緊張感って持った方がいいですか?

『梓(アルファ)に咲弥(ベータ)も、まだ作戦行動中よ? ちゃんとコードネームは使ってちょうだい。というよりも、あなた達気を抜きすぎよ!』


『ええ、だってさっきまで雪音ちゃんもリアルで呼んでたのに?』


『……ゴホン! わざとよ、わざと。そうではなくて、ベータが所定位置に着いたのは確認。アルファは目標まで残り300メーターといったところね』


 そのまま迂回ルートを取って進んでちょうだい。そこからではデパートが邪魔して〝歪みの確認〟はできないでしょうけど。とばつが悪そうながらも、不満げな咲弥の指摘を押し切って無理矢理に業務を遂行する雪音さん。


「了解です。それで、現場の状況は?」


 気まずそうに指示を続ける雪音の様子に苦笑しつつ、梓は一段抜かしに階段を駆け下りる。

 危なげない跳躍と共に、カンっという小気味よい音を立て下りながら、梓はようやく〝聞くつもりだったはずの質問〟を行う。


『そう、ね。今回は被害も軽微だからキープアウトの範囲もそこまでではないのだけど……』


 被害と言っても、歪み周りが一部浸水してしまっている程度だから。付近の道路やデパートへの立ち入りを制限するぐらいではあるのだけど。と話題を本筋に戻してくれた梓に習い、雪音も現状の説明に入る。


「となると、すでにお客さんとかの避難は済んでるんですね?」


『ええ、もちろん。お店の営業は老朽化していた配水管の破裂で急遽停止。点検並びに補修の業者を入れるという体で、水浸しとなっているデパートの敷地からは、来客スタッフ共に立ち退いてもらっているわ』


「というかそんなところにまで歪みの侵食が?」


 最後の段差をトンっと蹴って、ところどころ鋪装の甘い歩道に降り立った梓は、間を開けずにすぐさま〝右の脇道〟へ身体を滑り込ませる。

 勢いもそのままに駆け込むと、足の回転をさらに上げつつ詳細を問うた。


『ちょうど、川沿いの土手上に構えているお店だから。こぼれた水が流れ込んできているようね』


「それじゃあ、けっこう水位は上昇してる感じなんですか!?」


 え、ならこんな悠長にしてて。というか規制のレベル引き上げなくてもいいんです? と思ったよりも芳しくなさそうな現場の状況に、思わず梓は眉をしかめる。

 平屋建ての軒が連なる石垣の前を走り抜け、梓はもう一度確認込みでの問いを重ねた。


『安心してちょうだい。確かに水位は上がっているのだけど、増水する程の勢いはないから』


「どういうことです?」


 氾濫を起こした川の水が溢れて。ということでないのであれば、いったいどこから水が流れてきているというのか、

 首を傾げる梓に、「これはあまり例のない歪み(ケース)になるのだけど」と前置きしてから雪音が言葉をつづける。


『どうも、普段なら水面を覆うように広がっているだけの歪みが、今日ばかりは上空にも手を伸ばしているようなのよ!』


 上方にある橋の欄干を取り込むような形でね。といつにない展開を見せる〝空間の裂け目〟に、雪音が困惑混じりな声を漏らす。


「そういうこと、ですか。つまり、欄干を巻き込んだ歪み――亀裂越しに溢れた分が、橋を伝ってデパート側にも滴り落ちてきていると?」


『そう。だけど、これ以上〝おかしな広がり方〟をする可能性もゼロではないから。念のため、橋に通じるルートは全て通行止めにしてもらっているわ』


 万が一、入り込んでしまった一般人に何かあっては困るしね。と付け加える雪音の声を聞きながら、梓は石垣同士の合間にできた細道を一息に駆け抜ける。

 狭い道を飛び出た彼女の目に映るのは、先ほどからチラチラ視界に入っていた3階ほどの高さを持ったデパートのすがた。


 小さいながらも立体駐車場の完備されたデパートは、本来であれば夕飯の食材を求める仕事帰りのリーマンや、フードコートに屯うために訪れた学生でにぎわっているはず。

 しかし、現在はそのなりをすっかり潜めている。


(人の気配は、なさそうですね)


 ほとんどデパートの裏手に近い箇所から建物の側面に飛び出た梓は、左右をさっと見回す。

 きちんと【人避け】がされていることを見て取ると、梓はチラリとデパートの屋上を振り仰ぐ。視線を向けたのもほんの一瞬、すぐに目線を下げると出入りを拒むように一定間隔で設置されたカラーコーンをひょいと跨いだ。


(意外と大した水量ではないですね)


 店舗の敷地に踏み入った直後から、彼女のブーツはぴちゃぴちゃと水の感触を捉えていた。

 まだ水たまり程度のそれをパシャパシャと、水滴が跳ねるのも厭わずに歩みを進める。


(増水したものでなくて良かったですね。あやうく、後処理が大変になるところでした)


 波紋が広がる水面にうっすらと映り込む顔を見やって、梓は小川から流れ着いた泥水でないことに安どの息を漏らす。

 そんな感想を抱きつつも、室外機やパイプラインの密集した区画を抜けると、


「こちらアルファ、ターゲットを目視で確認」


 建物の裏に回り込んだ梓の頬をひやりとした風が撫でていく。

 心なし、足元の水流が強まってきたようにも思える中、突然彼女の瞳に〝異質なそれ〟は飛び込んできた。


「今のところ、影人(かげびと)は見当たりませんけど……」


 敷地の境界を挟んだ向こうにあったのは、車数台分は止められそうな開けた空間。

 細かい砂利が敷き詰められたスペースをなだらかに下ると、見えてくるのはわりかし整備された感のあるアスファルト。天気が良い日であれば、犬を連れた人が散歩していてもおかしくない程の土手幅はありそうだ。

 だが、それも今は〝左手前の鉄橋袂〟から押し流されてくる水のせいで地面は黒く濡れている。


 そんなアスファルトの道から橋に添って視線を巡らすと、嫌でも目に付くのは鉄橋に寄り添う異様な存在。

 川岸に近い水面ギリギリの高さからセンスを開くかの如く、中空に無数の〝ヒビを入れる〟ように広がるそれは、扇状を呈したひとつの黒い穴のようにも見える。

 そして、その〝空間の割れ目〟とも言うべき亀裂からは囂々と水圧を伴った水が吐き出され、少なくない漣を小川に立てていた。


 雪音(シリウス)の報告に合ったのはこれですか。と歪みの状態を確認した梓は、扇の先端――欄干に被るそれを見て独り言ちる。


「確かに、水位にはまだ余裕がありそうですね」


 ここからだと、ちょうど折り重なって見える【橋】と【歪み】から小川に目を移しつつ、梓はオペレーターに声を掛けた。


「展開の仕方に気になるところはありますが……想定を逸脱していないので、このまま歪みの固定に入ります!」


『こちらシリウス。了解よ、くれぐれも充分注意して封剋(ふうこく)に当たってちょうだい』


 アルファの現着をモニターでもチェックしたらしき雪音から応答があると、徐に梓は歪みに向かい左手を翳した。


(とはいえ、気掛かりなことに変わりはないんですけど)


 それでも、今の内に片付けてしまいましょうか。といつもと違う派生具合に違和感は拭えないものの、速やかに対処せんと左手首に巻かれた暗紫色のブレスレット――封剋をするがための呼び水となる【氣力】を注ぎ込もうとする。


『あーちゃん!?』


 梓からの氣に呼応して、ブレスレットに刻まれた〝五芒星の文様〟が淡い明滅を繰り返す。

 ブレスレット表面に刻まれた〝五つの星〟がそれぞれ青や赤、黄色に白や黒といった色合いの明かりを灯そうとした瞬間、咲弥の警戒を促す声がヘッドセットに響いた。


「……っ」


 氣の出力に意識を裂いたせつなの合間、咲弥の警告に慌てて視線を戻してみれば、梓の目に移り込むのは不気味なひとつの黒い影。

 それはまるで、日との背後にできる影が切り離されて、確かな重みと実体を伴っている様。


「……!」


 未だ、多量の水を垂れ流し続けている亀裂から這い出た〝奇怪な影〟は、優に10数メートルはあるであろう距離をぬめりとした動作で詰めてくる。

 思わず、下唇を噛んだ梓が反応を見せるよりも先、瞬く間に迫りくる人の形を成した黒い影。いつの間に持っていたのか、その影は携えていた〝剣状の何か〟を突進の勢いのまま振りかぶる。


「くっ」


 それさえも本当に剣なのか、影同様漆黒に染まっており判然とはしない。

 しかし、それが自身に直撃すれば間違いなく「負傷は免れない」と本能が警鐘を鳴らす。


 もはや、今からでは回避が間に合わないと判断した梓は、咄嗟に右手を前に突き出していた。

 5角形が記されたブレスレットとは反対の手――右手首にも装着されたブレスにはパープルの格子模様。左手と違うのは、そこにさらに〝星形のチャーム〟がぶら下がっていることだろうか。


「術式(じゅつしき)送転(そうてん)!」


 接近する剣状のそれが身体を打ち据えんと迫った寸前、彼女の口から〝事象を捻じ曲げる一言〟が紡がれる。

 直後、梓の右手首に装備された星形チャーム君がカット眩い丹青色の光を放った。


「!??」


 途端、これまで全く表情の読めなかった影から微かに動揺が漏れたのが伝わる。

 逡巡を見せる影の目の前、瞬きが消えた梓の右手には〝エッジの入った特殊警棒〟が握られていた。


 危機一髪のところでギリギリ転化――形状の変質を済ませたそれを、瞬間的に影人の得物に押し当てる。

 無理に押し返そうとはせず、梓はぶつけられた衝撃の勢いを借りてそのまま後ろに後ずさった。


『あーちゃん大丈夫!? 息してるっ?

 』


「息、は微妙に止めちゃってましたが。まあ、見ての通りですよ?」


 心配のにじむ咲弥の音声に返事を返しつつ、梓はよろめく身体をどうにか立て直す。

 明らかに隙を見せる格好となってしまったが、思わぬ抵抗を受けて影人も躊躇っているようだ。


『アルファ、単騎での対処は可能そう?』


「ええ、シリウス。たぶん5部、いや7割といったところでしょうか。でも、行けますよ? わたし1人って訳でもないですしね」


 己の見立てをオペレーターに伝えながらも、梓は決して影人から目を離さない。

 今だけは眠たそうな瞳をパチッと見開いて、彼女はにわかに真剣みの帯びた返事を返す。


「要は、歪みそのものを押さえ込めれば勝ちな訳ですし。とはいえ、長引かせたくはないので……ベータ、首尾は?」


『もちろん、万全だよ!』


「であれば話は早いですね。このまま歪みを封殺してしまいましょう! ということでシリウス、任務は続行しますよ?」


 了解したわ。と雪音の短い応諾が合ったところで、梓と影人の硬直状態が破られる。

 わざわざ確認が終わるのを待ってくれていた。という訳でもないだろうが、話の区切りがついたと同時、初めに動いたのは影人の方だった。


 まるで、背後の〝歪みを庇う〟ような位置を取った影人が、またもや空間を滑る挙動で詰めてくる。


「カウントごで歪みを完全に固定します! ベータ、後は任せましたよ。5……」


 最初のカウントだけを口にすると、真っすぐ攻め込んでくる影人目掛け梓も駆け出した。

 コンマ秒と掛からずに近付く彼我との距離。互いの息が聞こえてきそうな感覚にまで接敵した頃には、振り上げた得物同士がガギンと激しい音を立ててぶつかり合う。


 残り3秒。


(そんなには、持たないかもですね)


 通常なら瞬時に押し負けてしまいそうな鋪装でで、容赦なくのしかかって来る圧力に逆らう梓。

 そんな実力差(じつりきさ)を覆す身体強化を施した腕で、なんとか拮抗するほどに鬩ぎ合う。


 その傍らで、ずっと中途半端に待機させたままだった左のブレスレットに、梓はもう一度氣の充填を始める。

 すると、弱弱しく点滅を続けていた灯火が、息を吹き返したように勢いを取り戻す。次いで、記された星の図形一つ一つから、行く本物しなる鞭が飛び出した。


「ぐっ」


 やがて、放たれた鞭は互いに絡み合い〝網目を形成〝していく。

 象られた網が己の頭上を飛び越え歪みに向かっていくのを見るや、焦りを浮かべた影人が押し込む力を強めてきた。


(もう少し、です)


 着実に、だが確実に後ろに数歩ずつ押し出されながら、梓は展開した網をどうにか安定させようともがく。

 悲鳴を上げる筋肉を捻じ伏せ、梓は水面の歪みを覆いつくさんと、橋の袂に網目を届かせる。残り1秒、


『後は、お姉ちゃんにお任せ~!』


 ある種、待ち望んでいた声が掛かると、右斜め後方のデパート屋上から一筋の閃光が飛来した。

 輝く黄金に淡い朱色の螺旋を巻き付けた一線は、梓達の直情を素通りし、張った網もろともに歪みを吹き飛ばす。


『着弾~っと』


 間髪明けず、全く気負った感のない報告が梓の耳を打った。

 しかし、そんな咲弥とは対照的に、狼狽した風の影人は「梓になどかまけていられなくなった」というように慌てて歪みの元へ駆け寄る。


「……っと」


 押し合っていた力が急に抜けて、梓は前につんのめりそうになる。

 しかし、踏ん張りそうになる足の力をわざと緩めると、彼女はすぐに姿勢を屈めた。それが正解であると示すように、次の瞬間には辺りに派手な爆音と爆風が吹き荒れる。


「ゲホゴホッ、咲弥さん威力の調整ミスってるんじゃないですか!?」


 周囲を包んでいた猛威がなくなったのを見て取ると、梓は恐る恐るといった感じに顔を上げた。

 一転して静けさの戻った周りを見渡してみれば、あんなに噴出していたはずの濁流の音も止んでおり、


「こちらアルファ、対象の崩壊を確認」


『アルファ、影人の気配は?』


「影人は……」


 爆風が収まるにつれ、いつの間にやらピンと伸びていたはずの網の張力も弱まっている。

 はらはらと解れていく網の向こう、これまで絶えず水を溢れさせていたはずの亀裂は、水面に引きずり込まれるように没し始めているところだった。


 ちょうど、傍に寄っていた影人も、それに巻き込まれるような形で引っ張り込まれていき……


「たった今、歪みの消失に合わせなくなりました」


『了解、こちらでも歪み並びに影人の消滅を確認。梓ちゃん、おつかれさま。咲弥との合流後、帰投してちょうだい』


「了解です」

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