今日も至って普通、通常営業ですかね。このまま何もなければいいんですが……フラグじゃないですよ?

「さっすがあーちゃん、時間ピッタリだったね!」


 梓と同じ青を基調としたチェック柄のボトムをたなびかせ、10メーターはあろうデパート屋上から何食わぬ顔で飛び降りてきたのは、ひと学年上の幼馴染。

 命綱もなしに〝一流スタントマンも真っ青!〟な芸当でシュタりと着地を済ませた彼女こと|楠木(くすのき)|咲弥(さや)は、隣でジト目を送る梓に普段とあまり変わらぬ澄んだ瞳を返す。


「咲弥さんもおつかれさまでした。今日もナイスショット。というかですね、なんでそんな〝目立つマネ〟をして降りてくるんです? 普通に店内通ってくればいいでしょう!」


「どうして? ってそれはもちろん、その方が早いからだよ? あーちゃんも不思議なことを言うんだね」


 全く持って濁りのない、澄み切った光を宿した目で無邪気に宣う咲弥の足元――飛び降りる際に掛けていたと思われる〝術式の淡い残光〟がはらはらと消えていくのを視界に入れながら、梓は思わずこめかみを押さえた。

 そんな、もうバディを組んで任務に当たるようになってから1年近く経つ相棒(梓)の、なんとも微妙な表情を見て咲弥は「どうしたの?」と不思議そうに首を傾げる。


 あまりにも緊張感のないマイペースな相方の姿にますます頭の痛くなってきた梓は、さっきまで〝転化済だった警棒〟を星形チャーム君に戻してから口を開いた。


「……あの、ですね」


 こてんと傾いていた咲弥の首が戻るのに伴って、紅いゴムで縛られた彼女のストレートな黒髪がふっと揺れる。

 広がる毛先をついつい目で追ってしまってから、梓はすぐに目線を咲弥の真っすぐで綺麗な瞳に戻して含めるように言う。


「いいです? もうじき通行車両の規制も解除されて一般人の行き来も再開するはずです。そうでなくても、歩行者の制限は完璧じゃないんですから。不用意な行動は控えてください。と言ってるんです!」


「ええ、でもでも雪音ちゃんの話じゃ〝デパートそのものへの立ち入りが禁止〟になってるんでしょ? 表向きな理由からしても、今日中にお見せを開け直す。なんてこともないだろし」


 今すぐ敷地内に従業員が……とかもないと思うんだけどな? あーちゃん気にしすぎだって。と梓の指摘も何のその、いかにもあっけらかんとした態度を崩さないままに咲弥は言い切る。


「そういうこと、ではなくてですね」


 もう、あーちゃんは何をそんなに? と咲弥はそのふっくらとした唇の脇に指を当て、今度は反対側に首を傾げた。

 とうとう、そんな様子にこらえきれなくなった梓が大きなため息を吐く。


「……はあ。全く咲弥さんって人は……もういいです! こうやって問答してる間に人が来ないとも限りませんから。さっさと撤収しますよ?」


「オッケー~。そうと決まれば急いで帰ろ。お姉ちゃんお腹空いちゃった!」


 言うが早いか、梓を置いて先にざっざと砂利の上をデパートの方に引き返しだしてしまう咲弥。

 鼻歌なんかを歌いながら揚々と前を行く彼女の後ろを追いかけつつ、梓は陰影の濃くなりだした背後を一度だけ振り返った。


(溜まった水は……まあこのくらいなら砂利に染み込むか、一晩もあれば川か排水溝に流れ落ちていきますかね? 他に、回収しておかなきゃいけないものもなさそうですし)


 すでに、あの〝異様な影〟と〝歪み〟を排除してから早数分。あれ程に溢れていた水は勢いをすっかりなくし、押し流す圧もなくなったことで巻き戻るように傾斜を下り始めている。

 緩やかに川面目掛けて落ちる水の流れに一瞬目をやると、梓はまたもや眠たげに戻ってしまった左の|眼(まなこ)を瞬かせた。


 夜の藍色が街頭を染め上げる中、今日も人知れず〝凶事の芽〟を摘んだ2人の少女は、何事もなかったように下校中らしき学生の波に紛れてゆく……。


◇◇◇


 梓と咲弥が撤収を始めたその頃、彼女達が通う学校から程近いマンションの一室。裏門から徒歩に分のところに位置する冷房の効いた室内で、同じ制服に薄手のカーディガンを羽織った女子生徒が1人、動かしていた手をを徐に止める。


「そろそろかしらね?」


 ざっと10畳はあろうかという居室の壁際で、デスクトップpcに向かい合い報告書を取りまとめていた生徒――|沢城(さわしろ)|雪音(ゆきね)は、しっかりと閉じられたドア向こうの玄関に猫目がちなその瞳を送る。

 咲弥と同学年の彼女は、ぱっと見鋭利な印象を抱かせるその瞳孔を作業中のディスプレイには戻さずに視線を窓際へと移した。

 と同時、白シャツの胸元を押し上げる双丘に掛かっていたポニーテールがカーディガンにさらりと垂れる。


「あらもう、こんな時間だったのね」


 いつの間にこんなに暗くなっていたのかしら。と驚く彼女が身じろいだことで、コテで緩く巻いた癖っ毛を結えてあるポニテが、完全に背中の方へと流れた。


 冷房の掛かった部屋の中に目立った調度品の類はなく、入口とは反対の窓の近くにロウテーブルとソファ一式。それと申し訳程度の観葉植物が置かれてあるぐらい。

 一見すると殺風景な、いかにも「作業をするためだけに設えました」と言わんばかりの様相。そんな室内に差し込んでいた夕陽が今にも沈みそうだということを見て取った彼女は、手元のリモコンを引き寄せ照明をつけた。


(あ、それと里穂がやってくる前に室長にも一報入れておかないといけないわよね。いつまでも通行止めにしてはおけないでしょうし)


 あやうく、忘れてしまうところだったわ。というように打ちかけていた報告書を即仕上げると、雪音は解除の申請と共に〝室長と呼ばれる人物〟に書類を送信した。


 謎の黒い影と災害級の被害を齎す歪みが猛威を振るうようになってから約一年。

 表向きそれは、あくまで〝一定の気象条件が揃った時に発生する気候変動〟の一つとして、近年声高に叫ばれる温暖化や集中豪雨。はたまた海面の上昇などといったものと同様に報じられていた。

 しかしその実、そうやって巻き起こる〝自然現象〟や、〝災害の芽〟とも呼ぶべき歪みを鎮静化、ひそかに|封剋(ふうこく)して回る者達がいた!


『もっしも~し、雪音ちゃん雪音ちゃん。聞こえてる? あれ、っていうかまだ作戦行動中だから一応〝シリウス〟って呼んだ方がいいのかな?』


「どうしたのベータ。何か緊急の要件? 別にもう、どちらでもいいわよ。半ば諦めているから」


『んとね、大したことはないんだけど、今さっき完全に現場を離脱したからその報告を~』


 誰あろう。それはもちろん、お気楽感満載な感じでいきなり通信を入れてきた咲弥をはじめ、それにも動じず淡々と返すオペレーターの雪音。加えて梓もではある訳だが……


 未曽有うの自然災害が歪みによって全国に振り撒かれだした当初、あたかも連動するように〝能力を獲得した者達〟が首都圏のみならず地方でも数10人確認された。

 最初の内こそ、自然科学を超越した未知の感覚に戸惑いや不安を覚え、また心配した家族の勧めもあって医療機関を受診する者も少なくなかった。


 誰しも耳を疑うような症例が各所で立て続き、しかもほぼ同時期に上がってくる〝異質な報告兼診断書〟を見て関係省庁のお役人は困惑。

 ただでさえ、どの気象条件に基づき発生しているのかも分からない、突発的な災害が同時多発しているのだ。

 喫緊の対応と自治体との連携が求められる中、40以上にも及ぶ〝奇怪な報告例〟は庁内に余計な混乱を齎した。


 その最中(さなか)、川の氾濫で陸の孤島と化した家屋に取り残された渦中の少女が、自室の窓から見えた歪みに〝芽生えた感覚〟を向けたことで事態は一変する!

 訳も分からぬまま振るった力から発された五色「ごしき」の光にビックリしたのも束の間、眩しい程の輝きが収まるにつれ水面を跨いでいた亀裂が消え失せたのだ。


 そんなうさんくさい話、平時であれば一笑に付されてしまうであろう。

 しかし、裏を返せば「どこまでも曖昧で非科学的なファンタジー」を試して見なければならない程に切羽詰まっていたというべきか、政府は報告にあったものに対し説明と協力を要請! それでも、年端も行かぬ未成年がほとんどであったがために反対派も多く、議論は紛糾。

 が、そうやって批判的で懐疑的な意見を述べている間にも被害は拡大するばかりで……


「そう、たった今室長にも要請出したところだから。間もなく周辺の規制も解かれるはずよ?」


『うん、分かった~。それじゃ、また後でね』


 それに耐え兼ねて。というよりも、業を煮やしたのは当事者である彼女達の方だった。

 初めは、正義感にも似た青さからいき勇む子もちらほらいたが、生徒らを先導できる学生が現れてからは流れが変わった。そういった経緯から今では能力者を率いる|支部長(リーダー)の元、各地方に五つの支部が設置され中高生による自治が確立。

 とはいえ、野放しにはしておけないと〝超法規的な一部署〟として省庁への所属が決定。監督を執り行うという建前で、室長という名のお目付け役が置かれることとなっていた。


◇◇


(意外と早かったわね。もう少し掛かるかもと思っていたのだけど)


 咲弥との通信を終えて、長いまつ毛を伏せるようにこめかみを解していた雪音の耳に、ピーっと玄関の電子キーを開錠する音が届く。


「遅れてすまない。思いの外、生徒会の仕事が長引いてしまってね」


 パタパタとせわしない足取りでキッチンの前を通り過ぎる足音が聞こえてきたかと思うと、バンっと勢いよくドアが開け放たれた。

 そこに立っていたのは、額にじんわりと汗をにじませた茶髪にショートボブの凛々し気な女子。


「おや、梓と咲弥はまだ帰ってきていないのかい?」


 そこまで手狭でもない部屋を一瞥すると、息を整えながらそう尋ねてきたのは、梓達の通う県立校の生徒会長にして〝能力者をまとめあげている長〟の一人――|天貝(あまがい)|里穂(りほ)だった。

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