡り斜め掛けしていたスクールバッグを下ろすと、リボンを緩めつつ〝はつらつとした中にも理知的な光を湛えた眼〟で彼女に問うた。


「梓ちゃん達なら大丈夫。今週も危なげなく歪みの対処に当たってくれたから。問題はそこではなくてね」


 視線で先を促してくる里穂からディスプレイに顔を戻した雪音は、すぐにマウスを操り1枚の画像を画面に表示させる。


「これは、先に回してもらった今日の現場写真だね。川表面を覆う歪み、という点においては〝先週までの物と何ら変わらぬよう〟に見えるが」


 里穂が見やすいようにと、身体を反らしてくれた雪音の傍まで近づいた里穂は、緩めた襟元を直してからモニターを覗き込んで言う。


「そう、ね。確かに、これまでの発生状況とさして変わらない、似たような形状に見えるとは思うのだけど……」


 少しばかり〝発生の仕方〟に違和感があるのよね。と白魚のような雪音の人差し指が示す先。そこには本来「夏の真っ赤な夕陽が反射しているだけの水面」があるはずだった。

 しかし、写し出された静止画には〝無数の罅が放射状に入った空間の裂け目〟と、そこからこぼれた水によって激しく波打つ支流の姿。加えて、


「言われてみれば、横たわる亀裂の幅が上空にも広がっているように見える、か」


 誤差の範疇と切り捨ててしまえばそれまでではあるのだけど、と言い知れぬ不安を覚えているらしき雪音が、訝し気に眉根を寄せる。


「そう、だね。でもまあ、誤差と捨て置くには判断材料が乏しい。〝来週以降〟も拡張を続けるのかそうでないのか……まずは、他支部でもこういった傾向が見られたかの確認を取らないと」


 僕の方からも詳細をすぐに送ってもらえるよう一報入れておくよ。と雪音が抱いた懸念を無下にはせず、彼女の愁いを払うように里穂は続けた。


「ええ、お願い。ただの思い過ごしだといいのだけど」


「いずれにせよ、判明していることの方が少ないくらいなんだ。ささいなことであれ、考慮しておくにこしたことはないだろう」


 そう言って、雪音に寄せていた身体を離した里穂が、早速〝地方に点在する支部〟にも連絡を入れようとソファのところまで戻った時だった。


「あーちゃん何食べる? お姉ちゃんはね、とにかくなんでもいいから食べたい気分なんだよ。っていうか、冷蔵庫にアイス残ってたかな?」


「……って、子供じゃないんですから。帰って早々冷蔵庫に突進しようとしないでください! というかですね、責めて手は洗いましょうよ?」


 ちょうど、スクールバッグの収納ポケットに仕舞ってあるスマホを取り出したタイミングで、なんとも騒がしい二人のやりとりが里穂の耳に飛び込んできた。


「はいはい、そんな恨めしそうに見つめてもダメですよ? まずは、帰投の報告をするのが先です!」


 うう、あーちゃんの鬼~。と不満げな咲弥のぼやきが聞こえてきたかと思えば、次いで響くのは蛇口を捻る音。

 それから、しぶしぶと手を洗っている気配がしてくることしばし、蛇口を締め直す音が鳴った後、任務を終えたばかりの咲弥達がバタバタと居室になだれ込んできた。


「おや、里穂さんいらしてたんですか。生徒会の方はもういいんです?」


「ああ、僕も今さっき来たところではあるんだが……すまない、急用ができた。と櫻空(さくら)君に伝えたら〝だったらもう、会長はいいです! さっさと用事済ませに帰っちゃってください。後はやっておきますから〟と追い出されてしまってね」


 苦笑気味に肩をすくめてからそう言った里穂は、「とまあ、僕のことはいいとして」と引っ張り出した端末をくるくると弄びながら梓に尋ねる。


「いったい、どうしたんだい?」


 いや、それがですね。と困ったような梓が口を開きかけたところで、彼女に背を押されるがままになっていた咲弥がいきなり顔を上げた。


「よくぞ聞いてくれました! 私はね、お腹が空いてお腹が空いてしょうがないんだよ。だからね、お仕事でお疲れ~な私はりほりほに何かしら食料を所望します!」


「……何事かと思いきや。そんなことよりもだ」


 それはもう堂々と、やたら真面目腐った顔を作って見せる咲弥に、頭の痛くなってきた里穂は頭痛をこらえるようどうにか返事を返す。


「なあ、咲弥?」


「なあに?」


「その、なんだ。いい加減、僕をりほりほと呼ぶのはやめてくれないか」


 すでにもう、キリッとした雰囲気から普段の人懐こそうな表情に戻ってしまった咲弥に向かい、里穂は疲れたように言葉を継ぐ。


「ええ、どうして? だってほら、こんなに語感もいいよ!?」


「そんな語感重視で決められても困るんだが」


 かわいいと思うのに……と少し頬を膨らませた咲弥が〝先の宣言〟はどこへやら、自分で食べ物を漁りに冷蔵庫へ歩き出す。


「はいはい、2人とも漫才はその辺にしてちょうだい」


 何を食べようかな? というように冷蔵、冷凍庫のドアを交互に開閉し真剣に悩み出す咲弥。

 そんな彼女を放置して、半ば呆れたような雪音が場の空気を換えるように手を打ち合わせた。


「っと、そうだったね」


 さてと、と咳ばらいを一つしてから、里穂も雰囲気を変えるように切り出す。


「2人とも、おつかれのところ悪いが〝本日の経過報告〟を頼むよ?」


「あれ、だってもう、雪音ちゃんから報告書はもらってるんじゃないの?」


 君に決めたんだよ。とどうやらお目当ての物を見つけたらしい咲弥が、早速アイスをパクつきながら不思議そうに首を傾げる。


「それはそうなんだが……」


 ああ、もしかして歪みの侵食規模に関してですか? と何やら思い至る節のありそうな梓が、なるほどというように頷きを返す。


「やはり、直接相対した梓が感じるレベルなら感化しておく訳にもいかなさそうか」


「そう、ですね。封剋をした際の抵抗はあまり変わらなかったような気もしますが……心なし、五色の網を安定させるのに時間が掛かった感じはありました」


 ただ、それが今回限り。と言いますか、偶々そういう歪み(ケース)だったというだけの気もしますが。と処理に当たった時の感触を思い出しつつ、梓は目の前で思案している様子の里穂にそう付け加えた。


「とはいえ、歪みの拡大。と呼ぶべきかも不明だが、余計な被害が生まれる規模感ではないからね」


 現段階では注視するに留めておこう。もちろん、本部や他の支部と共有はするつもりだが。とひとまずの対応を里穂が打ち出した瞬間、


「「「「っ!?」」」」


 歪みの写真を映したままのパソコン画面が真っ赤なアラートに染まると同時、〝亀裂の出現〟を告げる警報が全員の端末に鳴り響いた。

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