第7話 帰還⑦

 ファーレンシアと専属護衛達は、あっけにとられてエトゥール王を見送った。

 ファーレンシアがカイルのそばに駆け寄り尋ねた。


「……カイル様?」

「うん?」

「……あの……中継とは?」

「今のこの部屋の会話をそのまま、ウールヴェ経由でセオディア・メレ・エトゥールに伝えたんだよ」


 ファーレンシアは思わず部屋にいて、ずっと沈黙を守っていたカイルのウールヴェを見た。


「……トゥーラ、そんなことをしたの?」


――うん かいるに 頼まれて


――めれ・えとぅーる すぐに こっちに 向かったよ


「……カイル様、なぜ?」

「当事者の問題だから」


 カイルはしれっと答えた。


「二人で話し合うのが一番だと思ったからだよ」

「いつになく、追求が厳しいと思ったらそういうことですか」

「そういうこと。ただシルビアが躊躇ためらっている理由が、メレ・エトゥールの殉死の件だとは、思わなかったなあ。シルビアの気持ちを知れば、メレ・エトゥールは必ず行動に出ると思ったけど、到着が予想より早かったよ」

「確かに早かったし、その後の行動が素早すぎます」


 アイリもファーレンシアも、うずうずとした表情を浮かべていた。


「ファーレンシア?」

「カイル様、こうしている場合ではありません」

「はい?」


 ファーレンシアは両手の握りこぶしを作り、熱く主張した。


「先回りです。兄の行き先に思いあたるところがあります」


 アイリもうんうんと頷いて、ファーレンシアの意見に同意を示した。





 侍女も使用人もギョッとした。

 廊下を歩いてくるのは、セオディア・メレ・エトゥールだった。その左腕には、シルビアが抱き上げられており、彼女は片腕に乗せられるという不安定な状態に、必死にセオディア・メレ・エトゥールにしがみついている。


 慌てたように彼等は後を追ってくるのは、専属護衛達だったが、セオディアの虜囚りょしゅうとなっているシルビアと目があうと、彼等は礼儀正しく視線をらした。


「お、おろしてください。メレ・エトゥール」


 ずっと拒否されている懇願こんがんをシルビアは再びした。


「だめだ」


 やはり返答は拒否だった。


「に、逃げませんから」

「本当に?」

「は、はい」

「でも、だめだ。この状態をやめるのも、もったいない」

「はい?!」

「こうして貴女を抱き上げる特権を存分に堪能たんのうしたい」

「た、た、堪能たんのうって、何、馬鹿なことをおっしゃいますかっ?!」

堪能たんのうしている。味わっている。楽しんでいる。満足している――」

「言語表現をきいているんじゃありませんっ!」


 シルビアは顔を真っ赤にして抗議した。


「違うかな?私の現在の正確な心情なんだが」

「〜〜〜〜っ!!」

「メレ・エトゥール、これはなんの騒ぎですか?」


 女性の声で静止がかかり、セオディア・メレ・エトゥールは足を止めた。

 前方からやってくる女官長とその傍らには顔見知りの侍女のマリカの姿が見えた。


――助かった……


 シルビアは彼女達の登場にほっとした。

 女官長のフランカはセオディア・メレ・エトゥールの乳母うばと聞いている。きっと彼の行動をいさめてくれるに違いない。マリカもとりなしてくれるだろう。


「ああ、フランカ。ちょうどいいところに。至急、シルビア嬢のドレスを新しく頼む。色はもちろん青だ。エトゥールのもんを忘れないでくれ。忙しくなると思うがすまない。我々は今から庭に行ってくる」

「?!」


 セオディア・メレ・エトゥールの言葉は呪文に近く、シルビアには理解できなかった。なぜ、ドレス?

 だが、女官長とマリカの顔は喜びに輝き、シルビアの混乱に拍車をかけた。

 女官長はシルビアに満足げに頷いてみせた。


――え?


 女官長はにこやかに頭を深く下げ、周りにいた侍女や使用人、こともあろうか追いかけていた専属護衛までがそれに従い、頭を下げた。


「承りました。行ってらっしゃいませ」

「「「「「行ってらっしゃいませっ!!!」」」」」


 見事な唱和だった。


――えええええええ


 シルビアの味方は見事なほど、皆無だった。


 セオディア・メレ・エトゥールは、シルビアを抱きかかえたまま、扉を抜け、外に出ると中庭の方面に向かった。


 舞踏会のダンスでもこれほど密着したことはない。

 シルビアは至近距離すぎるセオディア・メレ・エトゥールに困惑した。しかも彼にこれほど、腕力があるとは思わなかった。シルビアの身体を片腕で担ぎあげている。


「メレ・エトゥール、いったいどこに……?」


 シルビアは解放を乞うことを諦めた。


「こういうことには、仕来しきたりというものがある。付き合っていただきたい」

仕来しきたり……?」

「貴女も一度目撃をして、知っているはずだ」


――何を知っていると言うのだろう。


 中庭の小道を抜け、聖堂がシルビアの視界に入ってきた。

 その隣にそびえ立つ精霊樹はいつもと違い、虹色の光をおびていた。


「…………精霊樹が……」

「貴女の友がちゃんと祝福してくれているようだ」


 セオディア・メレ・エトゥールは、そのまま精霊樹の前にたどりつくと、シルビアの身体を静かに下ろした。


「シルビア嬢」

「は、はい」


 メレ・エトゥールは衣嚢いのうから布に包まれたものを取り出した。

 シルビアの目の前で、丁寧に布包みをあけると、中からでてきたのは、首飾りだった。その繊細な細工はアドリーのもので間違いなかった。中央にはエトゥールを象徴する青い大きな貴石がついていた。


 メレ・エトゥールは黙って、シルビアの首にその宝飾品を実に優雅な自然な動作でつけた。あまりにも慣れた所作にシルビアは、首飾りが自分につけられたことに気づかなかった。


「シルビア・メレ・アイフェス・エトゥール、私の伴侶はんりょとなっていただきたい」


 こういう風習にうといシルビアも理解できた。「一度、目撃をして知っているはずだ」の答えをようやく思い出した。

 カイル・リードのファーレンシアに対する不器用な求婚が行われたのは、同じ精霊樹の下だ。

 シルビアの混乱は、メレ・エトゥールの言葉を翻訳する時間差を生み出した。

 伴侶――伴侶――伴侶……。


「ええ?!」

「これは、エトゥールの正式な求婚の儀である。私は、シルビア嬢、貴女に求婚している」


 狡猾こうかつにも、はっきりと解説することで、セオディアはシルビアの退路を遮断しゃだんした。彼はシルビアの反応を計算しつくしている、とも言えた。


「ま、待ってください」

「貴女は私の殉死を選ぶことを止められるなら、喜んで嫁ぐと言ってくれた」

「――」


 シルビアはさらに一瞬、処理落ちし、セオディア・メレ・エトゥールの言葉を理解するのに、数秒かかった。


――え?


――待って?


――なぜ、正確にその台詞を再現できるの?


「な、な、なんで、知っているんですか?!!」

「ちゃんと、自己申告したはずだが?カイル殿がトゥーラを介して、私のウールヴェに中継してきたと」


 シルビアの混乱による逃走を、その両手を包みこむように握り、手の甲に接吻を落とすことで、メレ・エトゥールは見事に封じた。


「貴女がそばにいてくれれば、私は足掻あがくことができるだろう」


 なんて卑怯ひきょうな――っ!!!

 シルビアは真っ赤になり、セオディアの言葉に怒りすら感じた。


卑怯ひきょうですっ!!」

「何がだろうか?」

「その言い方です。私がそばにいようと、いまいと、足掻あがいてもらわないと困ります!私がどれだけ貴方のことを心配していると――」


 目の前に勝ち誇っている男がいた。シルビアは口走りかけた言葉を必死に飲み込もうとした。

 負けてしまう。負けるわけにはいかない。


――でも、こう考える時点で、もう負けているのでは……

 シルビアは、弱気になった。


 セオディア・メレ・エトゥールの容赦ない本陣攻撃は止まない。メレ・エトゥールは勝利を確信していた。


「どれだけだろうか、教えてほしい」

「ですから――」

「私を心配していると」

「ですから、ですから、ですから――」

「もう一度、その言葉がききたい、シルビア嬢」


 耳元で、低い声の囁きにシルビアは腰が砕けそうになった。しかも相手は、そこまで計算をしているのか力強くシルビアの身体を支えている。

 そしてとどめとばかりに、強く抱きしめ、囁いてきた。


「貴女の生きる中のわずかな時間をもらいたい」





「君の兄上は本当に曲者くせものだなあ」

「初めの頃にそう申しましたでしょ?策士さくし腹黒はらぐろだと」





 本当に卑怯な男だ――シルビアはそう思った。勝てるわけもない。


「私は……世界の違う人間です」

「妹にカイル殿がいる今では、理由としては成り立たない」

「長寿ですし……」

「私が年老いても、若々しいとは末代まで自慢ができる」

「でも……」

「子供は何人でもいい」

「……はい?」

「私も余興で、西の民の占者せんじゃに見てもらった。相手が同じなら、同じ結果が出るとは思わないか?」

「――」

「シルビア嬢、貴女と共に、占者せんじゃが先見した未来を歩みたい」

 

 共に生きる未来なら確かに歩みたかった。

 シルビアは初めて、顔をあげてセオディアを見つめ返した。


「一つ約束してください」

「なんだろう」

「最後まで足掻あがくと……そう約束してください」

「約束しよう。シルビア嬢、私とともに歩んでくれるか?」

「…………つつしんでお受けします」


 精霊樹はシルビアの返事とともに、金色の祝福を降らし始めた。

 そこに花びらが混じって、奇跡の光景の演出効果をさらに高めた。当事者である二人は、精霊樹を見上げた。




 これはもう、世界の番人の贔屓ひいきと言っていい領域だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る