第1章 -千秋-

第1話 痴漢との遭遇 

 私は私の性別が、良く分からない。

 

 学校へ向かう途中、いつものようにスマートフォンで動画を見ていた。そんな時、とある広告が流れた。


 それは、とあるYoutuberがLGBTQについて訴えるような内容だった。自分は強制的にホーム画面に戻って、動画自体見るのをやめた。


 "LGBTQ。最近多いなぁ……”


 この言葉を聞くたびに、自分の心はざわつく。チクチクと自分を不安にさせる、あらぬ疑いをかけられた時に似た感情。今にも泣き出したくなりそうで、それがどうしてなのか分からない、もやもや。


 電車の景色は流れては止まり、毎朝聴いている駅名とドアの開閉音が響くと、またゆっくり景色が進んでいくの繰り返し。


『次は、鉄品。鉄品。』


 列車のスピードがゆっくりと遅くなっていく。そのブレーキのタイミングが早くて、少し体が引っ張られる。


 LGBTQとか、性別がどうとか、よく分からなかった。というか、自分はそれを漠然と理解したまま嫌悪している。それが自分に当てはまりそうだからなのか。もし当てはまったとして、得体の知れないものだから、そうなりたくないからなのか。


 そういうネガティブを意識しないよう、吊革を握り直そうとした瞬間だった。


「どけッ!!!!」


 突然怒号が響き渡る。自分はもちろん、周りの人もびくりとして、手に持ったスマホから視線をそちらに移していく。バタバタと忙しなく何かが起こっている。そうして数秒後に、それが痴漢だと分かった。


 一人の男子、制服を着ているから同じ高校生だろうか。その男子生徒がもう一人、引きつった顔の男性を取り押さえていて、近くにいるのが被害を受けた女性だと思う。車内は一時騒然。けれど電車は変わらず進む。自分はそれを、ただ遠巻きに見ているだけだった。


 *


 次の駅に停まると、そこで痴漢と思われる男性と駅員さん、そして女性が歩いていくのを見た。

 その様子を横目に、他の人はもう知らないとばかりに、人の波に流されていく。


 そうしてまた静まり返る車内。けれど、先よりも確かに、何人かの囁くような声が響いていた。


 自分はその間、ただ呆然としていた。痴漢が怖かったのもそうだ。けれど、度々聞こえてくる周りの声。


『痴漢なんて死ねばいい』


『触られる方もそういう格好をしているから悪いのよ』


『痴漢を仕留めた男の子、カッコ良かったよな』


『でもあれ、冤罪だったらやばいよな。写真まで撮られてたし』


 思い思いの感想を、ヒソヒソと話し合っていた。それを聞いて自分は、女としてではなく、男としての視点で恐怖していた。


“冤罪?”


 あんな風にいろんな人に冷たい目で見られて、有りもしない罪を着せられる。体がブルッと震えるのがわかった。過去の嫌な記憶が蘇りそうになる。


 けれどもその後すぐに、不思議に思った。スカートを履いた自分は、本来痴漢を怖がるべきなんじゃないか、って。

 

 周りを見ると、女子生徒は周りを気にしているように見えたし、サラリーマンは意識して遠ざかっているようだった。女子生徒の中には啜り泣いている人もいた。自分はどうして、最初にその立場で考えなかったんだろう。


 単なる偶然、そうは思えなかった。自分は、出来る限り男、女なんて区別は考えないように生きてきたから。


 小学校に入る時、ランドセルは好きな黒を選んだ。走り回るのが好きだったけれど、おままごとだって楽しかった。

 

 けれど泥だらけになって怪我をして帰ると、いつも叱られた。そのうち同級生から、色んなことを言われるようになる。自分は自分らしく生きたいだけなのに、女の子らしくとか、男勝りと言われるのも嫌いだった。


 青は男。赤は女。そういう色分けがただただ不思議で、自分には理解のできないことだった。でも、そうして行かなきゃいけないって見えないルールに沿って、手探りで生きてきた。だから、車内で波紋が広がっていくみたいな、男女について白黒付けようとする沢山の人の声が、まるで自分を責めているみたいに聞こえて。


「ッ……!」


 やめて、と思わず声が出そうになる。寒気に襲われ、スマートフォンで気を紛らわそうとする。

 

 瞬間、急に扉が開いて、思わずびくりとした。後ろの人からの圧力を感じて、半ば強制的に電車を降りる。


 人の波に流されないよう、ホームの改札とは反対方向に避ける。駅名を確認すれば、そこはちょうど学校の最寄駅だった。見慣れたその景色にすら気付かずに、自分は肩で息をしながら駅の端っこで項垂れる。


 痴漢に遭遇した余韻で、鼓動が早い。けれど今心の中を占めているのは、それだけではなかった。男であること、女であることの象徴。性への恐怖心と猜疑心。そして、LGBTQ。まるで、見た目が気持ち悪くて食べるのを避けていたものを、無理矢理口に詰め込まれたみたいな嫌悪感。


「自分は……」


 呟いた声は、まるで他人の声みたいだった。


 きっと自分は、燃えるか燃えないか分からないゴミみたいに、分別が出来ない。だって、どちらにも納得したことがないんだから。どちらも、嫌で。どちらにもなりたいと、当たり前に思ってきたからこそ、そういう言葉にすら、見ない振りを続けてきたんだ。


 目に浮かんだ涙を必死に押し込める。誰かに言われたわけじゃないんだ。言われたわけじゃないのに、自分はやっぱり、弱い。


「何かでなきゃ、ダメなのかな……」


 自問自答する声さえも、気持ち悪くて、頭を振って歩き出す。自分は千秋、ただの千秋。言い聞かせるように繰り返し呟いてみても、見えない何かが自分に問いかけてくる。


『お前は男か、女か? LGBTQなのか?』


“そんなの、分からない。知らない……!”


 走って逃げ出したくなるような気持ちに襲われる。ふらふらと覚束ない足取りのまま、引っ張られるように学校へと向かった。



 *

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