第13話 閑話:リル

 サイラスは想定外の事態に狼狽うろたえていた。

 あの野生のウールヴェを十匹連闘する方がマシだった。いつもは的確に状況を判断できていた。だが、今回の非常事態における行動マニュアルは、彼の経験の中に存在せず、同僚に弱音を吐いた。


「……ディム、助けてくれ」


『俺には無理だ……』


「いやいや、そう言わずに……どうしたらいいんだ。イーレは?イーレはいないか?」


降下こうかのあとだから、寝てる』


「なんてこった。本当にどうすれば――」


『いや、どうしたらと言っても――シルビアだ。シルビアを呼ぼう』


「それだっ!!」


 男二人がおろおろとする事態になっていた。

 リルが泣きやまないのだ。





 晩餐会の騒動のあと、サイラスが明け方に店に帰宅すると、寝衣姿のリルが一階で待っていた。眠そうに眼をこすっている。


「リル、伝言は受け取らなかった? 今日は遅くなるから先に寝てるように、と伝えてもらったはずだけどなぁ」

「……精霊様から受け取ったよ」

「じゃあ、まだ寝ている時間だろう?」

「……サイラス、その服は何?」

「ああ、城の近衛服だ。変装に使ってね」


 サイラスはフードをはずし長衣ローブを脱いだ。窮屈な近衛服の上着を脱ごうとする前に、リルが驚きの悲鳴をあげる。


「サイラス、髪?! 髪をどうしちゃったの?!」

「あ?うん、切った」


 普段、長く後ろで束ねていた黒髪は、肩のあたりで無造作に切られていた。


「なんで?!」

「必要に迫られて――」


 そう言いかけたサイラスは固まった。

 リルはショックで震えていた。涙をポロポロと流している。


「なぜ?!」


 わかっていないサイラスの言葉に、リルは本格的に号泣をはじめた。






 城からシルビアが要請に応じてやってきた。騒動の翌日でシルビアも疲れているはずだが、彼女は嫌な顔をしなかった。シルビアは隣の寝室でずっとリルと対話している。

 サイラスは落ち着かず閉じたドアの前で、うろうろしていた。シルビアがやがてドアから顔をだし、呆れたように評した。


「なんですか。出産を待つ新米お父さんのようですよ」

「そんなの知らないって。リルはどうしたんだ。病気でどこか痛いんじゃないか?」

「大丈夫です」

「本当か?」

「信じてください」

「じゃあ、なんであんなに号泣したんだ」


 卓前に腰をおろすと、シルビアは告げた。


「えっと……サイラスが髪を切ったせいです」


「はあ?」

『はあ?』


「サイラスが長い髪をばっさり切ったことにショックを受けたんですよ。昔を思い出したみたいです。リルのお父さんは、髪を切って身だしなみを整えて出かけた先で亡くなったそうです」

「――」

「思い出して怖くなったのですよ。急にまた取り残されて一人になるのではないかと。彼女にとって家族が髪を切るという行為は心的外傷トラウマなんです。貴方の帰りが遅くて、心配だったことが拍車をかけたんです。サイラス、リルと話してください」

「な、なにを?」

「彼女が安心することを」


 サイラスは昨晩、姫をなぐさめにいったカイルの気持ちがようやく理解できた。――難易度が高すぎた。





「リル」


 サイラスはベッドに腰をおろした。毛布に潜り込んでリルはまだ泣いていた。


「サイラスの……長い髪……大好きだったのに……」


 今まで単に切るのが面倒くさくて、伸ばしていた、とは言えない雰囲気だった。


「ごめん、悪かった」


 サイラスはとりあえず謝った。


「伸ばす。また、伸ばすから」

「もう……切らない……?」

「切らない――って言いたいところだけど、無造作に切っちまったからなぁ。そろえるくらいダメか?」

「ダメ……」

「ダメかあ。時間がなくて、ナイフでザクっと切ったから不揃いなんだけどなあ」

「……じゃあ、1回だけなら…いい」


 リルはむくりと半身を起こした。


「……父ちゃんも…髪を無造作に伸ばしていたよ。お貴族様に呼び出されて、身だしなみを整えて出かけて……帰ってこなかった……」


 リルが再び泣き出す前に、サイラスは抱きしめた。 


「大丈夫だ。大丈夫だから。安心しろ」

「……うん」

「死なないし、リルを残したりしない」

「……うん……精霊様に誓って」

「誓うよ。リルを残して死んだりしない」

「……絶対ね?」

「絶対だ」

「……」

「……リル?」


 抱きしめていたリルから寝息が聞こえた。


「……寝た」


 サイラスとディムは安堵の吐息を同時に洩らした。





 サイラスはよろよろと寝室からでてきた。

「……寝たよ」

「徹夜して、大泣きしたら、あの年齢では当然の結果です」 


 椅子に腰を下ろして、サイラスは天井を仰ぎみた。わずかな時間だが、疲労感は半端ない。


「……子育てって、魔獣討伐より大変だ」


『……同感だ』


「結婚前に悟れてよかったですね。二人とも将来、いいお父さんになれますよ」



 自分で入れたお茶を飲んでいるシルビアが真顔で言った。

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