第10話 模索⑩

 カイルは精神負荷ストレスの酷さに、シルビアから絵を描くことを禁じられるのでは、と警戒していたが、彼女はファーレンシアを巻き込まないことを条件に許可した。ファーレンシアはまだ寝込んでいた。


 必然的にディム・トゥーラの完璧な遮蔽しゃへいが要求された。カイルが無意識に周囲に投射するのを阻止できるのは、支援追跡者バックアップである彼しかいなかった。

 多忙のはずのディムを同調形態ウールヴェのまま引き留めることは気が引けたが、ディム・トゥーラの方はあっさりと承諾した。


『できた絵を俺も早くみたいし、解析のために運ぶのなら早い方がいいだろう』


 変な気分だ――虎のウールヴェの横で、絵を描きながらカイルはそう思った。

 ディム・トゥーラの遮蔽しゃへいのおかげで、カイルは冷静に絵を描き起こすことができた。ディム・トゥーラがカイルの感受性を麻痺させてくれているおかげだった。


 だが、考えてみたら同調結果のアナログな絵描きをディム・トゥーラの前で披露するのは初めてのことなのだ。動物を写生するのとはわけが違う。

 カイルが絵を描く行為を、虎のウールヴェはじっと見つめてきた。完全に生態観察せいたいかんさつのレベルだった。


「な、何?」


『いや……いつもそんな風に同調記憶を描いていたんだな』


 しみじみと言われるのは、なんだか照れくさいことだった。


「観測ステーションでは、いつも個室コンパートメントにこもって描いていたからね」


『もったいない。これだけの技量ならもっと自慢してよかったのに』


「イーレなんてアナログな趣味だと馬鹿にしてたけど?それに、めんどくさいことになるよ。研究馬鹿達に撮影禁止区域の描写びょうしゃを頼まれることになるにきまっている」


『ありうるな』


 ディム・トゥーラは、すでに出来上がった数枚の絵を検分していた。地点の緯度や経度、恒星間天体の破片の侵入角度は十分割り出せる精密さがあった。


「……これから僕たちはどうしたらいいのかな……」


 ぼそりとカイルが言った。


『別にすることは変わらない。お前は地上の準備をする。俺は恒星間天体の軌道を変化させる』


「……うん」


『なあ、地上の魅力ってなんだ?』


 唐突な質問にカイルは驚いた。


「なんで、急に?」


『俺には理解できないからだ』


「サイラスみたいなことを言うね」


 カイルは少し笑った。


「サイラスは武道ぶどう真髄しんずいを理解できないみたいだけど」


『武道の真髄しんずいってなんだ?』


「心をきたえ、弱気を助け、正義をつらぬくことらしいよ」


『ああ、なるほど……確かにサイラスの苦手な分野かもしれないな』


「そうなの?」


『そしてイーレの得意分野だ。リルを助けるように指示したのもイーレだったし、イーレが指示しなければ、サイラスは動かなかったかもな』


「――」


 カイルは絵を描く手をとめた。


「時々、思うのだけど、初代を初めとする何人かは冷淡だよね?」


『文明不干渉ふかんしょうの原則があるからだろう。サイラスも言っていたが、どこまでが干渉になるか境界線が曖昧あいまいだ。サイラスが冷淡とは思わないが――むしろリルの安全確保を最初に言いだしたのはサイラスだった』


「いや、人が危機に瀕していたら、普通手助けしない?」


『しない』


「ええええ?!」


 カイルは驚きの声をあげた。


「ディムもまさかの冷淡派?!」


『…………なんだ、その冷淡派って……』


「地上滅亡に無関心なアードゥルやエルネストの派閥はばつだよ」


『…………アードゥルと一緒にするな』


 ウールヴェは途端に不機嫌ふきげんになった。


「あ、いや、一緒にしているわけじゃなくてね?」

 

 カイルは言い訳を始めた。


「こう、もう少し、心情的に――どうして手助けをしないの?」


『なぜ、手助けをしなければいけない?』


「――」


『手助けの基準は?俺の手は一つしかない。俺は同僚の命を守るために、お前たちを手助けする意思はあるが、無関係な地上の人間を手助けする義理はない』


 ディム・トゥーラは静かに答えた。


『文明不干渉ふかんしょうの原則は、干渉かんしょうすれば歴史を変えるほどの影響があるからだ。その変えた歴史の責任は誰がとれる?お前は戦争に加担したことで、りたんじゃなかったのか?地上から俺を初めて呼んだときは、そうだと思ったが』


「それは――」


 確かにあの時は、戦争に加担して死にゆく人々を聖堂で目の当たりにして後悔した。自分の浅はかな行動が彼等の人生を変えたと思ったからだ。


『お前はエトゥールに加担かたんしすぎている。それはこの世界に平等ではない。お前の知らない世界の片隅で、えて病気で死んでいく存在について手を差し伸べているわけではない。それは冷淡ではないのか?そのことで俺がアードゥルと同じに分類されるのは不本意だが、認めよう。俺はこの世界に冷淡だ。お前がかかわってなければ、この惑星を救う意味も見いだせない。地上の魅力みりょくも理解できないでいる。だから質問したんだ』


 それから、やや考え込むように言った。


『……いや、不干渉が原則といいつつも、メレ・エトゥールが死なすには惜しい人物だとは、思う。真の賢者は彼ではないだろうか』


「メレ・エトゥールが?」


『自分の責務として、民を救おうとしている』


「ああ、うん」


『歴史に名をのこす名君だ。彼の行動には心が揺さぶられる。なぜだかわからないが――ああ、そうじゃない。理由はわかっている』


 ディム・トゥーラは自己結論に達していた。


『他者のための献身けんしんだ。自己犠牲と行動力、どこかリードとお前に通じるモノがあるんだ』


「僕とリード?」


 カイルは首を傾げた。

 ウールヴェはしばらくカイルを見つめたあと、半眼になり、とても長い溜息をついた。


「な、なに?」


『お前の無自覚無双が、あろうことか限界突破し、野放しになっていることに対する不安だ。俺はこれに一生つきあうのか……。お前の支援追跡者バックアップとなることを承諾しょうだくした過去の自分を殴ってでも制止したい』


「ひどいよ」


 カイルは唇をとがらせた。再び絵を描きはじめたカイルは言った。


「だいたい無自覚は、ディムもいい勝負じゃないか」


『なんだって?』


「地上に降りた僕達のために、奔走してくれている。それが献身じゃなくて、なんなの?自己犠牲と行動力――まさに、そのものだ」


『…………お前に言われると物凄ものすごく腹が立つのは、どうしてだろう?』


「それは僕がディム・トゥーラの献身の上に、胡座あぐらをかいて座りながら、我が道を突き進んでいるからだよ」


『自覚はあったのか?』


「もちろん」


『悪魔め』


「でもディムはそれを許してくれるよね」


「――」


 カイルは、にこにこ笑いながら、虎形態のウールヴェの頭を、手を伸ばしでた。


『…………何をしている』


「え?ディム・トゥーラの頭をでるなんて、いつもは身長差があって、無理じゃん」


 カイルは真顔で言った。







「なんですか、この歯型は?」


 シルビアは、カイルの左腕にくっきりはっきりついた動物の歯型のあざに眉をひそめた。


「ディム・トゥーラにまれた」

トラまれたら、ただですみませんが、絶妙の調整具合ですね。すばらしい神技かみわざです」

「シルビア、そこ、めるところじゃない」

「本来なら頭を殴りたい衝動しょうどうを、手がないから、んで昇華しょうかさせたのでしょう。どうせ貴方が余計なことを言ったにきまってます」

「……そんなことない。ディムの頭を撫でただけだよ」

「十分すぎる逆撫さかなで行為です。手が食いちぎられなくて、よかったですね。再生ポットはここにありませんから、意識のあるまま、チップ再生でした」


 痛みを想像して、カイルは震えた。シルビアはカイルの腕に軟骨なんこうを塗りながら尋ねた。


「ディムは?」

「絵を持って一度帰ったよ」

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