第7話 翔の野望
こちらが渡したおにぎりがほとんど食べ切れたかというところで。
「あのさ」
「うん?」
「何でお前、教室で食べないんだよ」
「え? いや、だって」
「俺が、ってのは無し」
「あー、先手取られたかぁ」
これまで教室で食べていたのに、自分が最近そうしないのは、メロンパンに釣られたからだ。売店で買って教室で一人で食べることに、何ら困ることはなかった。
見た目では同類に見えない彼が、そういえば二週間も続けてこうして自分と、いや、これまでも同じように一人で食べていたのかと思うと、純粋に不思議でならなかった。
此方と同類ではない、それは彼もこの二週間で分かっていること。何も話さない自分に対して色々と開示してきた彼だったが、肝心な所は教えてくれない。それはこちらこそ同じで、答える義理がないと返されればそれまでだったが、彼は珍しく真面目に問いかけた質問が嬉しかったのか、少し頬を緩ませて。
「あのさ、相原。もしかして俺のこと、ゲイだと思ってない?」
「……は?」
そう言って彼は不敵に微笑んで、顔を近づける。思わず反射的にたじろいで、一歩下がる。危うく階段から落ちそうになるのを、すんでのところで階段の壁にもたれかかって回避する。
「危ッ……ないな!! 何すんだよ!」
「って、あはは。冗談だよ、冗談。嘘に決まってるじゃん」
そんな嘘に、口を一文字に結ぶ。正直笑えない。けれど彼の笑みは無垢なものだった。今の数秒の冗談は、自分の中の黒いものを掘り起こすのに十分だった。しかし、それが唐突過ぎて、怒りに変換してよいのか、この場から逃げるの先決か、決断が出来なかった。
「お前……つまらない冗談言うなら……」
「あぁいや、違う違う。ごめんって。これは深い理由があって」
短く舌打ちをして、その先を急かす。
「まあ、俺はこんな性格で、キャラだからさ。昔言われたんだよ、お前ゲイだろ、なんて。オカマとかって言われた時もあったけど」
その瞬間に耳鳴りがした、ような気がした。ゆっくりと脳味噌が揺らされているような感覚。逃げなければいけないと体のどこかが、本能的に察知していた。
この話は、聞くべきじゃないと。それでも彼の、何か憂いた表情を見て、立ち上がることができなかった。
「別に俺は普通。ゲイとかオカマなんかじゃない。健全な男子、なんだけど。やっぱり女子には弱いっていうか、こう見えてうまく話せないんだよね。でも、だからって根暗ヲタクみたいにキョドって話せない、ってほどでもない」
もし心臓やら肝臓やらに重みを感じるとしたら、何故か今それがボウリング玉くらいに感じている。それくらいの違和感に苛まれながら、彼の言葉に聞き入っていた。
そうだ、彼を見た時、普通にクラスで喋っていた。男子はもちろん、女子とも普通に。思い出す限りでは、女子にだけ弱いとは思わなかった。
「それで、昔それをなんとかしようって片思いしてた子に告白したんだけど、見事に振られてさ。ゲイなんかと付き合えない、水樹君は親友の〇〇君が好きなんでしょ、とかってね。結局そこでも同じようなからかい文句。まあ、小中学校時代なんて、そういうゴシップの影響が強いからさ。仕方ないなって思ったんだけど。子供ながら傷ついちゃって」
こちらは、無言の時間。そのあとも彼はひたすら一人で喋っていた。
けれどこちらの妙な反応と、聴き続けていることがわかる表情の変化を読み取ったのか、嬉しそうに、それでいて寂しそうにしながら。
「それで、本当の男になりたいって話になったんだけどね。高校に入って変わろうって、入学式初日に駅前でお婆ちゃんが倒れてた。大丈夫ですかって話しかけて、なんとか歩ける所まで付き添ったんだ。最初は怖かったけど。でも、最後にはありがとう、優しいねって声を貰って、俺にもできるんだ、って」
「へぇ」
短い相槌。別に、それに特別な意味はなかった。
「だけど、それっきり。それっきり何かやろうと思っても、尻込みするんだ。心の中ではやるべきことがはっきりしてるのに、ダメだった時のことが頭に過ぎって。だから相原と一緒にいれば何かきっかけになるかなって。酷い他力本願って思うよね。俺も女々しいって思うんだけど、今日まで渋々付き合ってくれた相原だから、カミングアウトしようと思って」
彼は取り乱すこともなく、スピーチでもするみたいに堂々と語った。それだけで彼は自信がある人間だと。正直、この数週間の間に、何度も思ったことだったが。きっと彼は、客観視出来てないんだろう。そしてそれを自分が言ってやる義理もない。
長い沈黙。どちらから口を開くか。やがて重い腰をあげるように。
「……で、それをわざわざ俺に言って、ヒーローごっこの続きがしたいって? そこまで自分でわかってるなら、俺と絡んでたって無駄だってわかるようなもんじゃないのか」
「無駄じゃないよ。こうやって弱音を曝け出せる友達が出来たんだし」
「友達?」
思わず聞き返した。しかし、今更その言葉に疑問符をつけるのも、自分こそ子供っぽいのだろうかと、内心自問自答して。
「友達でしょ。メロンパンを分け合う。それに、まだ俺の野望の話をしてない」
「それ、どうせ勿体ぶるほどの話でもないだろ」
「まあね。実は俺には幼なじみがいるんだけど。はる、辻宮はる、っていう、一個下の後輩になるのかな」
彼はその名前を呼ぶと、またワントーン表情が明るくなって。それからまた一つ表情を変えて。野望、という言葉に相応しい、これまでの女々しい彼に相応しくない、裏の表情とも言えるべき奇妙さが滲み出ていた。
「その幼なじみと、付き合いたいんだ。何を犠牲にしても」
「……何を犠牲にしても、って」
「それくらい、ずっと好きだからさ。彼女を振り向かせるためには、それに見合う男にならなきゃならない。そのきっかけを、弱い俺は探してたってわけ。だからまあ、ここまで来たら付き合ってよ」
彼のその目には、確かに力が籠もっていた。そうだ、もともと彼には不思議な力というか、前に進むための謎の原動力を感じいていた。その正体が彼の言う彼女だとすれば、少しは納得が行く。
かと言って、その目の色はどことなく危険を帯びているようにも見えた。彼がそこまでに発した言葉に違和感を覚えていたのも確か。そういう様々な感情が、唐突に彼から発せられる感情が絡み合って、頭を混乱させていて。
「……また、あのメロンパンを持ってきてくれたらな」
そんなことを言ってしまう。彼のその野望とやらに惹かれたのも事実だったけれど。彼に重なる自分の弱さを、見届けたい。
”性別を無理解に、軽率に生きていないか“
“こいつは、自分と『同類』なのか?”
”それとも、他と同じ『動物』なのか?”
少しでも心を許そうとした、自分に警鐘を鳴らす。彼が本当に信頼の出来る相手ならば、確かに今後も弱さを分かち合える、かもしれない。
”友達、ね”
その言葉通りになるのなら、越したことはないけど。不穏な胸騒ぎの中、食べ終えたおにぎりの袋はまた、彼の手の中で無造作に握り潰された。
「ご馳走様。たまにはお米もいいけど、やっぱり俺はパン派かな」
それじゃあ、と言って彼は階段を降りて行く。
「あ、そうだ。こんなに話したんだしさ。次から名前で呼んでよ。俺もそうするからさ、いいでしょ、真琴?」
「いや、許可を取る前から呼んでるじゃんか」
楽しそうな顔をして、彼は視界から消える。最後に問いかけられた違和感のある呼び名には何も反応することなく。
少しだけ考えてから結局躊躇して、彼の名前を呼ぶことはなかった。
一口だけ残ったおにぎりを口に放り込んで、噛み締めていく。窓の外に叩きつける雨は、強さを増しているようだった。
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