第6話 トラウマ

『お前ん家って、貧乏なんだろ?』


 悪意ある声に、小学生の自分は火でも当てられたみたいに目を見開いた。


 それは自分に対しての言葉ではなく、クラスメイトの一人がいじめっ子に絡まれてた時に近くで聞いた言葉。その子は違うよ、と弱々しく否定する。確かに、彼はどちらかと言えばそういう、貧乏って言われるタイプで、体育着や上履きも全部誰かから貰ったものだと言っていた。


 だとしても、本人はそれを言って欲しくはない。自分の弱みみたいなところを指差して、問い詰められるようなことは、とても苦しくて辛いことだ。それを聞いて自分はグッと拳を握り締め、知らぬ振りをしながらも内心で叫んでいた。


『違う、自分は違う!!!』


 違わないのに、否定したい。本当に違うから、否定したい。本当はどっちか分からなかったけれど、彼の気持ちを考えたら胸が苦しくて泣いてしまいそうだった。バッグにしまったイヤホンみたく、どうしようもなく複雑に心が絡まっていく。あれが自分だったらと思うと、もう一度泣きそうになってしまう。



 コンビニで何かを買おうと思って財布を忘れたことに気がついて、何も買わずに外に出た瞬間、肩を叩かれた。


「君、今盗んだよね?」


 えっ、と思わず振り返る。真顔で、どこか呆れたような、それとも見透かしていると言わんばかりの顔が目に飛び込んできた。とにかくこちらを見下したような目が印象的な男性だった。その瞬間、心臓を素手で掴まれたみたいな感覚。疑われるということを直に感じた。

 自分は、万引きをしていないのに、警察官と思われる人に声をかけられた。その時は頭の理解が追いつかなくて、それが冗談なのか、何かの企画なのかと思って、最初は不思議な顔をした。


「惚けててもダメだよ。万引きが悪いことだってこと、分かるよね」


 警官ははぁ、とわざとらしくため息をついて見せた。どこか余裕そうな表情なのは、こちらが子供だからなのか分からなかったが。自分はそのどこか憮然とした所作に、イメージしている警官とは違うものを感じて、違和感を抱いていた。彼らは正しいことだけを述べる存在なのだと勝手に思い込んでいたから。”万引き”というその単語で、正義の象徴である警官から疑われていることを自覚した瞬間、一気に血の気が引いた。


”いや、違います”


 その言葉が、出てこない。嫌だ、どうすればいい。ただただ怖い。自分はこれから、どうされるんだろう。逮捕されてしまうのか。何をすればこの人に本当のことを知ってもらえるか。どうすれば勘違いを理解してもらえるのか。いや、それとも本当に自分が悪いことをしてしまったのか。頭の中が渋滞していた。

 結局違いますと言えたのはその数秒後。それもその人には聞き取ってもらえないほど小さい声。


「バッグに入れたんだろう」


 弁解も無視され、彼は痺れを切らしたようにバッグを奪い取ろうとするので、恐る恐るバッグを見せたが、もちろん何も出てこなかった。あれ、おかしいななんて、バッグを探る度に勝手に焦り始めて、警察の人は血相を変えてもう一度こちらを見る。


「本当に盗っていないんだね」


 と問いかけられて、静かに頷く。その言葉は先までと違って、随分と優しかった。それが一層不気味で、自分には気持ち悪さだけが残った。

 そうして結局もう一度バッグを調べて、警察官は本気で謝ってくれた。それどころか両親にも謝りたいからと住所を教えてなんて言われたが、これ以上関わりたくなかった。

 もういいですからと、半ば逃げるようにその場を後にした。一度も振り返る事は出来ず、かといって疑われたことで罪悪感が刷り込まれ、走って逃げる事も出来ない。家に着いて、ようやく解放されたと、涙腺が決壊して一人ベッドで泣きじゃくった。

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