第8話 晩餐会③

 シルビアは踊りながらカイルに言った。


「だいたい貴方に三曲目の伝統を教えたら、余計なことを考えるから言わなかっただけです」

「余計なこと?」

「僕が彼女と踊ってもいいのだろうか、とか、彼女の出会いを奪わないようにしよう、とか」

「……それ、当たり前に考えるでしょ」


 はあ、とシルビアは二度目のため息をついた。彼女の顔から笑顔が消えた。


「ヘタレ」

「な――っ!!」


 普段のシルビアから想像できない暴言に、カイルは立ち止まりそうになったが、シルビアが強引にリードして事なきを得た。


「ヘタレって、なんだよ」


 カイルはシルビアの耳元でささやいて抗議した。


「ヘタレはヘタレ。ヘタレ以外の何者でもありません。軟弱者なんじゃくもの臆病者おくびょうもの、へっぽこ、へなちょこ、根性なし、甲斐性無かいしょうなし――」

「シルビア、矛盾しているよ。影響を与える接触は禁止だ、と散々言ってたくせに……」

「この時点で貴方がそれを口にすると、殴りたくなるからやめてください」

「……イーレに影響されすぎてない?」

「感情の発露はつろを止めない方がいい、とはイーレには教わりました。カイル、一つ確認したいことがあるんですけど?」

「何?」

「貴方、帰る気はあるんですか?」

「……」


 カイルからの返答は踊りが終わるまで、ついに得られなかった。





 気まずい沈黙が続いたが、踊りが終わってもカイルはシルビアのエスコートを放り出すことなく、中央からはずれ、壁際かべぎわまで導いた。

 給仕役の侍女のトレイからグラスを二つ取ると、一つをシルビアに差し出す。


「ありがとうございます」

「……」


 カイルは軽くグラスをかたむけ、喉の渇きを癒していた。

 シルビアは、いらついた。最後の質問が引き起こしたこととはいえ、エスコート中の女性との会話を放棄するとはいかがなものか。


「……よく、わからない」

「……え?」

「さっきの質問の答え、僕にもよくわからない」


 カイルは空のグラスを玩び答えた。


「今は帰りたくても帰れない状態だけど、この問題が解決した時に僕はどちらを選択するのだろう」

「……カイル」

「禁固刑を受けるよりは自由がいいよね」


 自嘲じちょう気味にカイルは笑う。


「迎えの手段がなかった頃に、真剣に考えたんだよね。地上でどうやって生きていくか」

「……結論は?」

「画家としての職は女性のシワまで正確に描いてしまうから無理」

「――」


 不覚にもシルビアは吹き出してしまった。


「ファーレンシアもそうやって笑ってくれたよ。当時の僕には救いだった」


 カイルは空のグラスを近くのテーブルに置いた。


中央セントラルが接触を禁じたのもわかるような気がするよ。僕は精霊のように公平に接することはできない。関わる者に肩入れしてしまうだろう」

「……」

「それが禁忌きんきというなら、僕は禁忌きんきを侵す。彼らが滅びるような大災厄だいさいやくは絶対に止める」

「……カイル……」

「シルビア達を巻き込んですまないと思っている」




「カイル・メレ・アイフェス・エトゥール」



 不意に呼ばれて、二人は驚いたように振り返った。

 そこには正装の長衣ローブを着た四十代くらいの男性が立っていた。カイルはその銀髪の男性に見覚えがあった。午後にメレ・エトゥールに謁見を申し込んでいた人物だ。

 彼はカイルに向かって深々と一礼をした。


「アドリー辺境伯」


 カイルは一礼を返した。

 シルビアとの話に夢中だったとはいえ、ここまで接近に気づかなかったとは、自分にしては珍しい失態だ、とカイルは思った。


「シルビア・メレ・アイフェス・エトゥール」


 彼はシルビアにも丁寧な礼をした。


「お初にお目にかかります。アドリーのエルネスト・ルフテールと申します」

「アドリー辺境伯」


 正規の礼をシルビアは返す。彼は二人に笑いかけた。


「メレ・エトゥールの隣の女性は、あなたの親族かという質問を今日は多数、受けました」

「まあ、申し訳ございません。お騒がせしました」


 同じ銀の髪色でそういう影響があることは、想像の範囲外だったので、シルビアは頭を下げた。


「お二方の話の腰をおるのは、たいへん気がひけたのですが……周囲にどうしてもと頼まれまして、お伺いさせていただきます。カイル様の三曲目のお相手はシルビア様ですか?」

「え?」

「え?」


 思いがけない質問だった。アドリー辺境伯は、ゆっくりと自分の背後に視線を巡らせた。

 二人は、驚いた。壁際の自分達を中心に、やや遠巻きであるが、若い男女の半円が完成していたのだ。完璧な包囲網に二人はさっと血の気がひいた。


「わ、私は、メレ・エトゥールと先約がありまして」


 シルビアは焦った。


「なるほど。カイル様は?」

「今から申し込みに行く予定です」

「そうですか。ファーレンシア・エル・エトゥールなら、左側の壁際で男性陣に囲まれていたようです」

「ありがとうございます。シルビア、またあとで」

「ああ、そんな正面突破を試みては――」


 アドリー辺境伯の忠告は一瞬遅かった。




 カイルの姿は、女性陣の波に、あっと言う間にのまれた。




――馬鹿だ。

 シルビアは冷めた眼でカイルを見送った。

 あれほど警告したのに、カイルはいくさ殿しんがり気分を味わいたかったらしい。


「……彼は勇気がありますね」

「……いえ、単に馬鹿なだけかと」


 辛辣なシルビアの言葉に、アドリー辺境伯は口元をてのひらで覆い隠し笑いをもらした。


「次のお相手が、メレ・エトゥールならば、彼の元までエスコートしますが」

「…お願いします」


 半円状態の場には、女性の姿が消えたものの若い貴族男性が多数残ってこちらをみている。ここを単身突破する勇気をシルビアはな持たなかった。

 救済を申し出たアドリー辺境伯は優雅に手をさしだし、シルビアはその手をとった。


 エスコート役が決定したことに、周囲の男性達からは失望の吐息と、どよめきがもれた。


「お手数をおかけします」

「いえいえ、貴方を送り届けることで、私は、エトゥール王の覚えがめでたくなるわけです。こうやって若者たちを失望させるのも楽しみの一つです」


 二人は歩き出した。


「私も一回り若ければ、貴方に三曲目を申し込みを試みたものですが残念です」

「奥様は?」

「昔に亡くなりました。彼女のことが忘れられないのです」

「……失礼いたしました」

「と、いうと、大抵の女性は引いてくれますので、こういう場では重宝しておりますよ」

「……」


 シルビアが思わず顔をみると、彼はにっこりとほほ笑んだ。

――セオディア・メレ・エトゥールと同種の匂いがする。気をつけよう、とシルビアは心の中で思った。

 一見、穏やかな紳士見えるが、女性に対しては百戦錬磨かもしれない。正直、セオディア・メレ・エトゥールがこちらに気づいたときはほっとした。


 アドリー辺境伯はメレ・エトゥールに彼女を丁寧に引き渡した。


「アドリー辺境伯」

「貴方の大切な女性をお連れいたしました」

「お気遣い感謝する」

「シルビア嬢、では次回、機会がありましたら二曲目でもぜひ」


 シルビアは微笑みを返し、返答を避けた。アドリー辺境伯はそんなシルビアの反応を面白がっているようだった。

 彼は洗練された自然な動きで二人に礼をするとその場から去った。


「なぜ、アドリー辺境伯と?」

「うっかりカイルと話し込んだら、包囲網の中で、彼に助けていただきました」

「カイル殿はどうした?」

「……いくさ気分を味わいに行ってしまいました」

「……無謀な……」

「まったくです」


 会場はカイルが作っている女性集団とファーレンシアが作っている男性集団にはっきりと二分されていた。はたして時間までにカイルはファーレンシアの元にたどりつけるのだろうか。


「……難易度が高すぎませんか?」


 シルビアが心配そうに見つめる。


「精霊の与えた試練だな」

「……この状況を面白がっていますね?」

「当然だ。こんな面白い見物みものはなかなかない」


 メレ・エトゥールは笑い、シルビアはカイルに深く同情した。


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