第7話 和議の鍵②
エトゥールとの会談が終わり、与えられている部屋に戻ったハーレイはすぐに
――誰にも邪魔されたくない。
客室に備え付けられている
震える手で、羊皮紙を開いた。
先ほど見た絵が
「……ああ」
彼女と子供の
これは精霊の魔法か。
細かいところまで描かれている。首飾りは結婚の時に贈ったものだ。耳飾りは、自分が彼女に結婚の申し込みをするために、一人で仕留めた熊の爪を加工したものだ。
その思い出の品さえ、襲撃者に奪われてしまった。
だが、いまやそんなことは、ハーレイにとってどうでもよかった。
ああ、そうだ彼女はいつもこう微笑んでいた。子供を抱き、ハーレイにこの笑顔をむけていた。
なぜこの笑顔を忘れていたのだろうか。
この記憶を遠ざけていたのは自分だ。この十年、憎しみと悲しみと後悔しかなかった。
その日、エトゥール人の焼き討ちがあった。
――あの時、まにあえば
――あの時、村にいれば
――あの時、共に死ねていたら
時間を
何度、精霊に請い願ったか。
許すとはなんだ?なぜ許さなくてはいけないんだ?
痛みと苦しみを知らないものは、平気で口にする。許せと。
気高い行為だ、徳をつむためだ、精霊が望んでいる。あらゆる口実で説得しようとし、ハーレイを傷つけた。
許せないものは許せない。
許せない自分は精霊との対話もままならなくなり、やがて孤独に死んで行くだろう。
それでいいと思っていた。昨日までは。
カイルは許す必要はないと言った。
憎悪しか持てなかったハーレイが、その言葉でなぜか逆に全てを許されたような気がした。
解放されたかのように多くの記憶が甦り、焼き討ちされた時の
欲しい記憶はずっとそばにあったのだ。
絵を見ると、彼女が目の前に立っている錯覚すら覚える。
「やっと……出会えたな……」
涙が止まらない。憎んでいたエトゥールの賢者はハーレイに救いをもたらした。精霊の
――おかえりなさい、あなた
愛していた者が伝えたかった言葉をハーレイは確かに受け取った。
西の民のハーレイは後日の和議に同意して部屋から立ち去った。
彼の中にあったエトゥールへの敵意は消え去っていたことを誰もが感じていた。
ファーレンシアはカイルを見つめていた。
彼女は彼が和議の鍵だと
――さすがに疲れたなあ
カイルが大きく息をついた。ハーレイの過去はカイルには重すぎた。
「カイル殿、感謝する」
セオディアはカイルに礼を述べた。
「そっちの方がやっかいだと思うけど?」
カイルはセオディアの手元に残った羊皮紙の束をさした。
「カイル殿はどこで気づいた?」
「この部屋に貴方が真に信頼できる人間しかいなかったからかな。貴方は
「否定はしない」
「ここ数日読まされた書の
「継承して2年は
「南は誰の領地?」
「母方の祖父です。6年前に亡くなり叔父がついでます」
ファーレンシアが答えた。
「その6年前の死因に問題は?」
「……そうくるか」
カイルは肩をすくめた。
「そういう可能性もあるって話。当時の
セオディアは黙っている。
「僕の
「そこまでわかっていたら、なぜ言わない?」
「油断した僕が悪い。おまけに当時貴方は戦争で不在だった。僕にメレ・アイフェスの自覚がなかった。すぐに帰還する僕について事を荒立てる必要がなかった。あと、3、4ほど理由をあげられるよ」
「――」
「だったらなぜ、今、こんなに首を突っ込むのです」
シルビアがカイルに問いかける。
「腹が立ったからかな」
「エトゥールに?」
「まさか。……シルビア、皆がドン引きするから、質問の言葉を選んでよ」
「あ……」
メレ・アイフェスの怒りを買ったのかと、二人以外の全員が顔を引き
「すみません、言葉の選択を誤りました。カイルは貴方達に腹を立てているわけではなく――カイル、何に腹をたてて、干渉する道を選んだのです?」
「僕達、みんな盤上の駒だから」
「盤上の……駒?」
「隣国も南の親族も西の民もエトゥールですら、皆が盤上の駒だ。誰かが何の目的か知らないけど、
「……この絵以外の黒幕がいると思っているのですか?」
「いる。間違いなくいる。エトゥールの滅亡を望むような陰湿さを感じる」
ファーレンシアは驚いたようにカイルを見た。
カイルは不意に強い
まずいなあ。
同調酔いかもしれない。こういう時、ディム・トゥーラの不在を痛感する。彼がいれば何の問題もなく、調子を取り戻せるのだが……。
カイルの異変に気づいたのはファーレンシアだった。
「カイル様、大丈夫ですか?」
「――ちょっと眠い」
「補助もなしに同調するからです。同調酔いですね?」
シルビアは冷たかった。相当怒っている。
アイリに新しいレシピを渡して、シルビアの
「部屋で休みなさい。小言は明日にします」
「小言があるんだ?」
「当たり前です。ここはいいから、部屋に戻って休みなさい」
「そうする」
ミナリオが立ち上がろうとしてふらついたカイルを支えた。さすがのシルビアも眉をひそめた。
「カイル様!」
ファーレンシアが悲鳴をあげた。
カイルは意識を失い倒れた。
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