第9話 普通の男
そこには水樹の姿があった。一瞬驚く。
彼もまたそこに佇んでいて。少し間を開けてから。
「お前こそ」
その問いに、水樹はすぐに答えなかった。先の騒動でまだ心の内が乱れていて、真琴、と呼ばれたことに突っ込む余裕はなかった。
そうして二人の間にしばらくの沈黙。教室で騒動になった、ちょっとした事件。藤木、という男子に見覚えはあったが、接点は無くて。
「あのさ」
思わず口を開いてから、少し後悔する。水樹は何も言わず、こちらを見て、こちらの言葉の続きを待っている。
「いや、その。藤木って奴のこと、知ってるかな、って思って」
「あぁ」
その問いで全て理解したような顔をして、うなずく。勿体ぶるようなその顔に少しだけ苛立ったが、堪えて。水樹はそのまま何か考えるようにして、少ししてから肩を竦めて、こちらを見た。
「真琴、その話さ」
「あ、うん」
「告白されたの、俺だって言ったらどうする?」
「……え?」
予想もしない言葉が返ってきて、言葉通りに茫然とする。ドクンと鼓動が高まって。いや、だってお前、この前違うって。
「いや、だから……それで……?」
思わず口から漏れてしまった独り言。それでも脳の整理が追いつかない。
彼はそうではないけれど、その藤木という男子に、勘違いさせてしまった、とか。いや、邪推はよくないだろうと自問自答する。こんがらがった末に、水樹を一瞥する。
すると、水樹は笑っていた。掌で口元を隠し、堪えきれないといった様子で。正直、それが何を示しているのか分からなかった。
「ふふ……ごめん、つい。でもさ、真琴って本当に純粋なんだね」
「何だよ、さっきから。訳わかんないって」
「いや、だから。嘘だよ、そんなの」
「は……?」
あぁおかしいと、彼は屈託もなく笑っていた。それがどういう状況か、未だ脳味噌は処理を繰り返していたけれど、本能がそれを理解して、段々と怒りが湧き上がってくるのが分かった。
”純粋? そんな言葉で俺の苦悩を弄ぶな”
”お前もあの動物達と一緒なのか”
それを制すように、こちらのボルテージが上がりきる前に、水樹は言い放つ。
「あれでしょ、藤木ってちょっと細身の、元バレー部とかで。結構女子受けもよかったはずなんだけど、意外だよね。それで、俺も後で聞いたんだけど、告白されたのは酒井って、隣のクラスのバスケ部の男子。確かにあの二人仲良かったしね」
さも知ったかのように語る彼の雄弁さが、妙に癪に障る。けれどその正体もわからないまま、水樹からの情報を飲み込んで。
「へ、へぇ。じゃあお前じゃないん、だな、告白されたのって」
「そりゃそうだよ」
その言葉が自分の何かを踏みにじっていく、そんな音がした。
”どうしてそんなに、この話題を面白可笑しく出来るんだ”
「あ、もしかしてこないだのこと根に持ってる? ごめんって、あれは冗談だからさ。むしろ……」
水樹はそう言い溜めて、思い出し笑いするように吹き出しながら。
「本物のゲイに告白されるって、負けじゃない?」
「……負け?」
その時、自分の中の何かが弾けるような、壊れるような音がした。それでも、水樹から放たれる言葉は止まらない。
「そうそう。こうやって俺たちみたいに普通の男同士、冗談で言い合う分には面白いけど、そうじゃない相手に言われるってことはさ。相手のこと吟味した上で、こいつには告白してもいけるかも、って思われたってことでしょ? それはきついよね」
自分の中の、野菜畑なのか花畑なのか、何か大事にしていたものが踏み荒らされていく感覚。それをするのはカラスか、それとも無邪気な子供か分からなかった。
”普通の?”
”何がきついって?”
”負けって、じゃあどうすりゃ勝ちなんだよ”
喉の、すんでのところまで出掛かって抑える。咄嗟のことだったから、随分と気持ちの悪い愛想笑いになったと思う。
「まあ、そう、だな」
「でしょ? ここだけの話、酒井は断ったらしいんだけど。そりゃ、告白された時点で気も使うしさ。俺なら仲良い奴程気を遣うけどなぁ」
これ以上平気な振りをするのは難しい。けれど彼は持ち前の鈍感さで、むしろ話が乗ってきたとばかりに饒舌になっていく。
”お前は、ヒーローみたいな男になりたいんじゃなかったのかよ”
怒り、落胆。色んな気持ちが芽生えては理性に押しつぶされ、スクラップが沢山積み上がっていく。そんな内心で細々しく出たのは、形だけの相槌。
「あぁ。その、気を遣うってのは、どういう?」
「だから、告白したら相手がどう思うかって考える余裕っていうのかな。自己中過ぎるって思わない? 普通じゃないんだから、少しは相手のこと考えないと、その人を傷つけることになるって思うんだよね」
”いい加減に——”
*
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