第9話 同調

 あの白い毛玉が、巨大猪になり、狼もどきになる。シルビアのウールヴェなど小型のフェレットに近い姿をしている。遺伝子情報を無視した個体成長をディムもサイラスも理解できなかった。

 ウールヴェの完全な説明ができないシルビアは視線でファーレンシアに助けを求めた。


「ウールヴェの成長は使役している人間側の影響に左右されますので、姿が変化することは不思議なことではありません」


 護衛のミナリオがファーレンシアの言葉を引き継いだ。


「セオディア様も子供の頃は、そこのトゥーラより大きいウールヴェをお持ちでした」


『……………………トゥーラ?』


 ディム・トゥーラの声の温度が一気に氷点下まで冷え込んだのを、シルビアは感じた。


「えっと……」


『……………………シルビア、「トゥーラ」とは?』


「あ、あの……カイルが名付けて……」


『……………………その、枕元の白い獣に?』


「……あの……そ、その通りですが……」


『……ほほぉ、彼はずいぶんふざけた地上生活を送っていたようだな……』


「ごめんなさい、ごめんなさい」


『シルビアに怒っているわけではない。サイラス、カイルが目覚めたら一発殴っておけ』


「了解」

「サイラスが殴ったらカイルが死んでしまいます!」


 エトゥールの姫は、聞こえるぶっそうな会話に顔を引きつらせている。やはり少女はエトゥール語ではない会話も理解しているようだ、とディムは気づいた。


『サイラス、そのけものをどけてくれ』


 サイラスが寝台に近づきウールヴェを持ち上げようとしたができなかった。


「なんだ、こいつ。動かないぞ」

「あの……護衛3人がかりでも動かせなくて……」


 ミナリオが既に試した事実を告げる。

 どういう生物か研究対象にしたい欲求は、名付けにより極端に目減りしていた。ディム・トゥーラは厄介な存在の処遇について考え込んだ。


『シルビア、このけものに知性は?』


「あります。命令を理解するのでかなり高いと思われます」


『シルビア、一度イヤリングをはずしてくれ。音量をあげる』


 シルビアはイヤリングをはずし、手のひらにのせた。


『どけけもの、カイルを助けるのにお前は邪魔だ』


 ディムは思念とともに肉声で命じた。声に不機嫌さが加わったのは仕方がない。すべては獣に名付けられた名前のせいだ。カイルを殴ろう、少なくとも一発は――と彼は決意した。


 威圧のある声にカイルのウールヴェは素直に立ち上がると、寝台を降りてファーレンシアの方に向かった。

 突然の部屋に大きく響いた謎の声にファーレンシア達は驚きを隠せない。

 だが、リルだけは慣れていたので平然としていた。


 イヤリングをつけ直すとあらためてシルビアは椅子に腰をおろし、カイルの右手を握った。ディムはシルビアを経由して、カイルの意識を探った。


『――何かと同調している』


「西の民との同調が切れていないのでしょうか?」


『西の民とは?』


「和議のためにきた西の民族の代表です。問題を解決するためにカイルが相手の記憶を読みました」


『違う。もっと別なものだ。目覚めないのは同調状態が続いているせいだ。同調を解除する必要がある』


「できますか?」


 ディム・トゥーラは考えこんだ。直接、思念を放ってみる。


『エトゥールの姫君』


 ファーレンシアははっとした。


『カイルを起こすために力を借りたい』


「やります。やらせてください」

 彼女の返答に迷いはなかった。





 ファーレンシアは指示に従い、シルビアと交代して寝台の側の椅子に腰を下ろした。シルビアも新たに椅子を用意してその隣に陣取る。


『サイラス、部屋に鍵をかけろ。邪魔がはいると危険だ』


 サイラスはドアの鍵を下ろすとその位置に立った。専属護衛のミナリオとアイリは戸惑っているようだった。


「兄への報告は無用です」


 ファーレンシアが先手をうって二人に釘をさした。


「いったい何を……」

「メレ・アイフェスの指導のもと、カイル様を呼び戻しにいきます」

「危険ではないのですか?」


 ファーレンシアの元専属護衛であるアイリの問いに、ファーレンシアは自信ありげに答えた。


「問題ありません。ですから兄への報告は無用です。ここにいてください」


 再度、専属護衛達に釘をさした。

 シルビアは、権力を行使したファーレンシアの手がわずかに震えていることに気づいた。


『シルビア、姫君の身体を支えておいてくれ。絶対に離すな。いざとなったら姫だけでも逃す。シルビアはその脱出路になる』


「了解しました」


 シルビアはファーレンシアの身体に触れた。細い肩に腕をまわし体勢を整える。


『エトゥールの姫君、カイルの手を握ってくれ』


 ファーレンシアはすぐにカイルの右手を強く握った。

 ――カイル様、戻ってきてください


『――行く』


 合図の念話とともに軽い衝撃がきた。





 ファーレンシアは驚いた。指示のあった通りにしていたら、どこかに立っていた。間違いなくエトゥール城のカイルの部屋ではない。周囲が夢のようにぼやけている。


 だが、いつのまにか、すぐそばに茶色の髪と瞳の長身の男性が立っていた。


 兄と同じくらいの20代半ばの年齢かと思ったが、ファーレンシアはそれが間違っていることに気づいた。外見は若いが目が鋭すぎて、未熟さが皆無なのだ。メレ・エトゥールより遥かに年上であるに違いなかった。

 これは念話で自分に指示を与えた人物だ、とファーレンシアは気づいた。


「ファーレンシア・エル・エトゥールと申します」


 一礼して名乗る。


「ディム・トゥーラだ」


 部屋でウールヴェに命じた声だった。


「……トゥーラ……」


 カイルのウールヴェと同じ名前であることに気づいた。聞こえていた一連のやり取りの謎がとけた気分だった。

 察したファーレンシアの様子に男は深いため息をついた。


「ウールヴェについては忘れてくれ」

「あ……はい」


 短いやり取りだが、ファーレンシアの緊張はとけた。カイルがウールヴェに名前をつけた人物ならば、信頼できる。


「そうじゃない。あれは嫌がらせだ」


 ファーレンシアは自分の考えが筒抜けなことに驚いたが、彼の言葉に首をかしげる。


「嫌がらせ……ですか?」

「それを知ったら俺が怒ることは、わかっていたはずだ。それをあえてするとは、嫌がらせ以外の何物でもない」

「そうでしょうか?カイル様はよくウールヴェの名前を呼び、長々と話かけていました。エトゥールにいる不安を和らげていたようにも見えました。ディム様は、カイル様の信頼を得ているのでは、ありませんか?一番そばにいてもらいたかったのでは、と思いますが……」

「……」

「私は何をすればいいのでしょうか?」

「今、俺達はカイルの精神領域にいる。遮蔽しゃへいは、かけておくから危険はない」


 彼が指で額に触れると不思議なことに不安定さが消えた。ぼやけていた視界が一気に鮮明になった。


「シルビアの存在は感じられるか?」

「あ、はい……はっきりと」


 同じ規格外か、と彼はつぶやいたが、意味するところはファーレンシアにはわからなかった。


「シルビアに繋がったまま、ここにいて欲しい」

「わかりました」


 余計なことは問わない聡明さにディムは感心した。


「カイル様をお願いします」

「殴ってでも連れてくるから安心してくれ」


 返ってきた言葉は物騒だった。

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