第6話 和議の鍵
それから一週間が過ぎた頃、カイルとシルビアはメレ・エトゥールから呼び出しを受けた。
案内された執務室の隣の談話室にいたのは、セオディア・メレ・エトゥール、ファーレンシア、彼等の専属護衛達と見覚えのある西の民――ハーレイだった。
まだ頬はこけていたが、出会った時に比べればはるかに健康的だったのでカイルは、ほっとした。
「こちらは西の民の
セオディアの紹介にカイルは頷く。
「元気そうだな」と再会した西の民の男が言った。
カイルはぽかんと口をあけた。ハーレイはアクセントが独特だがエトゥールの言葉を
「しゃべれるの⁈」
ハーレイは頷く。
「牢の中ではエトゥールの言葉なんて一言も――」
「敵か味方か判断のつかない相手に手の内はさらさない」
「信用されてなかったのかあ」
がっくりとカイルは
「いや、信用したからこそ同席を依頼した。信頼できるのは、ここではカイルだけだ」
言われた方が照れるセリフをハーレイは口にした。事実カイルは赤面した。
セオディアが問いかける。
「何を持ってカイル殿をそこまで信頼するのか
「
シルビアはカイルに冷たい視線を向けた。
「………………ずいぶん報告を、はしょっていましたね」
あの時の暗殺者より、今は真横にいるシルビアの方が怖い。
「これもお返ししよう」
ハーレイは小さな金属球を卓の上に置いた。カイルが手を伸ばすより先にシルビアが回収した。シルビアの視線の温度がさらに一度下がった。
興味深そうにセオディアが見る。
「それは何だ?」
「我々が使う
意外なことにシルビアは
「便利だな」
「この国にはないものです。
「ならばなぜそれを明かす?」
シルビアは冷静な青い瞳で周囲を見渡した。
「今、ここにいらっしゃる皆様は
「誤解?」
カイルが怪訝そうな顔をした。
「……当の本人がこれですが」
「……うん、まあ、そうだな。シルビア嬢の苦労は
セオディア・メレ・エトゥールが幾分同情めいた視線を投げる。
「どういうこと?」
「カイル、エトゥールと西の民は対立しているのですよね」
「そうだと思う」
「あなたは西の民と交流がある。しかも信頼されています。内通の疑いを招くには充分ですよ。怪しげな道具をやりとりすれば、弁明ができないでしょう」
「さすがシルビア嬢は正確に状況を把握されている」
「僕が内通して、何をするわけ?」
「……」
「……」
笑いだしたのはハーレイだった。
「カイルほど
ああ、あの時の思念はちゃんと伝わっていたのか。カイルは納得した。もっとも思念が伝わってなければ、彼に
「そこを詳しく聞きたい」
セオディアは簡単に状況を説明した。西の民の監禁も自作自演を疑う者がいる。異国のメレ・アイフェスが西の民を手引きしたと主張する者までいたらしい。
「僕が手引き?ハーレイを?」
「そもそも西の民が敵の止めをささないのがおかしい、と」
「ごめん、それは僕のせい」
カイルは素直に認めた。
「本当に西の民を止めたのか……」
メレ・エトゥールがやや呆れたようにつぶやいた。
「止めた。ハーレイは相手を気絶させてくれた」
「なぜ?」
「無駄な血は流したくなかったし、相手を殺したら手がかりがなくなる」
「そこへ私が駆けつけたわけですね」
ファーレンシアが状況を補完する。
「そう、あの時の犯人を尋問すれば?」
「あの男は翌日牢の中で死んでいた」
「――それはエトゥールが口封じに殺したと解釈されない?」
「事実、西の民から同様の指摘を受けている」
西の民のハーレイ達はエトゥールの使者の案内で襲われたという。使者は正式な親書をもっていたとハーレイは主張している。
だがセオディア・メレ・エトゥールはそのような命を出していない。
そこから話は平行線らしい。
「親書には
「使われる。カイル殿が読んだ親書の控えに
「なかった」
「だが、あれは間違いなく本物だった。だからこそ
ハーレイが強く主張した。
カイルにはハーレイが嘘を言ってないことはすぐにわかった。ついでに言えばセオディアも嘘は言ってない。
「
「不可能だ」
「ハーレイ、親書は?」
「襲われた時に奪われた」
「セオディア・メレ・エトゥール。貴方が即位してから何年たつ?」
「八年だ」
「その間に
「親書ではなく、外交文書の段階だ。先代からの不和は根深い」
思ったより両者の溝は深かった。
まずは、ハーレイの言葉が真実であることを証明する必要がある。しかも黒幕達の裏をかいて。
カイルは手をあげた。
「僕が彼の記憶を読んで絵を描くのはどうだろう?」
シルビアに思いっきり足を踏まれた。
セオディアはシルビアを見た。
「貴女も可能なのか?」
「カイル個人の能力です。私にはできません」
「シルビア嬢は反対のようだ」
「当たり前でしょう。その証拠が真実であることをどう周囲に証明するのです?」
「証明する必要はない。我々が敵を知ることが必要なのだ」
「正論ですが、真実が周囲に
「その矢を射てくる人物を捕らえたい」
「――」
「僕もその案に賛成だな」
「カイル!」
「考えてみてよ、シルビア。西の民を
ハーレイがその言葉を継いだ。
「我々の氏族は最後の一人まで闘う。
「エトゥールの王族は
「僕ならその犯人達の手がかりを得られると思う」
「……これは明らかに影響を与える案件ですよ?」
「エトゥールと西の民の争いは止められるかもしれない」
「自分の自由と引き換えに?」
「
はあ、っとシルビアが大きなため息をついた。
「ファーレンシア、またインクと羊皮紙が大量に欲しい」
「……はい」
カイルが記憶を読むことにハーレイはあっさりと同意した。
「記憶を読んだものが正しいか私はわかるし、やましいことは何もない」
「心に踏み入る行為だけど?」
「我々の世界にも占者と言って、似たようなことができる者がいる。かまわない」
「わかった。ただ、その前にいくつか質問があるのだけど」
カイルは
「ハーレイ」
「なんだ?」
「牢の中であなたはエトゥールへの
「――」
長い沈黙があった。声を絞り出すようにハーレイは答えた。
「……10年前……妻と子供をエトゥール人に殺された」
皆が息を飲む。
「
「
「あなたの憎しみの対象はエトゥール人全員なの?子供も老人も含めて」
「……そんなことはない」
ハーレイはうめいた。カイルは痛いところを突いてくる。
「俺もわかっている。今、ここにいるエトゥール人は無関係だと。だがあの時、村を焼き女子供まで虐殺したエトゥール人は許すことはできないっ!!」
「許さなくていいよ」
カイルの言葉にハーレイは
「あなたの怒りと悲しみは正当なものだ」
ハーレイはやや呆然とカイルを見た。肯定されるとは思ってなかったのだ。
カイルはセオディアを見た。
「セオディア・メレ・エトゥール」
「なんだろうか?」
「あなたは頭がいいから薄々、敵の正体に気づいているのではないかな?」
「――」
セオディアは肯定も否定もしなかった。
「僕が描く絵は、あなたの逃げ道を完全に
「望む」
エトゥールの領主に迷いはなかった。
「エトゥールの平穏が何よりの望みだ」
「そのエトゥールの平穏に、西の民の平穏も視野に入れられないだろうか?」
「なんだって?」
「エトゥールにある西の民への
「……約束しよう」
カイルはハーレイに右手を差し出した。
「手を乗せて」
ハーレイはためらいつつ右手をのせた。
「別に緊張しなくてもいいよ。ただ呼吸を整えてくれると読みやすいから助かる」
十分ほどたち、カイルはハーレイの手を解放すると絵を描き始めた。
あの時もこんな感じだったとファーレンシアは思った。
彼女は邪魔をしないように、灯りを用意した。時間は刻々とすぎていき、すでに真夜中に近い。だが誰もがカイルの手から目を離せないでいた。
彼の目の前にはすでに六十枚あまりの羊皮紙が積み上げられていた。
「――これが全てだ」
カイルが顔をあげた。
セオディアは絵を受けとると、一枚一枚確認して分別していく。彼は抜きとった束をファーレンシアに渡した。
ファーレンシアは絵をめくっていて息を飲んだ。
「カイル様は知らないはずですわ。面識はないはずです」
「私もそう思う。よくかけている」
ファーレンシアは絵を専属護衛達にまわした。ここにいる全員が証人なのだ。
「協力に感謝する。今回の件の関係者はこちらで間違いなく処断する」
ハーレイは自分が見た光景を忠実に再現した絵を不思議そうに眺めていったが、1枚の絵で彼の手は止まった。
「……もし、許されるならば、これをいただけないだろうか」
意外な申し出にセオディアは答えた。
「そちらの束は今回の件とは無関係なものだ。カイル殿がよければこちらは構わない」
「僕も問題はない」
ハーレイはカイルを見た。
「カイル……いや、メレ・アイフェスよ。貴方の力は聖なるもので尊い。紛れもなく本物だ」
男の目から涙が
「この絵は亡くなった妻と子だ」
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