第11話 ゲイ騒動

 ちょうど、教室の入り口にはるの姿があった。


「あ、千秋」


 こちらに気がついて、どうしたのという表情。


「あの、はるさ。よかったら今日、一緒にお昼どうかな、って」

「あぁ、うん。いいよ。久しぶりに食べようか」


 少しの間があって、思わず心臓が跳ねる。嫌がられただろうか。けれどすぐに笑顔になってくれる彼女。


「あ、そしたら先、前にお昼食べた場所に行ってて! 私、委員会の仕事があって、五分くらいしたら行けると思う」

「うん、分かった」


 彼女が委員会に入ってることも初めて知った。けれど聞けば納得するし、そういえば莉子との話で聞いたんだと思い出す。よかった、避けられているわけじゃない。ネガティブな考えは杞憂に終わってほっとしたのも束の間、そうして先にいつもの場所へ向かおうとすると、正面から猛スピードで男子生徒が突っ込んできた。

 

 思わず声が出そうになって必死に半身になって躱すも、少しだけ服に引っかかって、痛、と短く声が出てしまう。


「あ、悪い!! ちょっと急いでて!! ホントごめんな!」


 その人はあまり見たことがなかったから、先輩のようだった。走りながら謝って、階段を駆け上がって行ってしまった。少し掠っただけで、実際別になんともない。謎の申し訳なさが頭を過ったが、その場を後にして、いつもの場所に行く。


 と、飲み物を忘れてしまったことに気がついて、時間を確認する。多分急げばはるはまだこないだろうと踏んで、早歩きで別の道から教室に戻る。


 すると、普段は人のいない校舎裏が騒がしかった。ちょうど中庭のあたりから渡り廊下にかけて。なんだろう、そう思いながらいくつかのグループの塊を避けて行こうとすると、思わず耳に入る。


「ゲイだよ、ゲイ!! マジモンの、初めてみちゃったなぁ」

「ちょっとやめなってー、今時珍しくもないでしょ?」

「でもさ、体育館裏で告白ってガチって感じでヤバくね? 本気のラブって感じ……やばい、鳥肌」


 その言葉の圧、そして悪意を感じ取って、一瞬眩暈に襲われる。なんとか堪えて教室へ向かう。ゲイ。ゲイって、そうか。そういうあれかと、言葉の意味を漠然と理解する。もやもやした重たい何かを抱えながら、自席の飲み物を手にする。すると、


「ねぇ千秋、聞いた聞いた!? 一個上の先輩が、ゲイだったんだって! ね、詩織」

「そうそう、藤木先輩と酒井先輩。地味に人気あったらしいよ」

「ごめんね千秋、いきなり。ちょっと、二人もあんまりゲイって連呼しないで」

「莉子も千秋も急にごめんって。でもさでもさ、流石にリアルで聞いちゃうとヤバイでしょ。詩織なんかBL好きだしさぁ」

「い、いやいや! 別にそういうことじゃないからね? そこは勘違いしないでもらいたいなぁ?」


 いつものメンバー三人に詰め寄られて、思わずそのまま話し込む流れになってしまう。そこから逃げ出したいと思うのに、三人が話していて逃げられない。と、そのうちに問いかけられてしまう。莉子に一旦落ち着いてと言われて、改めて芽衣から問いかけられる。


「ね、千秋はどう思う? 結構ショックだな私は」

「え、いや、自分は……」

「ほら、千秋困ってるでしょ、二人とも?」

「だって、ピュアな千秋だからこそ聴きたいってもんじゃん。そういう莉子はどうなの?」

「え? どうって……」

「ぶっちゃけ気持ち悪い、とかさ。何かしら感想あるじゃん、この手の話題だもん」


 彼女の言葉に、思わず喉の奥が詰まる。何も言えないまま、三人の会話が耳を通り抜ける。


「私は別に、気持ち悪いなんて思わないけど……」


 芽衣は達観したように莉子の困った表情を見ていた。先よりはボルテージが下がっていたものの、変わらず早口で、吐き捨てるように。


「私もそりゃ、そんな関わりない先輩だから本気でどうってわけじゃないけど。少なくとも、見る目は変わるよね」


 芽衣は何でもズバズバと言い切るタイプだ。ゴシップも好きだから、この手のは容赦がない。お調子者の詩織はマイペースで、それでいてすごく女の子らしい所が長所だと思う。芽衣が言うにはBLの専門家らしい。


「見る目かぁ」

「そんで、BL好きとしては、これからマークするって感じ?」

「いやいや、他の人がどうか知らんけど、ウチは三次元と分けたい派だから! てか芽衣さん? そもそもBLって二次元限定だからね。ただなぁ、そうやって二次元と比較して聞かれると、確かに三次元はないわー……って思う。というか、そこは好みもあるんじゃないの」

「あれだけBL狂いなのに、ダメなんだ。やっぱり普通じゃないって思うんじゃん」


 ”普通じゃない”


 そのキーワードだけで、やっぱり逃げ出したくなってしまう。BLやらゲイやら、男性同士の、いわゆる普通じゃない、恋愛のことを指す。いや、普通、なのかもしれない。でも結局、こうやって普通じゃない、と言われるわけで。


 ただこの三人、どちらかといえば芽衣と詩織は、そのもう一段階上の話をしているように思えた。


 どちらにしてもこの話題は、聞かないフリが出来ない。心の底から動揺してしまうからだ。芽衣の強い言葉に対して、食い気味に詩織が反論する。


「いやいや、狂いって! そこまでじゃないから! まあ普通じゃないって言うんじゃなくて……そりゃさ。今時LGBTだなんだ、って色々言われてるけども、身内以外でそういう話になったら偏見はあるんじゃない? 否定はしないけど、受け入れられるかは別でしょ」

「そうそう、それよ。私は身内とか友達なら親身になるかもだけど、男の先輩ってのとか、生々しい話きいたら鳥肌立った。これって生理的な話よ。男同士がイチャついてんのがキモいって思う人もいるってこと」


 うんうんと頷き合う芽衣と詩織。それを見て莉子がまた宥めにかかる。


「二人ともそんな、一応先輩なんだから」

「まあ言葉はともかく、芽衣の言う通り同じ学校の人だと、他人事ながら余計生々しくて、つい」

「そうそう。やっぱり無理なものは無理。私からしたらパクチー的な。いや、勝手にやっててくれたらいいよ? でも体育館裏でしょ? それで結局こうやって噂になって耳に入ってるんだから、ちょっとは考えた方が良いと思うんだわ。好き勝手言われるの、普通分かるでしょ」


 珍しい話題のせいか、いつもなら莉子の制止で収まるはずの芽衣の弾丸トークも止まる気配がなくて。その一連の会話をただただ必死に聞くだけだった自分が、ふと芽衣と目が合ってしまう。


「千秋はこういうのダメそうだよね」

「っていうかすでに顔面蒼白?」


 詩織もこちらを見つめて、何か感想を言って欲しそうな表情だった。


 普通、の三人は、今回の出来事が普通でないからこそ、皆がどんな価値観でいるのか気になるのだと思う。けれど自分には、その価値観を推し量るだけの基準がなくて。


 莉子だけが心配そうにこちらを見つめていた。そのわずかな時間が、永遠のように思えて。まるで三人の目が、自分を責めているような被害妄想が肥大して、思わず足が竦む。


 その瞬間、手元のパンが視界に入ると、ハッと思い出す。


「ご、ごめん! ちょっと行かないと、ごめんね!」


 そう言うと早足で教室から抜け出そうとする。友達の会話を遮って逃げ出すことなんてなかった。

 罪悪感に駆られながら、謎の力に後押しされる。足は重たくて、これまでの会話で心は鉛のようになって、また倒れそうだった。


「あ、ち、千秋! 怒らせちゃった、かな?」


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