第28話 閑話:マニュアルを作ろう①

「だからね?この『何か安心したことを言う』が全然、不明で理解できないんだ」

『対処の具体例が欲しい』


 一人と一匹の要望に、シルビアは半眼になり、これみよがしにため息をついた。

 巻き込まれて、招集しょうしゅうされたファーレンシアと侍女のマリカも困惑している。

 偉大なる知恵者である賢者が尋ねてきたのは、泣いている子供に対する対処方法だった。質問の意図いとを理解することにファーレンシア達は苦労した。


 研究バカ達の基本常識の欠落は大問題だ、とシルビアは密かに思う。独身者だから、という言い訳に依存いぞんするには、無理がありすぎる。

 だが、欠落している知識を補わなければ、さらなる大惨事を招きかねない。例えば、自分が父親になった時、などにだ。


「子供は泣くものです」


『「なんだって?!」』


 シルビアの返答に、質問者とウールヴェは驚愕の表情を浮かべた。なぜ、そんなに驚くのか、ファーレンシアとマリカはさらに首をひねった。


「だいたい、ディム・トゥーラ。貴方はリルが大泣きした現場に居合わせましたよね?」


『あれとは状況が違うだろう?』


「なんだい、リルの大泣きって」

「ファーレンシア様の初社交である舞踏会の修羅場で、サイラスが髪を切って近衛隊にまぎれたことに起因します」

「意味、わかんない」


『そうだろう?当時の俺も理解出来なかった』


「リルは父親が髪を切った日に、父親を亡くしているのですよ」

「――」

「養い親のサイラスが髪を切れば、心的外傷トラウマを刺激しますよね」


 カイルは、相方ディムを振り返った。


「……その予備知識があったから、僕に子供の相手を押し付けたね?」


 虎は視線をそらすことで、カイルの推察すいさつを肯定した。


赤子あかごなど自我が確立するまで、様々なことで泣きます。お腹がすいた。眠い。暑い。寒い。おもちゃがほしい。抱き上げてほしい。子守歌が欲しい。オムツが濡れた――様々なことに反応して泣くことで意思表示をします。母親もしくは父親がそれを察して対処するんです」


 シルビアの常識ともいえる解説に、一人と一匹はさらに恐怖の表情を浮かべた。


「察して対処するなんて、師範しはんぐらいの技量じゃないか」


 カイルの感想はどこかズレている。赤子あかご育成に試験と資格があると勘違いしていないだろうか、とシルビアは疑った。


『アードゥルの言った通りか……』


 ディム・トゥーラのつぶやきをカイルが聞きとがめた。


「アードゥルが何を言ってたの?」


赤子あかごの世話は大変だ』


「いったい、なんだってそんな話題に?」


『アードゥルが体験した世間一般的な地上人の生活の中の話題だ』


 彼が泣きわめく赤子あかご時代のカイルに苦労した、とは言えない。

 シルビアの言葉を補完したのはマリカだった。


「言葉を発するようになっても語彙ごいが豊富ではありませんから、幼児も些細なことで泣くこともあります。おもちゃをとられた、転んで痛い、迷子になった、母親がいない――」

「母親の不在だけ?」

「地上では子供の世話は女性が多いのです。側にいて、世話をしてくれるのは、母親やそれに近しい女性だけ。普段、働きに出ている父親は、顔をあわせる時間は少ないため、依存の度合いは母親が高くなります」


 マリカが説明する。


「ちなみにここで、父親が育児に非協力だと権威が地におちます。妻の愛は冷え切り、赤子は父親を知らないおじさん扱いし、人見知りするでしょう。非常に重要な時期ですが、ないがしろにする男性の多いこと多いこと……あとはして知るべしです」


 マリカの言葉はイカヅチのように男性陣を貫いた。

 カイルはおびえたように、ファーレンシアの方を見た。少女の方が微笑んで非常に大人びた切り返しをした。


「将来、子供が生まれたら、規則正しい生活をして子供との時間を作ってくださいね」


 カイルは機械人形のように、こくこくとうなずいた。

 

「で、なんの話でしたっけ?」

「泣く子供の対処法――安心させることを言う、なんて難易度が高すぎるよ。今回は、たまたま両親が生存していたけど、孤児こじだったら?怪我をしていたら?大人なら放置できるけど、子供はどうしたらいいんだ」


 オロオロとカイルは、女性陣に訴えた。


「あのぉ……」


 ファーレンシアが控えめに挙手きょしゅをする。


「何もカイル様が対応する必要は、ないのでは?」

「なんだって?」

「避難を行う現場に、乳母うばの経験がある侍女を数人、派遣すればよろしいのではありませんか?」


 少女の指摘と提案に、将来の伴侶と天上の賢者が憑依ひょういしているウールヴェが、同時にファーレンシアを尊敬の眼差まなざしで見つめた。


『「……天才か……?」』


 ファーレンシアは困ったようにシルビアをかえりみた。


「………………シルビア様……」

「………………言わないでください。彼等は間違いなく一般生活不適合者ふてきごうしゃですから……」


 シルビアはひたいを抑え、同僚の不出来ふできさを嘆いた。





『はぐれていた子供を見つけたら?』


「兵団長か侍女にたくして両親を探す」


『混乱時は?』


「安全な場所に一時避難させる」


孤児こじだったら?』


「とりあえず施療院せりょういんに届け保護」


『一般の怪我人がいたら?』


「兵団に指示をして救助、シルビア達に連絡」


『想定外のことが起きたら?』


「ウールヴェを飛ばして、メレ・エトゥールに指示をあおぐ」


『暴動が起きたら?』


 カイルは考え込んだ。


「……とりあえず、暴徒を昏倒こんとうさせる?」


 ウールヴェは呆れたようにカイルを見つめた。


『……お前なぁ……』


「え?ダメ?」


『安全を確保して、状況を正確にメレ・エトゥールに伝えるだろう』


昏倒こんとうさせて数を減らしておいた方がよくない?」


『一般市民相手に加減ができるのか?』


「……わかんない……」


『……最後の手段にとっておけ』


 ディム・トゥーラはその手法を否定しなかった。

 カイルは端末に予想できる事態についての対応策を打ち込んでいた。泣いている子供に遭遇そうぐうしたことがきっかけに作成し始めた大災厄の対応マニュアルは、かなりのリストになっていた。


「次は?」


『俺が死んだときは?』


 言葉を聞いたとたん、カイルは端末たんまつを振りかざし、虎の頭を間髪かんぱついれず殴っていた。


『痛いじゃないか』


 暴力にディム・トゥーラは怒った様子はなかった。カイルはその平然とした態度にむかついて怒鳴った。


「不吉なことを口にされるのが嫌なくせに、どうして自分は平気で口にするんだ?!」


『これはいろいろなことを想定しての対応策の検討だろう?俺が事故った時のことも想定しておけ』


「やだ」


『……おい……』


「そんな想定はいらない。絶対にいらない」


『考えとけ、次までの宿題だ』


「じゃあ、僕が死んだとき、ディムはどうするんだ」


 不吉なことを口にされることが大嫌いなディム・トゥーラへの報復のつもりの言葉は、予想外の内容で反撃を受けた。


『お前の遺体を回収して、中央セントラルに帰還』 


 用意されていたかのような即答に、カイルは衝撃を受けた。


「……はい?………………え?…………帰っちゃうの……?」


『大災厄の前だろうが、後だろうが即帰還だ。お前が死んでいるんだからな』


「……え……でも……恒星間天体が……」


『何度も言ってるだろう。お前がかかわってなければ、俺にこの惑星を救う義理はないと。俺に惑星救出任務を継続させたければ、まず、お前は自分の安全を確保しろ。お前が死んだら、ロニオスが何と言おうとも俺は手をひく』


 カイルはディム・トゥーラの言葉に狼狽うろたえていた。


『だいたい、お前は簡単に死んで、姫を一生泣かせるつもりか』


「ううっ……」


『お前が死んだらこの世界が滅亡すると思え』


「僕とこの世界を天秤てんびんにのせないでよ……」


『俺にとってはお前の方がはるかに重い。支援追跡者バックアップが対象者を喪失ロストするほど不名誉なことはない。初代のエルネストあたりにイーレの原体オリジナルを失った体験談でもきいてこい』


「そんな残酷ざんこくなことを聞けないよっ!!」


『多分、後悔のかたまりだろうな』


 ディム・トゥーラはエレン・アストライアーの支援追跡者バックアップの心情を正確に言い当てた。


『俺やシルビアはクローン申請してあるから、事故があっても再生してここに戻ってくることが可能だ。俺が死んだ時にお前がやることは、俺が再生されて戻ってくるまで生き延びることだ。記入しておけ』


 カイルは顔をしかめた。


「僕の精神的安定が支援追跡者バックアップの務めなら、ディムは死ぬべきではない。支援追跡者バックアップとしてそこの点はどう思っているわけ」


『その時のフォローは姫に依頼してある』


「は?」


 カイルは目をいた。

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