第40話 閑話:おもてなし①

「あの馬鹿ばかはどこだ」


 初代のアードゥルは、対面したファーレンシア・エル・エトゥールに言った。怒りに満ちた威圧いあつが兄並みにすさまじい――ファーレンシアはそう思った。でも怖くはない。セオディアでこの程度の波動は慣れている。


 慣れって恐ろしい……ファーレンシアは現実逃避げんじつとうひ的にそんな感想を抱いた。


 外見上、三十代後半に見える黒髪の初代が怒っていることは、ファーレンシアはよくわかった。最近は友好的かと思っていたが、すべてが、吹っ飛んだ雰囲気すらあった。


 理由はわかっている。

 この男は、はるか昔に伴侶はんりょである女性を西の民に殺されていると、カイルから聞いていた。彼とエルネスト・ルフテールは、復讐のため、その蛮行ばんこうに及んだ氏族を集団殺戮さつりくしたという。

 その氏族しぞくの生き残りが、エトゥールと因縁いんねん深いカストのなのだ。しかも、その妻の生まれ変わりが、現在最大を誇る西の民の氏族の、若長の妻になっている。

 とても複雑で入り組んでいる関係性なのだ。


 彼にとって、カイルは憎むべき宿敵の子孫しそんに手を貸していることになる。しかもアードゥルの個人的事情を知っているにもかかわらずだ。

 これは裏切り行為と取られても仕方ないかもしれない。


「いらっしゃいませ、アードゥル様、ミオラス様」


 ファーレンシアは遮蔽しゃへいを強めながら、平静をよそおって丁寧に一礼をした。

 歌姫は困ったような表情を浮かべて、自分の伴侶の男にちらりと視線を動かした。彼女は、ほぼ巻き込まれたように同行をいられたに違いない。

 こういう状況でなければ、再会を喜び、アイリの菓子をつまみに、お茶をしたいところだが、さすがにそれはかなわない。


 ファーレンシアはもう一人の同行者に向き直った。彼も怒っているのだろうか?


「エルネスト・ルフテール」

 

 元辺境伯に、ファーレンシアは臣下しんかに対する礼をした。それだけはぶれなかった。

 辺境伯はシルビアの治療と世界の番人の恩恵で若返り、アードゥルより一回り若く見えた。同一人物なのに、アドリー辺境伯の隠し子で、押し通せそうな若返りぶりだった。


 その噂の発端も、カイルの考えなしの失言が生み出したものだったが、ファーレンシアはそれを考えることをやめた。きっと明日にはアドリー中にうわさが駆け巡っていることだろう。

 歌姫と出奔しゅっぽんしたアドリー辺境伯に隠し子がいて、辺境伯の地位を求めてやかたに乗り込んできた――それぐらいは脚色きゃくしょくされていそうだった。そちらの後始末あとしまつの方が頭が痛い。


 元臣下は、不思議そうな顔をしていた。


「エル・エトゥール、その恰好かっこうはなんですか?侍女じじょのお仕着しきせに見えますが」

侍女じじょのお仕着せです」

「それは、なんでまた?」

「姫の恰好かっこうでは避難民の世話ができないからです」

「ああ、なるほど」


 素直に納得したエルネストに、怒りの波動は見られない。むしろ状況を楽しんでいるようなのは気のせいだろうか?


「それもあの馬鹿の指示か?」


 二人のやりとりを聞いていたアードゥルが、イライラとしたように会話に割って入った。


「アードゥル様、馬鹿というのは私の将来の伴侶はんりょのことでしょうか?」

「他に馬鹿がいるのか?」

「残念ながらいませんが、念のため確認しただけです」


 エトゥールの妹姫が将来の伴侶が愚かなことを否定しなかったので、エルネストの方が、笑いの発作をこらえるような表情をした。

 アードゥルは、少女の返答に、やや勢いがそがれたようだった。


「で、馬鹿はどこだ?」

「今頃、エトゥールの宿敵の領地をウールヴェに乗って縦横無尽じゅうおうむじんに走り回っていることでしょう」

「なんのために?!」

「カストの大将軍ガルース様が、カストとの縁を切るにあたって、部下のご家族の保護を望まれました」

「相手はカストだぞ?!なぜ、そんな要望を受け入れる?!」

「はい、メレ・エトゥールをはじめ、周囲の人間が異議いぎを唱えても聞いてくださりませんでした」


 ファーレンシアは、ほほに右手をあて、憂いたように溜息をついた。


「おっしゃる通り、本当に馬鹿なことをしていると思いますわ」

「……あの城壁じょうへきの外の連中はなんだ?」

「西の民の客人です」

「エトゥールの姫」


 アードゥルの声色は険呑けんのんの最高調を驀進まいしんしていた。


「私は言葉遊びをしたいわけではない」

「申し訳ありません。私も言葉遊びをする余裕よゆうはございません」

「エル・エトゥール。今のアードゥルを刺激しげきすることはおすすめしませんが」


 元アドリー辺境伯が静かに警告を発した。


「私も刺激したいわけではありません」

「そうは見えませんが?」

「愛する伴侶を『馬鹿』認定されて、事実であっても受け入れがたいだけです」

「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い?」


 アードゥルが吐き捨てるように言った。


「そうですが、その批判が耐え難いと申しております。彼を愛しておりますので」


 動じず抗議するエトゥールの姫に、アードゥルの方が引き気味になった。


「……やりにくい」

「アードゥル、少し大人げないぞ」


 エルネストが呆れたように頭を振った。


「エル・エトゥールは、まだ十代で、君は遥かに年下の子供に八つ当たりをしているようなものだ。今回の件で怒り狂っているのは理解するが、老人が孫娘を虐めるのは、褒められた行為じゃないぞ?」

「――」


 アードゥルは何かを言いかけて口を閉ざし、それから東国イストレの言葉で何かののしった。

 口調と、直訳してしまった単語の断片から、激しい罵倒ばとうの内容にファーレンシアは思わず赤面した。世の中には、こんな罵倒表現が存在するのか、と彼女は知らない世界を垣間かいま見た。


「アードゥル、姫は王族だから東国イストレの言語もある程度、理解できる。女性にきかせる単語じゃない」


 ため息のまじったエルネストの静止に、再びぴたりとアードゥルは口を閉ざした。それからファーレンシアの赤い顔にしまった、という表情をした。

 ファーレンシアは、気まずい場を誤魔化すように咳払いをした。


「と、とにかく、カイル様に会って話をしたいのでしたら、このままアドリーに滞在たいざいしていただくしかありません」

滞在たいざいだと?」

「帰りがいつになるか、私にはわかりかねます。将来の妻を放置していることに、説教していただけるとこちらも助かります」

「エル・エトゥール」

「今、部屋を侍女たちに用意させています。お着換きがえ等、全て準備しますので」

 

 侍女のお仕着せを着たまま、ファーレンシア・エル・エトゥールは洗練された礼を行い、客人を歓迎していることを態度で示した。





 食事から、滞在の部屋まで、ファーレンシアは細部まで心を配り、客人の3人をもてなした。

 不機嫌なままのアードゥルも茶菓子として用意されたものに、意表をつかれた。


「…………なんだ、これは……」 

「試作しました『ぽてとちっぷす』と『ぽっぷこーん』です」

 

 ファーレンシア・エル・エトゥールの代わりに、なぜか彼女のそばに控える専属護衛が答えた。


「もしや、カイルが調達依頼してきたジャガイモとトウモロコシで作ったのか?」

「はい。おかげ様で、味が格段とあがりました。何度か試作を繰り返しておりまして、ご意見をいただけると助かります」


 エルネストの方が、専属護衛の女性を見た。


「君は確かシルビア・ラリムの専属護衛では?」

「アイリと申します」

「なぜ、専属護衛が調理を?」

「シルビア様が護衛よりも、お菓子を重視されますので」


 専属護衛は実情を暴露ばくろした。


「時間を見つけて腕をふるわせていただいています。最近ではすっかりそちらの比重が高くなりまして」


 専属護衛としては複雑です、とアイリは言った。

 一枚、つまんだアードゥルが感心したようにつぶやいた。


「よく、ここまで再現したな……」

「昔、君が作ったものよりはるかに美味い」

「うるさいぞ、エルネスト」

「ですが、味付けフレーバーに悩んでおります。私も本物を食べたことがありませんので、ぜひ賢者の皆さまのご意見をたまわりたく……」


 小柄な女性は、微笑んだ。

 エルネストも味見をして、考え込んだ。


「このままでも悪くないが……東国イストレ海藻のりあたりもあいそうだ」

「単純に生姜ジンジャー大蒜ガーリックでもいいのでは?」

山葵わさびも面白いと思うんだが」

「入手の容易さを考慮するとバターかチーズだな」

「醤油やソースでもいい」


 ファーレンシアの侍女の一人が、その発言を記録しているようだった。

 驚くべきことに、アードゥルとエルネスト用に珈琲までが用意された。


「珈琲だと?!」

「この間、ディム様からいただきましたの。初代の方々は特に好まれる飲み物と聞きましたので、ご用意しました」


 ファーレンシアがにっこりと微笑む。

 日頃から珈琲不足にあえいでいた初代の二人は、ぐっと詰まった。カイルと取引した珈琲豆は、すぐに消費されてしまったのだ。

 エルネストはファーレンシアを見つめた。


「エル・エトゥール、我々を懐柔かいじゅうしようとしていませんか?」

「もちろんです。西の地にいる避難民を襲撃しゅうげきされても困りますし、カイル様を殴り飛ばされても困りますから」


 ファーレンシアは頷き、認めた。


殿方とのがたを口説くには、まず胃袋からと教わりました」

「微妙に、口説く意味が違うと思いますが」


 エルネストが真顔で突っ込んだ。誰が入れ知恵したのか、エルネストだけはさっした。

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