第3話 明るい同級生
「――さん。 ――さん!」
「え、あ、は、はい!?」
「あ、ご、ごめん! 急に起こしちゃって……。でも、結構声かけたんだけどな。やっぱり具合悪かった?」
「あ、え、っと……いや……」
私は飛び起きて、そこが保健室だってことに気がつくのにおおよそ五秒。自分は気付けば保健室で眠っていたらしい。
その間、何か深い夢を見ていた気がするのに、思い出せない。
と、律儀に待っていてくれたのは、見たことのない女子生徒。同級生、だったかもしれない。
そんな自分の困り顔を察してか、納得したような表情に切り替わった彼女は。
「あ、ごめんごめん! 私は辻宮はる、って言います。隣のクラスの瀬戸千秋ちゃんだよね?」
「え? あ、そうです。ご、ごめんなさい……自分、辻宮さんのこと、知らなくて」
「あぁ、いや、いいのいいの! って、勝手にタメ口ごめんね、癖でさ。あ、そうそう。わざわざ保健室まで押しかけたのはね、これ。さっき落としていったでしょ」
彼女が快活に、淀みなくしゃべってくれるおかげで初対面のタメ口もさほど気にならなかった。そう言って彼女が見せてくれたのは、自分の生徒手帳だった。そこでようやく、あの時正面衝突した彼女だったと気がついて。
「あ、ごめんなさい……ありがとうございます」
「いいっていいって、それに具合も心配だったし。授業行ったのはいいけど、途中で付き添えば良かったなって、すごく後悔してさ。それで」
時計を見ると、登校してから丸1時間経過していた。彼女はそう言って、屈託もなく微笑んで見せてくれた。それがすごく真っ直ぐで、それだけで好感が持てた。
名前だけは聞いたことがあるような気がして、記憶を辿っていた。隣のクラスの、ちょっとした人気者。それこそ男子生徒から人気があるとかないとかで聞いた覚えがあった。その評判通りだな、なんて思いながら。
「わざわざありがとう、ございます」
「ちょっと、折角必死にタメで喋ってるんだから。なんて、流石に馴れ馴れしすぎる?」
冗談めいた言葉に、柔らかい笑み。人見知りの自分が、すんなり受け入れられたのは彼女の纏う人当たりの良さのお陰だと直感して。思わず頷いてしまうものの、少し照れ臭いだけで嫌な気持ちは一つもなかった。
「あ、いや………それじゃ……」
「うん! 遠慮なくはるって呼んでよ。実は私、千秋のこと気になってたんだ」
「え?」
その言葉に自分はドキリとして。少し間が空いて、クエスチョンマークが浮かぶ。
「気になってた、って?」
「あ、変な意味じゃなくて。でも、今は内緒にしておいてもいい? なんてことない話だから」
「え、あ、まあいいけど……」
自分が考え込んでいるのがわかったのか、彼女は顎に指を当てて考え始める。
「そうだなぁ、もちろん名前は初めて知って、瀬戸さんって人がいるのは知ってたんだ。でも、それだけだよ。ちょっとだけ瀬戸さんのことで、耳にしたことがあっただけ。もちろん、悪い噂とかじゃないし、もしあったとしてもそういうの私気にしないから」
「そ、そうなんだ……なんだろう」
悪い噂。そう言われて、今朝のことが蘇る。いや、違う。彼女はそういう人じゃない、と思う。というか、そもそもこの不可解な気持ちは、自分でさえ今朝知ったのだから、知られるはずもない。
彼女をちらを見て、透き通った肌に細い前髪、よく見れば制服もしっかりアイロンが掛かってるみたいで、
装いや容姿からも人気がある、いわゆる美少女なんだってことが窺えた。
そうして、しばらくの沈黙。でもそれは、彼女が何かを待ってくれているようだった。
何か喋らなきゃ。そういう苦しい空間じゃなくて、ただ二人で休憩しているような。
「もしかして……待って、くれてる?」
「うん? 何が?」
彼女は気を遣ってくれるのか、それとも本当にただ時間を潰しているのか分からなかったが、
「そ、そうだよね! そろそろ戻らないと」
「別に急がなくてもいいのに。って言っても、もう授業終わっちゃうか。でも、具合は平気?」
「へ、平気平気! 自分、病弱で貧血だから、よく倒れるってだけで……だから全然!」
「そう? ならいいけど、無理しないでね。それじゃ、途中まで一緒に戻ろう。これも何かの縁だしね。仲良くしよ?」
「あ、う、うん!」
はるが見せてくれた表情が、普通じゃない自分の心を動かしてくる。喜怒哀楽、それぞれ自分にはないものだ。
「千秋! 大丈夫?」
「わ! あ、ご、ごめん」
「もう、よそ見してたら危ないよ?」
「ちょっと、考え事してて」
「考え事? うーん、あ、もしかしてさっき私が余計なこと言ったから……」
「ち、違う! そうじゃなくて、辻宮さんは——」
その瞬間、すっと指を指されて、
「は・る。私は辻宮はるですよ、千秋さん? 千秋がそういうのあんまり得意じゃないっての分かるけど、きっと嫌でもないでしょ? 他の友達、みんな苗字呼びさん付けってわけでもないだろうし。……ってのが私の勘違いだったら、その時は本当にごめん! 謝る!」
真剣な顔をしたと思ったら、冗談が下手なのか自分で軽く吹き出してしまう。一体、何なんだろう、彼女は。でも、
「あ、ようやく笑ってくれた」
自分は、自分でも無意識のうちに笑っていたらしくて。人見知りな自分にとって、彼女の前のめり具合は、ちょっとこそばゆい気持ちになる。それでも不思議と不快じゃない。なんだか、彼女といるとさっきからの葛藤がちっぽけなものに思えて。
「え? あ、いや、その」
「ストップ。照れてもいいけど、まずは名前」
「あ、それじゃ……はる」
「何その慣れない感じ。付き合いたてのカップルみたい?」
「え!?」
「冗談冗談。でも、私はこんなんだから、ウザかったらいつでも言って。今日は無駄に少しやる気出してるから、いつもよりお喋りだけど」
一緒にいて、自然体でいられる友達は、数える程しかいない。白い目で見られるのが怖くなってから、自分の意見を出すのが怖くなった。だから出来るだけ後ろから付いていくようになった。誰かが手を挙げてから挙げるか決めるようになった。周りの人と違う動きをしないように心がけたり。
そういう卑怯なことをしないでも生きていける人、友達が何人かいる。けれど、その中でもはるは。
「はるは……変な人だね」
「え!? 何それ、急に話してくれたと思ったら!」
「いや、冗談だよ」
ぽかんとしてた彼女の表情は、自分が想像してるより面白かった。自分にもこんな感情があったのか。こんなことをしても許してくれる相手がいたんだ。心が軽くなって、思わず頬が緩んでしまう。行こう、と声をかけて立ち上がる。保健室の扉を開けながら、くだらない話をして教室に向かう。
彼女がどうして近づいてきてくれたのか、とか。朝のこと、これからのこと、自分のこと。今は忘れていても、良いだろうか。
『——』
謎の声は、返事をしなかった。出会って数時間の同級生と、親しくなって、新しい自分が見えてきた。これからの自分のことが何か変わっていくような予感がした。
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