第8話 ゲイ騒動
二人でおにぎりを食べた日の翌日は、何故か水樹と鉢合わせなかった。売店に向かって、今日の気分でパンを選び、ふと階段の踊り場を覗き込んだが、そこには誰もいない。
別に毎回待ち合わせてるわけでもないしと、少しだけ靄掛かった心の内を抱えたまま、教室の自席に戻る。
一人で食べる昼食にも慣れた。それに今日はメロンパン、ではない。たまには他のパンも食べたくなる。
アイツが言っていた。メロンパンばかり食べている奴は女々しいだろうか、と。そもそも他人の食べているパンの種類のチェックなんて、余程暇か、元々陥れようとしてない限りしないだろう。
いや、確かに水樹のようなタイプが毎回メロンパンを食べていたら目立つかもしれない。なんて、どちらにしても、パンの種類だけで人格を想像されては堪ったものじゃない。そんな想像を膨らませながらパンを頬張る。
と、急に廊下がバタバタとして、勢いよく扉が開く。名前もうろ覚えの男子、確か妙に口達者なクラスのムードメーカー的な存在だった気がする。
「おいおい、聞いたか!? 隣のクラスの藤木が、昼休みに告白したらしいぜ!? しかも……相手は男子だ、って話だ。ヤバイよな、ってことはアイツ、ゲイだったんだぜ!?」
その瞬間、思わずパンを食べる手が止まる。あまり表情に出ないよう、顔を動かさないよう、視線だけで探るように。
”今、何て言った?”
彼は馬鹿でかい声でそれをいつものグループ四、五人に向けて話す。もちろんそんなことをしていれば聞き耳を立てなくとも周りの耳に入る。
別の、机を固めて昼食を取っていた女子グループがすかさず問いかけて。
「え、ちょっと今の本当? 藤木君って、あの藤木君!?」
「ねぇねぇ、相手は誰!? 誰に告白したの!?」
「それが相手は分からねぇけど、体育館裏で思い切り本気の告白をしてたらしいんだよ。あんなとこ誰かに見られるかもしれないってのに、これは純粋ガチの青春ラブだよなぁ!!」
「えーー!! ちょっとそれ感動ものなんですけど!」
「それって成功したのかな!?」
騒めきはクラスのあちらこちらから、水面に投げられた波紋がやがて大きくなり、あっという間にクラスの中が大きなカラオケボックスと化した。
ただ一人を除いて。
「ちょっと、本当キモいって。無理無理、私二次元はいけるけど、三次元本当無理だから」
「俺藤木と結構仲良かったんだけどなー、そういう目で見られてたってことかな。今思い出したら寒気が止まんねぇよ」
「いや、今って結構隠れ多いだろ? 隠れてんの、ゲイだけじゃなくレズも多いって言うしな。あ、そういや隣のクラスのアイツもゲイっぽくね?」
「私は応援するけどな〜、いいじゃんそういうプラトニックな恋愛って感じでさ〜」
「バカ、何言ってんの? 今時男子同士でもするんだって。あんなこととか、こんなこととか、実際は……」
「わー、もうやめてよこんなところでー!」
"煩い、煩い煩い"
”その単語だけに釣られて、知ったような口を叩かないで”
”日々無関心なお前らが、勝手に価値を決めるな”
言葉だけ蔓延っても何の意味もない。LGBTなんて飾りだと、コイツらが物語ってくれている。
そうだ。この世界にはこういう人がまだ大勢いる。知って欲しいなんて思わない。自分がそちら側の人間なら、同じことを思っていたかもしれない、と思うから。
そういう扱いや仕打ちを受け、身に染みるまで、当事者である自分さえ一体どんなふうに振る舞って、何をしてきたのかなんて知る由もなかった。
皆が持つ常識。その範疇に収まっていない、少数。理解してくれとは言わない。けれど、その存在を知っているのにも関わらず、中途半端に知識を得て揶揄うのは、差別だ。同じ人間として、理性に乏しい……だから、自分は動物と呼ぶ。
目の前に転がっている玩具。ボール。それに食いついて飽きるまで遊び続ける。彼らはそれで楽しいかもしれないけれど、そうして転がされた人間は、何を恨めばいいのだろう。
お利口に理想論を語る人も、自分が悪いんだと泣き寝入りする人もいる。それでも自分は、抗いたい。否定されることを、否定したい。
”もう、そんな過去は二度と起こしたくない”
思い悩んで、考えは巡って、必死に堪える。頭の中にノイズが広がる。時計の秒針に神経質になるみたいに。
全部が音の波で、ただただ煩い騒音ならそれでいい。だが都合の悪いことに、それら全ての耳障りな言葉が、下品で粗暴で、根拠も脈絡もないゴシップな言葉の渋滞で、脳内は暴走する。
頭では理解できているのに。制御できているはずなのに。それらは無視すればいいと、経験で分かってる。が、いざ目の前にすれば、それら心のない言葉は容赦無く心臓を傷つけていく。
そして、耐え切ることができずに。
「いい加減黙れよ!!」
その声を聞いてクラスは一瞬で静まり返る、ことはなかった。
何故ならそれは結局心の声で、内心でため息をつく。
大声の代わりに、脂汗が軽く滲んでくる。自分にそんなことをする胆力はないし、そんなことをしても根本が解決しないことはわかっていたから。
無気力に襲われ、昼休み中はこの話題で尽きないだろうと、早々にパンを食べ終えて教室から逃げるように抜け出した。
『実はアイツも……』
なんて声が聞こえて、一瞬足が止まる。それでも聞こえないフリで、その場を後にする。
行く宛も無く彷徨って、結局中庭に来てしまって。
「あれ、どうしたの真琴」
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