第2話 事故

「カイル・リード!」


 脳天をつく怒声と目の前に迫る男の顔があった。茶色の髪、茶色の瞳。自分に覆い被さるように深刻な顔をしているのはディム・トゥーラだ。彼が慌てているのは珍しい。


「――ディム、おはよう」


 がっくりと長身のディム・トゥーラは、力つきたように膝をついた。周りで歓声があがった。


「なんだ、その呑気な反応は……」

「……なんだと言われても……何慌ててるわけ?」

「……お前、今、心拍停止していたぞ」

「へ?」


 自分を取り囲む医療スタッフ達が大きく頷く。


「……マジ?」

「マジだ。自分の名前を言えるか。ここがどこかわかるか?」

「カイル・リード。観測ステーション」

「脳波、生体反応バイタルはそのまま記録しろ。精神跳躍ダイブによる後遺症が怖い」


 返答を無視するかのように、周囲に指示を出すディムにカイルはむっとした。だが尋常じゃない医療スタッフの数に事故が起きたことは事実のようだった。


「正常値を維持しています。今のところ問題ありません」

 若い長い銀髪の女性が答える。

「誰か一人専任でそのまま生体反応追跡バイタル・トレースしてくれ」

「私がします。二週間監視入院を推奨します」

「遮蔽隔離病室を一つ確保してくれ。普通の病室じゃだめだ」

「了解です」

「さて、カイル」


 ディム・トゥーラは横になったままのカイルを見下ろした。


「俺は支援追跡バックアップが万が一切断したら、直ちに探索を中断しろと指示したよな?」

 怒りの波動が彼の全身から滲み出ていて、周囲を圧倒した。

「切断後1時間帰還せず、あげくの果ての急性心拍停止の蘇生処置。このプロジェクトの初の死者登録おめでとう。さあ申し開きをきこうか」


 ヤバい。ディム・トゥーラが怒っている。


「切断されたあとのトゥーラの慌てぶりは、記録に残してあるから、あとで楽しみなさい」


 フォローにならないフォローを医療担当になったシルビア・ラリムがする。彼女のいつもの無表情と言葉から直訳すると、ディム・トゥーラを止める気はないということだ。


「……本当に心拍停止したわけ?」

「すぐに自動で蘇生処置がほどこされましたが、意識は戻りませんでした。素体事故か記録が中断されているか、不明です。心当たりの記憶はありますか?」

「あ――」


 心当たりは現地の少女と接触したことしかない。適用法が変更になったとディムは言っていた。

 違反者として、観測計画プロジェクトからはずされ、中央セントラルへの強制帰還となることは、カイルはなんとしても避けたかった。


「――記憶が混乱していて……」


 シルビアは嘘を見抜くような青い瞳でカイルをじっと見つめた。

カイルはたじろぎ、心が読まれないように、そっと思念遮蔽を強化した。


「……そうでしょうね。蘇生時の記憶の混乱はよくあることです。どこらへんまで記憶がありますか?」

「素体から離脱しようと、落ち着ける場所を探して……」

「探して?」

「……そこから記憶が曖昧……かな?」

「そうですか」


 シルビアの反応が冷たいのは気のせいだろうか?


生体反応バイタルはそのまま追跡記録させていただきます。療養期間を二週間。仕事は禁止。それではトゥーラの説教の上限は3時間ほどにしてもらいましょう」

「……その上限がないと?」

「彼は24時間ほど小言を言いたいそうです」


 彼女の背後に、憤怒の表情をしているディム・トゥーラが腕を組み、待機していた。古代史に出てくる宗教遺物の彫像がこんな感じだったと、カイルは記憶していた。

 カイルは思わずシルビアの腕をつかんだ。


「何ですか?」

「まだ、行かないで」

「何か問題でも?」

「このあと、すごい心理的ストレスがありそうな気がする」

「奇遇ですね。我々も先程、すさまじい心理的ストレスに見舞われました。貴方の支援追跡バックアップをしていたディム・トゥーラも同様だと思います」

「シルビア」

「諦めて怒られてしまいなさい」

「医者は担当患者の希望に寄り添うべきだ」

「無理です」


 そのあと、本当にノンストップの説教が続いた。途中で所長のエド・ロウとオブザーバー役のイーレがディム・トゥーラを宥め、引き離さなければ、まだまだ続いたかもしれない。周囲はいつもと違うディム・トゥーラに唖然としていた。

 カイルはカイルで思わぬ展開に呆然としていた。

 何も死ぬ要素はなかった。素体が事故をおこしても本体カイルが死ぬことは、ほぼない。なぜ、心拍停止は起きたのだろうか。



 2週間の療養期間が設けられたが、それはカイルにとっては拷問に等しかった。

 特別遮蔽室に隔離され、病室から出ることは許されない。精神感応能力者用の当然の入院処置だが、外界の思念と完全に遮断されているので、カイルの孤独感は増した。少しの楽しみは端末から自分の持ち帰った成果を確認することだった。


 だが、見舞客は多数訪問した。

 彼らは、今回の探索での膨大な情報収集をねぎらったあとに必ず決まった言葉をかけてきた。


「――ところで、今回の探索で質問があるのだが」


 そこから自分の専門分野に関する質問がでてくる。カイルの見舞いより研究課題の補足が目的であることは明らかだった。


 こ、こいつら……。


 観測ステーションの選抜スタッフは研究バカの集団であった。――自分も含めて。


 質問というNGワードが出たとたん、部屋のすみに控えていた医療担当者のシルビアが、見舞い客の追い出しにかかるというパターンが生まれた。

 だが、あきらめの悪い研究馬鹿達はあの手この手で情報を集めようとしていた。差入れと称した見舞品の中に通信端末があったり、事故報告書の体裁の論文をよこしたりしたが、全てシルビアが看破かんぱし、没収された。


 もしかして、これは観測ステーション内の新しい道楽ゲームだろうか?


 シルビアの手際のよさに感心しつつ、懲りない研究者達の攻防戦をカイルは見守ることにした。


「元気そうで何よりだわ。心的外傷トラウマにならないように、精神衛生メンタルヘルスも手を抜かないようにね」


 研究分野の質問をしなかったのは、探索の熟練者で今回オブザーバー役として参加しているイーレで、彼女自身、過去の探索で死亡経験があったため、カイルの精神状態を純粋に心配していた。

 イーレは金髪の長い髪を編み上げた子供の姿をしているが、カイルよりはるかに年上だった。


「純粋な見舞いの言葉は新鮮だよ」

「研究馬鹿達に一般常識を期待しちゃだめよ。私の時も散々だったわ」

「イーレは質問しないんだね?」

「私は今回は地上に降りないことを条件に中央セントラルの要請を受けただけ。地上に興味はないわ。――プロジェクト初の死亡者の称号は永年つきまとうわよ」

「……嬉しくない情報だなぁ」

「自業自得でしょ」


 ばっさりと切りすてたイーレは、カイルに耳打ちした。


「気をつけてね。中央セントラルは何か隠しているから」

「え?」


 カイルはドキリとした。

 問い返す間を与えずに、イーレはにこやかに病室を去っていった。


「シルビア、ディムは?」

 カイルは付き添っているシルビアに尋ねた。

「勤務中です」

「そうじゃなくて……」

「まだ怒っていますから、見舞いにはきませんよ」

「……」


 シルビアの言葉は正しかった。関係者で唯一、ディム・トゥーラだけは最後まで見舞いにこなかった。


――これは相当怒っているな……。


 カイルは深いため息をついた。





 療養期間が終了し、病室から解放されると、カイルはすぐにディム・トゥーラの個室コンパートメントに向かった。


「ディム?」


 扉の前で声をかけると開いたので、カイルは内心ほっとした。居留守を使われたらへこんでいたところである。

 ディム・トゥーラは操作卓コンソールに向かい背をむけていた。数分待ったが反応はない。気づいていないわけではない。背中が拒絶している。

 をあげたのはカイルだった。


「……このたびは心配をかけて申し訳ありません」

「……二度としないと誓え。さもなければ、俺はお前の支援追跡バックアップは辞退する」


 モニターから目を離さないままの死刑宣告である。

 支援追跡バックアップがなければ、探索跳躍ダイブはできない。できないと言うことは、惑星に降り立つ機会がない。

 かと言って他者の支援追跡バックアップでは段違いに力不足なのだ。

 これは全力で許しをうしかなかった。


「二度としません、……多分」

「多分?」


 ぎろりとディム・トゥーラはにらんだ。


「いや、だって、まさか、心拍停止するとは思わないじゃないか。記憶にある限り素体に異常はなかったし、何が原因かわからないよ」

「知るか」

「……僕、切断直後に死んだの?」

「違う。しばらくしてから、痙攣けいれんが起こって、いきなりきた。素体の事故とは状況が明らかに違った。しかも蘇生処置をしても意識が戻らないから、現場は大混乱だ」

「タイヘン申シ訳アリマセン」

「シルビアがまだ隠し事があると言っていた」


 やはりシルビアにはバレていたが、ディム・トゥーラに密告するとは計算外だった。

 だから怒っているのか、とカイルは納得した。

 ディム・トゥーラは、辛抱強くカイルの返事を待っていた。

 カイルは指を天井にむかってくるくると回し、合図を送った。

 ディム・トゥーラは、すぐに部屋の仕様を非公開プライベートに変更した。記録はされない。それが重要だった。

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